6-8 春香が落ち着きを取り戻し始めた頃には隣の喧嘩も収まりつつあった。騒ぎを聞きつけた先生が先程まで喧嘩していた生徒を無理矢理連行していく。野次馬は次第にいなくなり、嵐の後の静けさが訪れた。 周囲は喧嘩のことばかりに注目し、苦しそうに涙を流す女の子には目もくれない。 これが現実だ。 この世界は俺たちに少しばかり厳しい。 ──助けて、怖い。 悲痛な彼女の叫びは、こびりつくように頭の中で響いていた。 *** 「ごめんなさい……」 「なんで春香が謝るんだよ」 「だって時間が…」 時計を見れば15時を過ぎていた。そろそろ一般観覧が終わり、本校の生徒たちだけによる後夜祭が行われる。各クラスは閉店準備に追われていた。もちろん深瀬と一緒に周るという約束を果たせなくなってしまったのは言うまでもない。 「春香が気にすることじゃないよ。春香はなにも悪くない。さ、啓介と早く帰れ。きっと雅人さんが心配しながら待ってる」 いまだに不安げな表情をしている春香の頭を撫でれば、再び彼女の目に水膜が張った。春香の性格のことだ。俺や啓介の前で泣くことは不本意なのだろう。春香は顔を隠すように俯いた。 俺はそんな彼女の嗚咽を聞こえない振りしながら啓介に呼びかける。 「啓介、春香のことよろしくな」 「…うん」 元気だけが取り柄の啓介が珍しくしおらしい。春香の心の痛みを啓介も汲み取っているのだ。こういう時こそいつものように騒がしくして欲しいのだが、さっきの今では仕方がない。 俺はシワのよった啓介の眉間を軽く小突いた。 「いつもの元気はどうした」 そう言うと啓介はますます眉間にシワを寄せる。そして抑えていたものを吐き出すかのように言葉を放った。 「なんで春香が苦しまなきゃいけないんだ…。あいつが何したって言うんだよ…」 それは悲しみから来るものではなく、悔し涙だった。指が白くなるほど強く握られた両手。切れそうなぐらい噛まれた下唇。 気持ちがわかる分この理不尽な状況が悔しい。 このままでは俺まで弱音を吐きかねない。急かすように、けれど労わるように彼らを見送った。 60 目次しおりを挟む |