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***

「やべー、紫式部しか分からなかった」


全然やばそうじゃない口調で羽柴が言った。
というか、多分紫式部を書かされる問題なんて無かったぞ。お前、古典作品の著者とか全部「紫式部」って書きそうだもんな。
どれか1つは当たってるだろ、的な。

そう、ようやく期末テストが終わったのだ。

テスト期間中はあらゆる娯楽を我慢していたため、最後の科目が終わったこの瞬間は気持ちいいぐらいに開放感がある。
クラスメイト達はやれカラオケだの、やれゲーセンだのと、皆気分が浮かれまくっているのだ。深瀬も例に漏れず、チャイムが鳴った途端に速攻で部活へ行ってしまった。
ちなみに俺はというと、テスト勉強は前日に追い込みをかけるタイプなのでかなり寝不足だ。
そんな元気など無い。

このまま帰るのも良いけど、少しだけ机に突っ伏してようかな…。

筆記用具を片付けながらこの後どうしようか考えている時だった。


「福田君おつかれ」

「あ、お疲れ様」


いつもと変わらない朗らかな笑顔をした宮永さんに話しかけられた。寝不足でやつれている俺とは対照的だ。
こうして話すのは体育祭以来かもしれない。
深瀬とのやり取りもあり、なんだか気まずいと思ってしまう。


「もう手の傷は大丈夫なの?」

「うん、おかげさまで。幸い左手だったから、そんなに困ってないよ」


宮永さんは俺を安心させるかのように手をぶらぶらさせた。しかし、包帯はいまだに巻かれたままだ。左手とは言えど、1番よく使う手が不自由なのは不憫でならない。
俺は言葉を選びながら「おだいじに」と声をかけた。


「あのね、お礼って言うほどでもないんだけど…今日、琴部見に来ない?和菓子とお抹茶ぐらいしか出せないかもだけど…」


「どうかな…?」と遠慮がちに聞かれた。
以前教室で話したときにも誘われたことがあったが、なかなか機会が無くて実はまだ一回も行ったことがないのだ。
正直、今日は寝不足で疲れていた。
しかし、せっかくの好意を断るのも気がひける。
どうしようか…。


「あ、忙しかったら無理しなくて大丈夫だからね…?」

「え?いや、全然忙しくない!うん、じゃあお邪魔させていただきます」


俺がうだうだと悩んでいるから、宮永さんに余計な気を遣わせてしまった。
申し訳なさから思わず承諾してしまったが、今日は特に用事も無い。たまにはこういうのも良いだろう。

俺は机に散らかったプリントを急いで鞄に詰め込み、そのまま宮永さんと茶道室へ向かった。


***


「うわー、なんか趣があるね…」

「そんな新鮮かなぁ?」


物珍しそうに辺りを見回す俺を見て、宮永さんは眉を下げながら笑う。
茶道室は俺が想像していたよりもかなり本格的だった。障子からは僅かに日光が差し込み、難しい漢字で書かれた掛け軸には侘び寂びを感じる。
こういう清楚で質素な日本独特の美しさに感慨を覚えるくらいに、俺は日本文化が好きなのだ。

1人でいっちょまえに感動していると、先に部屋に上がっていた宮永さんに話しかけられた。


「もうすぐ他の部員も来ると思うけど、気にしないでそのまま寛いでていいよ。琴部は1年生しかいないし…」


そう言われてもなぁ。
なんか場違いな感じがして、やはり気を遣ってしまう。どこに座ればいいのかも分からない。
結局俺は掛け軸に近い場所で腰を下ろすことにした。

そうこうしてる間に宮永さんはせっせと琴の準備を始める。
琴って結構大きいんだな。素材は木だし、重さもかなりあるだろう。


「琴は俺が運ぶよ。どこに置けばいい?」

「え!そんな悪いよ」

「手、早く治るといいね」


宮永さんは俺が言いたいことを察したらしく、申し訳なさそうに「ありがとう」と言いながら引き下がった。
怪我人に重たいものを持たせる訳にはいかない。

すると程なくして数人の部員たちが茶道室に入ってきた。
最初は緊張したが、誰かが茶道室を見に来ることは珍しくないようで意外にもアットホームな雰囲気だった。


***


「つまらない物ですが…」

「なんかすみません…」


正座をしながら琴の音に耳を傾けていたら、和菓子と抹茶を頂いてしまった。
ここまで至れり尽くせりにされると逆に申し訳なく思ってしまう。

これ以上長居するのも迷惑だしそろそろ帰りたい。というか、足が痺れてきた…。

日頃から正座をすることが滅多に無い俺は、意識すればするほど足の痺れが気になってしまう。少しでも紛らわそうと重心を変えてみたりしたが、よくなる気配はない。
宮永さんはもじもじしてる俺に気づいたのか、「歩き回ると良くなるよ」と、笑いながら声をかけてきた。
もじもじがバレて恥ずかしい。


「じゃあ、ちょっとトイレに…」


歩き回るついでにトイレへ行くことにした。
実際尿意はあったので良いタイミングだ。


「あれ?福田じゃん」

「おぉ、偶然だな」


トイレを出た廊下で、竹刀袋を肩にかけた深瀬とばったり遭遇した。


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