6-10 *** 「顔やばいよ」 「うるさい…」 涙が枯れ始めた頃、深瀬は自身の袖で俺の目を拭いながらいつものように悪態をついてきた。 窓の外では既に後夜祭が始まっている。 深瀬はいつまでここにいるのだろうか。俺と2人でいるよりも、部活の友達や女の子達と後夜祭に参加した方が楽しいに違いない。 「後夜祭行かなくていいの?」 「福田はどうすんの」 「俺はもう少しここにいる…」 「じゃあ俺もそうする」 深瀬は当たり前かのように即答した。一緒にいてくれるのは嬉しいが、もし俺に気を遣っているようならばそれは不本意だ。 「俺のことはいいから」 「お前はまたそうやって……」 「ほんと、そんな気を遣わなくても1人で大丈夫」 俺がそう言うと深瀬は眉間に皺を寄せた。明らかに機嫌が悪い表情だ。「なにかまずいこと言ったかな」と、自分の言動を振り返ってみるが分からない。 恐る恐る深瀬の顔を見れば、彼は口を尖らせながら呟いた。 「何があったのか知んないけどさ、1人で生きてくにはこの世界広すぎんじゃねーの」 話の流れにしては壮大すぎるその言葉が、彼なりの「頼って欲しい」という控えめな主張だったということに後から気がついた。 たまに全てをさらけ出してこの感情を誰かと共有したいと思うときがある。けれどその度に恐怖心が「やめとけ」とブレーキをかけるのだ。 理解してもらいたいけど隠したい。 自分の本当の気持ちはどこにあるのだろうか。 「広いよ、広すぎて迷子になりそう…」 思わず出た弱音が深瀬に拾われることはなかった。それが偶然だったのか意図的だったのかは本人にしか分からない。 いつのまにか後夜祭の盛り上がりは最骨頂を迎え、いよいよ告白大会が始まろうとしていた。 公開告白とかよくやるよな。振られた側は地獄じゃないか。 そんなことをぼんやり考えていると、俺の思考を遮るように校内放送が流れた。 『深瀬くーん、深瀬優太くーん、いらっしゃいましたら中庭に来てくださーい』 そうだった、すっかり忘れていた。 告白大会で深瀬の名前が出ないわけがないのだ。 呼び出しを聞いた深瀬は席を立ち上がると思いきや、俺の肩口に額をぐりぐり擦り付けてきた。髪の毛が首筋にあたってくすぐったい。 それは「いや」と駄々をこねる子供のようで、思わず口が緩みそうになった。 「呼ばれてるよ」 「めんどくさい…。告白大会って自由参加だろ? もう帰ったことにすればいいじゃん」 「校内で誰かに見つかったら嘘ってバレるよ」 「そんなこと言う割にはお前、ずっと俺の膝の上乗ってるし」 「え、……あっ」 指摘されて初めて気が付いた。偉そうなこと言っておきながらこれは恥ずかしい。穴があれば入りたいレベルだ。 俺が深瀬の膝から転げ落ちる勢いで飛び降りようとした時だった。 「なにしてんの…」 「なにって?」 腰をぐっと手前に引かれ、降りられなくなってしまったのだ。 「ちょっと…、今降りるから」 「いいよこのままで」 ハニーブラウンの瞳と視線が絡んだ。2人がいるこの空間だけ切り取られたような、そんな錯覚を起こす。 今もなお流れるアナウンスは彼を呼び出すものであり、その彼は今俺だけを見ている。 優越感に浸るなと言う方が無理な話だ。 「行って欲しい?」 深瀬は口元に笑みを浮かべながら言った。 その訊き方はずるい。道理とか理屈ではなく、あくまでも俺の意思を訊いているからだ。だけどここで馬鹿正直に答えてしまっては彼の思う壺。俺はそこまで性格が良いわけでもない。 「どっちでもいいけど?」 自分の頬がひくつくのを感じた。 ちゃんとポーカーフェイスを作れているだろうか。 ふと深瀬の瞳に自分の顔が映って見えた。それがあまりにも不自然な表情で我ながら笑いそうになる。 自分では平静を装っているつもりでも、「行って欲しくない」、「隣にいて」という気持ちと、またその気持ちに気付いて欲しいという甘えが見え見えなのだ。 俺はよく深瀬のことを子供っぽいと揶揄するが、大概自分も変わらない。男子高校生の精神年齢なんてそんなものである。 なんて、これは少し達観した感想。 「どっちでもいいなら行かない」 「深瀬がそうしたいならそれでいいんじゃない」 俺は偉そうに返事をしてそっぽを向いた。 耳元で聞こえるクスッという笑い声。あやすように添えられた右手。 今回ばかりは深瀬の方が大人だった。 62 目次しおりを挟む |