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2人の背中が見えなくなったのを確認してから急いで教室へ向かった。時刻は既に15時半を迎えようとしている。約束の時間から既に1時間半経っていた。
深瀬はまだ教室で俺のことを待っているのだろうか。いっそのこと他のことをしていて欲しい。その方が少しだけ自分も救われる。

走った勢いでワイシャツの裾がズボンからはみ出るのも気にしていられない。ただひたすらに走ってようやく教室にたどり着いた。

しかし深瀬の姿は見当たらなかった。彼が呼び込みで使っていた看板が壁に立てかけてあるだけだ。

とりあえず置き去りにしていた携帯を確認する。ホーム画面には通知メッセージが一件。


『俺も』


深瀬からだった。受信した時間は13時45分。「俺も」の続きを言わないあたりが彼らしい。
いつも既読無視するくせに、どうしてこういう時に限って返信を寄越してくるのか。
胸がズキッと痛むのを感じた。


「結局深瀬君って誰と周ってたの?」


不意に教室の隅で化粧直しをしている女の子たちの会話が耳に入ってきた。


「それが誰からも目撃情報得られないんだよね」

「女子からの誘いも全部断ってたし不思議…」

「どこかで隠れながらイチャイチャしてんじゃないの?」

「絶対それだわ〜」


そこまで聞いて教室を出た。
彼は一緒に周る予定の人はいないと言っていたが、「いない」のではなく作らなかったのだ。
考えてみれば当たり前じゃないか。深瀬みたいに友達の多い人間が誘われないはずがない。周りからの誘いを全部断って俺を選んでくれたのだ。

だとしたら俺は物凄く酷いことをしてしまったのではないか。
自責の念はナイフのように心を突き刺した。


ポケットから乱暴に携帯を取り出して深瀬に電話をかける。その間も足を止めることは無く、耳に携帯を押し当てながら校舎内を駆け回った。

空き教室を過ぎたところで俺の足は止まる。よく知る携帯の着信音が聞こえたのだ。それが深瀬のものだと一瞬で分かった。


ゆっくり教室の扉をあけると、そこには背もたれに寄りかかりながら窓の外を見つめる深瀬がいた。


「深瀬、」

「待つ身は長いって本当なんだね」

「……ごめん」


謝罪の言葉は辛うじて聞き取れるぐらい震えていた。
深瀬は俺を見ると、困ったように笑いながら手招きをする。言われるがまま彼に近づけば、手を引っ張られて膝の上に座らされた。疲れていたからか、もはや抵抗する気力さえない。


「すごい汗」

「走ってきたから、」


深瀬は俺の汗で湿った前髪を掻き分けた。こめかみ、えりあしへと指を滑らせ、丁寧に汗を拭られる。それがあまりにも優しい手つきで泣きたくなった。どうせなら叱責された方がマシだ。


「時間、守れなくてごめん…」

「いいよ、別に怒ってないし。福田に振り回されるのもう慣れた」


彼はふふっと小さく笑った。そういえば、最近深瀬に迷惑ばかりかけている。宮長さんとの件もそうだった。
それでも飽きずに一緒にいてくれるということは、なんだかんだ言って好かれているのかもしれない。
なんて、このぐらいの思い込みは許されるだろうか。


「本当は会ったら不満の一つでも言ってやろうと思ったんだけど、」


俯き加減の俺を覗き込むようにして深瀬は続ける。


「そんな顔されたら何も言えなくなるじゃん」


「なんかあった?」と訊かれて思わず彼の顔を見てしまえば、抑えていたものが一気に溢れ出すかのように涙が滲んだ。

普段の俺はこんなに泣き虫じゃない。今日みたいな出来事にはもう慣れたつもりでいた。自分でもなんでこんなに情緒不安定なのかが分からない。
しかし一つ確かに言えることは、深瀬のことが好きだと気づいたときから漠然とした焦燥と不安に駆られるようになったということだ。
恋が人を弱くするというのは、あながち間違いではないかもしれない。


あの時春香と啓介の前で泣くわけにはいかなかった。それは深瀬の前でも同じだというのに、視界は意識に反してどんどん歪んでいく。

今瞬きしたら涙が落ちる。

そう思ったとき、何かに腕を引っ張られて体がつんのめった。深瀬に抱きしめられたと理解したのは、彼の規則正しい鼓動が聞こえたからだ。


それから涙はとどまる所を知らなかった。俺が泣いている理由を何も知らない彼は、それでも全てを悟ったかのようにただ無言で俺を抱きしめた。

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