(陸人side)

あきが仕事に行ってから一寝入りした。
一寝入りとは言っても、2時間ぐらいで起きてしまった。よくあきに夜勤で眠くならないか心配されるが、仕事中はアドレナリンが出てるのか眠くなったことは一度も無い。

俺は布団の中でもう一度目を閉じた。僅かに香るあきの匂いが落ち着く。すぅっと息を吸い込んでは吐いたりしながら布団を抱きしめた。
そうこうしてる間にもう1時間寝てしまったようだ。さすがにお腹が空いたので、何か食べようと思い冷蔵庫を開けた。すると、見覚えのない野菜炒めが入っているではないか。きっとあきが朝食に作ってくれたものだろう。
俺は「いただきます」と手を合わせて食べ始めた。やっぱり美味しい。一口、また一口食べる度に彼の優しさを感じて胸がいっぱいになった。

てきとうに家でダラダラしていたら、いつのまにか出勤時間になっていた。ダラダラしてる時ほど時間が経つのを早く感じるから不思議だ。

「おはようございます」

「陸ちゃんおはよ!夜勤よろしくね!」

病院についた俺は同僚の仲間に挨拶をした。
この人は1年先輩の同じ救急科で働く看護師。人当たりが良くて患者からも人気がある。ただ、りくちゃんって呼ぶのは恥ずかしいから辞めてほしい…。おかげで患者からも、たまにりくちゃんと呼ばれる始末だ。

「成宮!ぼけっとしてないで申し送り始めるわよ」

「あ、はい!すみません」

一方この人はベテラン看護師だ。何も分からない俺に一から教えてくれた。ちょっと厳しいけどその風格に見合った技術があって、医師からの信頼も大きい。

「先輩、702号室の山本さんからこれ預かってます。モテますね〜」

「え、あ、ありがとう…」

はてどうしたものか。
後輩から渡された小さなメモには、山本さんのものらしき連絡先が書いてあった。俺はそこまでイケメンって感じでもないのに、こういうことはよくある。やはり人間は良くしてもらった相手に好意を抱いてしまうのが普通なのだろうか。それが仕事だと言われてしまえばそれまでな気もするけど。…分からない。

「陸ちゃん夜勤頑張ろうね〜。え!なにその紙。かー!陸ちゃんモテるね!」

「先生、あまり大きな声出さないでください…」

この人は救命医の先生。おちゃらけてるように見えるが、正確な観察力と判断力の速さは群を抜いている。確かあきとも面識があったような。
俺は貰ったメモをポケットにしまい、患者に挨拶をしに行った。



「先輩、今日は平和ですね」

「そんなこと言ってると絶対なにか起きるよ」

幸いなことに、深夜の救急科はいつもより落ち着いていた。日中もそこまで忙しくなかったようだし、今日は平和の日なのかもしれない。

プルップルップー プルップルップー

「ほら!平和とか言うからホットライン鳴ったじゃん!」

看護師の業界では、落ち着いている時に「平和だ」とか「落ち着いてる」とか口に出すと、何かしら起こるという言い伝えがある。
決して思っても口に出しちゃダメなのだ。

「いわんこっちゃない」とか思いながらも、俺は気持ちを切り替えてホットラインの内容に集中した。


『25歳男性。鋭利な刃物で胸部を刺されたことによる外傷。ETA(到着予定時間)15分』


胸部か。なかなか厳しい処置になりそうだ。
俺はおおよその状態を予測して到着するのを待機した。


救急車が止まると、サイレンの光が辺り一面を赤に染めた。
救急隊によってトランクが開けらる。

「…っ」

そこで俺の動きは完全に停止した。頭に入れていたシュミレーションも全て消し飛ぶ。心臓が激しく鼓動して息苦しい。血の気が引き、冷や汗が額に滲み出た。
見知った足、見知った手、見知った服、そして見知った顔。

「…あ……き……?」

本当にあきなのだろうか?だって、あきはこんな青い顔してない。俺の知ってるあきじゃない。きっと、あきのそっくりさんだ。だって、まさか、そんなはずない。

「…よりによってお前か」

先生が険しい顔で呟いた。
その言葉が何を意味するのか、嫌でも分かってしまった。
足が震える。心臓の鼓動は激しさを増すばかりだ。

「搬送中に心停止になりました!CPR(心配蘇生)をしてますが、心拍再開しません!」

救急隊の方が一生懸命胸骨圧迫を行なっている。唇を噛み締め、顔全体は汗で濡れていた。あきの体は胸を押されるたびに、まるで物のように揺れる。担架からはとめどなく血が垂れていた。
俺はそれをただ呆然と眺めるだけだ。
これは本当に現実なのだろうか。朝食作ってくれたあきはどこにいるの。キスしてくれたあきは?俺のあきはどこ。

「緊張性肺気胸だ!脱気優先にするぞ!」

「とりあえず胸腔穿刺で時間稼いで!」

「胸腔ドレナージの準備できました!」

「よし、心臓マッサージ続けろ!」

「成宮!ぼけっとすんな!」

「…は、は……い…」

もう何も頭に入ってこない。
俺の頭が現実を見ることを拒んでいた。


戻る

8/8

一覧