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溺れてしまおうかと

 わたしのサーヴァントは完璧だ。
 これは大袈裟な評価ではなく、増してや親バカもといマスターバカではない。きっと十人に聞いて九人はわたしの意見に賛同するだろう。それほど、彼は何でも卒なく熟した。それに、わたしはずいぶんと救われて、そして自分の無能力さに押し潰されたのだった。
 まるで水の底へ沈むように、何も出来ないわたしは水圧で身動きが取れなくなる。この液体が無くなっても、きっとわたしはこのまま動かないでいてしまうだろう。そんな不気味な予感にふるりと肩を震わせたのはつい先程のことだった。ぬるま湯にどっぷり浸かるわたしをなんとも満足げにながめる彼のすがたがありありと脳裏に浮かぶ。その姿はきっとうつくしくて、やはり見惚れてしまうのだろう。そうして、あのきれいな声が名前を呼ぶ。「主、」と。

「主かあ、」
「なんでしょう、主」
「、わ。いたの」

 想像のなかの声と鼓膜にひびいた声が見事に合致する。ほわほわ考えごとをしていたあたまはすぐに冴えて、飛び跳ねた肩越しにみた彼の顔はいつも通り完璧である。
 いつもならばうちあけていたところだが、わたしは曖昧な笑みを浮かべて首を振った。そして、なんでもないよ、と付け加える。
 なんだか不自然になったけれどこれが精一杯の努力の末、すこし自立しなければ、と考えたわたしのはじめての抵抗だ。

「いやあ、今日もねむいなあ、と思っ、て」
「あるじ」
「う、ちかい」
「俺の目をみてください」
「なに、」

 なんと、彼はわたしがたくさん離したその距離を一歩でつめてしまった。たった一歩で、だ。
 まっすぐにこちらをみるふたつのそれにわたしは今すぐにでも逸らしたかったが、大きな手がそれを遮る。ほっぺたのぜい肉がむにゅりとくちびるのかたちをわずかに変えて、手加減をしているつもりなのだろうか、この男は、と疑った。それよりもこの変顔(そのような顔にしているのはそこのサーヴァントであるが)とも言えるこの顔を真正面からみつめて、口端をぴくりとも動かさないことに対してたたえるべきではないか、なんて今ある現実を精神で逃避していればもっと手の力が強まった。さすがにいたいよ、サーヴァントくん。

「本当は何を、考えていたんですか」
「いやだから、」
「嘘を吐くのはやめませんか、お互いのためにも」
「ぐぬぬ」

 やっぱりかなわないなと思いながらわたしはふかい溜息をはくのだった。
 こうなってしまっては、きっともうどうにもならないだろう。彼の腕を掴んでいた手を比較的同じ目線にある頬へとすべらせればとっても魅力的なほくろと一緒に目隠ししてやった。そうして長い台詞のためにまた酸素が肺をみたして、おちょぼ口はごにょりごにょりと言葉をもらす。

「その、あなたが、いなくなったらどうなるのかって考えてただけだよ。きっと水中に沈む石っころみたいにうごかなくなるんだ、今のわたしはあなたに頼りっきりだから。ほら、えっと、反抗期!、みたいな」
「そんなこと、あなたはそのまま、溺れたままでいいんですよ。そうでしょう?」

 まるで幼子をなだめるように背中を這うその手におもわず肩を跳ねさせた。ゆるやかに、うごくそれからはなんとも形容しがたい感情がゆらめく。背中をなでられているのに、なぜか首をつかまれているようにさえかんじた。ぞわり、全身をなにかが駆けめぐる。力がぬけたわたしの指のあいだからはいつも通りのディルムッドの顔がのぞいていた。その琥珀がわたしをみている。
 いつの間にかわたしの口からは彼の名前が飛び出していたようで、うつろな精神のなかで「はい、主」とこたえる声が聞こえた。ほらみたことか、と言わんばかりにわらうサーヴァント。満足げなその表情にわたしはついに頷いたのだった。

 いっそ、

溺れてしまおうかと



1週年記念に甘楽から。

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