君のいる風景2
2013/11/03 05:45

吸血鬼の朝は遅い。遅いというか、もう日暮れである。
夕方のニュースの始まりと共に、シンパチの短い一日は始まる。
夕陽が半分沈みかける頃、シンパチは目を開けた。
居ついてから宛がわれた六畳間の和室からダイニングへと移動すると、閉じられた薄手のカーテン越しに、外の様子へと目を向ける。
オレンジと藍色の境目がはっきりと見えた。
次にテレビの電源を入れ、続けてキッチンへと移動し冷蔵庫の中身を確認する。
豆腐、ネギ、しめじ茸、白菜、鶏肉、エトセトラエトセトラ……昨日買い溜めておいた食材で、今日はお鍋にしよう、シンパチはそう決めていた。
冷蔵庫の中身のチェックを済ませると、次の仕事は洗濯物だ。
朝のうちに土方が回しておいた洗濯機から洗濯物をカゴに移すと、リビングからベランダへと出る。
手際よく皺を伸ばし、洗濯物を物干しに掛けていく。
夕暮れの風に乗った洗剤の香りに鼻腔を擽られると、シンパチは上機嫌に調子の外れた鼻歌を漏らした。

何故、吸血鬼という人智を越えた存在であるシンパチが、こんな所帯染みた生活に明け暮れているのだろうか。理由は至ってシンプルだ。「食事」の為である。人の生き血を啜り、それにより精製した、魔力と呼ばれる吸血鬼の生の源、その塊を故郷へと持ち帰る為。
契約というのは、要するにその代償だ。望みを叶えてやる代わりに、お前の生き血を寄越せと。
―――無論、余すとこなく、全てをだ。
不合理で理不尽な契約などと、考えたことはなかった。同等の対価であるとシンパチは思う。それが当たり前の故郷でシンパチは産まれ育ち、そして眠り続けてきた。
シンパチの瞳の中で、藍色の空が赤く塗り潰された。
……何れ、食らい尽くす日が来る。シンパチの中の、吸血鬼本能がそう告げていた。

……まあ、でもその前に。
あのクソ不味い不健康体をどうにかこうにか人並みの健康体へと導いてやらなければいけない。
吸血鬼とて、食事は美味しいに越したことはないのである。



*

……シンパチは憤慨した。
玄関先で、泥酔し手負いの獣のように伏せる土方を眼下に。
あーあー、うーうー。息苦しそうに唸っているが、手を貸すことはしなかった。
つい先ほど時計の針は十二で重なり、日付を跨いだところだった。


「……酒くさ、」


表情を殺したシンパチの瞳が煌めいた。薄暗い玄関で真っ赤に揺らめくその光りは、まるでシンパチの憤慨をそのまま象徴しているかのようだ。
シンパチは物言わず、土方の襟足をむんずと掴む。
このまま煮えたぎる鍋の中にぶち込んでやっても良かったが、食材には何の罪も無いのでそれは止めた。


「う、ぐぅ……」


絞り出すように唸る土方。
掴んだ襟足を持ち上げてやると、その呻きは一層息の詰まったものになる。
……この部屋に住み着いて半月、こんな事は始めてだった。
半ば強制的に居付いてしまった、吸血鬼という規格外の存在であるシンパチの動向を案じてのことなのだろう。土方はこの半月、仕事が終われば真っ直ぐにシンパチの元へと帰ってきた。


「……」


シンパチは溜め息を一つ溢すと、唐突に土方を掴んでいた手を離した。
ゴッ、と小気味よい音を立てて、土方の顔面が床板に落ちる。


「ふごっ……」


酒で火照った顔に冷たい床板が気持ち良いのか、土方はもぞもぞと身を捩りながら、頬を擦り付けている。


「……遅くなるなら、連絡一本入れてくれると助かりますね」


シンパチは冷ややかな目で土方を見下ろすと、キッチンへと立ち、コップ一杯の水を土方へと運び差し出してやった。


「こんなサービスは一度きりです」


「次からは報酬貰いますよ」土方の肩を突つく。
うっ、と咽を鳴らし薄目を開けた土方がゆっくりと腕を立て、頭を持ち上げる。定まらない視線でシンパチを見上げた。
……土方は、呆けた顔をして唇を薄く開いた。
何か、あり得ないものを見た、そんな表情をして。


「……?」


首を傾げるシンパチの腕を呑んだくれの弱々しい力が掴んだ。……掴む、というよりは寧ろ、縋る、という表現が正しいようにも感じられた。


「……ァ、」


土方の唇が動いた。ほんの一瞬のことだった。
声にならなかったその言葉は、シンパチには届かなかった。
それから、土方はまた力尽きたように床に突っ伏して寝息を立てた。

……シンパチは眉を潜めてまた、深く溜め息を吐いた。
水の張ったコップを静かに廊下の隅に下ろすと、膝に頬杖を立てて深く寝息を立てる土方の背中を眺めた。




⇒3



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