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人間関係のもつれは、ひょんなことから始まるものだ。これは『ヒト』という高等生物である限り誰にでも起こり得ることであり、むしろその経験から絆を深められることだってあるだろう。必ずしも負の感情ばかりではないのかもしれない。


いや、そんなわけないだろ。
負の感情ばかりだ。むしろ負の感情しかない。
誰だよ『高等生物である限り〜』とか言って格好つけてるやつは。

しかし、これだけは確実に言える。

こういうのは早めに解決することが大切だ。
ズルズルといつまでも引きずっていたって仕方がない。

勢いよく教室に足を踏み入れた俺は、ある男の前で腰を90度に曲げて謝罪した。


「深瀬!ごめんなさい!」

「……朝からうるさい。なんのこと?」


深瀬は耳を塞ぎながら心底うざそうな顔をした。低血圧の彼はいつにも増して睨みが利いている。

『なんのこと?』だと…。
気にしていたのは俺だけということか?
なんか、それはそれで寂しいような。
俺なんて昨日の夜は枕を濡らしながら寝たんだぞ。啓介に気持ち悪がられたぐらいだ。


「だって、ほら…俺、お前に酷いこと言ったし…」

「そうだっけ」


深瀬は俺と目線も合わせずに席を立つと、そのまま教室を出て行ってしまった。
あんな彼を見たのは初めてだ。まるで興味無い、というような冷酷無情な顔。
まだ罵倒を浴びせられる方がマシだった。

空席になった前の席を見つめること数秒、途端に悲しみが押し寄せてきた。
自業自得。
そんなことは分かっている。
収拾のつかない自己嫌悪に駆られ、痛いぐらい下唇を噛みながら机に突っ伏した。


***


それからというものの、彼は俺に対して他人行儀な態度をとるようになった。
挨拶をすれば返してくれるし、話しかければ答えてくれる。しかし、全ての会話がどこか事務的なものばかりなのだ。
よそよそしくなるのが嫌で施設にいることを隠しているのに、これでは元も子もない。


「深瀬、ノート忘れちゃった」

「はい」

「………ありがとう」


本当は忘れていない。現に俺のノートは机の上に出ている。
いつもなら俺を責め立てるような言葉の1つや2つ吐くくせに、今日はスッと紙を一枚渡されるだけだった。
なんの変哲も無いその会話が俺にとっては酷く寂しい。


「い、一緒にお昼食べない?」

「先客がいる」

「じゃあ、今日一緒に帰ろ…」

「部活なんだけど」

「終わるまで待ってるから」

「あのさぁ、俺には部活の友達もいるんだよね」


(正直鬱陶しい。お前ばかりに構ってられるか)
最後の言葉に隠された意味はこんなところだろうか。まるで取り付く島もない。
しかし、ここで引き下がればいつまで経ってもこのままだ。
なんとなく、ここで諦めてはいけないような気がした。

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