音なき幕開け


夏休みが終わり学校が始まった。二学期は体育祭文化祭テストその他もろもろで忙しい。それなのに余計な業務が入った。……入ったは正しい表現ではないな。残してしまった、が正しい表現だ。
生徒会長である私の二学期最初の仕事は夏休みにボイコットをしてしまった他校との交流会への謝罪だった。それぞれの学校に向かって謝罪をし、本来交流会で話をするべきだった内容を簡単に交わす。それを二学期に入ってずっとしていた。放課後毎日やっていた。
本音を言えばめんどくさかった。やる必要ないんじゃないかと思うが、並盛の発展に繋がりえることはやらないと許されない。怖い存在が黙って瞬きせずにずっと凝視してくるのだから。
いっそうのこと何か喋ってくれ。無言は怖い。


なので毎日放課後を駆使して身近な学校に寄っていた。どの学校もそこまでして話すことはなかったらしく、憐れみと同情の視線をくれた。私も逆側の立場だったら別に大したこと話してないから来なくていいよ、てなる。そもそも交流会なんて好きでやっているわけじゃないんだから。仕方なくやっているのであって、待ち遠しいと楽しみにしているモノ好きは少ない。


イタリア旅行から帰ってきて、二学期始まって以来初めての金曜日。ここでようやく終わる。

最後の行き先、最後まで残していた学校、それは……


「……黒曜中」


重い足取りで黒曜に向かう。行きたくなくて最後にしてしまった。嫌なことは最初に終わらせたかったのに黒曜は最後まで残してしまった。

黒曜には会うことができない人がいる。会ってはいけない人が住んでいる。それを考えると怖くて足がすくんでしまったのだ。


絶対にお母さんの視界に入ってはならない。


この真っ赤な髪は遠目でも私だとわかってしまうから。


もうこれ以上、両親との溝を深くしたくないのだ。


ふっ、と面白くもないのに口元が緩んだ。
なんでだろう。


今日の行き先は黒曜中学校。お母さんと遭遇することなんてない。











黒曜中に一人で来るのは結構なことだと私は思い知った。
壁には汚いラクガキ。窓は割れていてガムテープで修理してある。廊下にはポイ捨てされたゴミ。自分の通う学校をここまで汚くすることができる生徒たちの頭の中身を見てみたい。自分の教室や歩く廊下をゴミで汚して見窄らしくする理由とはなんなのか。不快なのは汚した己だろう。この空間で一日の三分の一は過ごすんだよ?
黒曜中が悪い噂の絶えない学校だと言うのは知っていたけれどここまでの荒れ具合だとは知らなかった。他校の制服を指定どおり着込んでいる私は浮いていることだろう。飛んで火に入る夏の虫だ。黒曜の悪い連中を何も知らない無知な弱者。人生初のカツアゲに遭いそう。

生徒会室までの案内も誰もしてくれない。確か一週間ほど前に電話した時に、黒曜中の生徒会長の日辻さんから

『最近の黒曜はみんな更生して校内の雰囲気もとても良いので是非訪れてくれ』

と軽快にお誘いを受けたのだが。見て欲しい、とぐいぐい電話口では誘われたはずなんだけど。

それを踏まえて私は今まで通ってきた校門や玄関、廊下を脳に浮かべる。


どこがだよ。


バリバリ割れた窓に人気のないところで行われているいじめにパシリ。指定どおり制服を着ている生徒の方が少ない。私のような弱い生徒はこそこそとターゲットにならないように身を縮めて生活している。何もしていないものが日陰に追いやられている。放課後なのに部活をしているところがほぼない。


……帰りたい。


はあ、とため息をつく。以前行った交流会で会話した限り、日辻さんは私たち普通の人間と同類だと思っていたのに。普通の常識を持った人間。私と生徒会長になった理由は全然違くて、憧れだったと語っている姿はとても輝いていた。私のように拒否権なしに押し付けられたのではなかった。
常識人だと思っていた生徒会長さんは校門にお迎えに来ているかと思いきやいなかった。私が一人で入校手続きをして、事務員さんに口だけで案内された生徒会室に頑張って向かっている。敷地に足を踏み入れてからずっと黒曜中生徒には凝視されている。あるものは “なんで並中生が?” といった典型的な視線。あるものは自分のテリトリーに部外者が入り込んできたことをよく思わない視線。あるものはとある風紀委員長にボコボコにされて並中を恨んで憎んでいるものの視線。私はその人と無関係なので報復はやめてください。

……冷や汗が出てきた。まだ9月上旬だというのに。夏服着てても暑いというのに寒くなってきた。
生徒会長、と記されている腕章を隠すように握って私は早足で生徒会室に向かった。





ようやく見つかった生徒会室。ここに来るまで何年か寿命が縮んだ。なぜイタリア旅行していたのか、過去の自分を恨む。ディーノさんのプライベート時の気が緩んでいる姿を見れたのは気絶しそうになるほど嬉しかったが。……イタリア行かなければ金髪少年にも会わなかったのに。あちらはもう忘れているだろうが私はまだ血の匂いを覚えている。


………ここは、日本。そんなこと起こらない。


ふう、と一度深呼吸して扉をノックする。中から声がしたので扉を開けた。


大丈夫。
黒曜の生徒会長の日辻さんはまともな人だったから。
あんなことはもう二度と起こらない。


「失礼します」


生徒会室にはちゃんと人がいた。だけど一人しかいない。黒曜は並盛とは違って、副会長など生徒会本部の役員は全員ちゃんと揃っていたはずなんだが。

中に入って一礼した。


「並盛中学校生徒会長の…………………」


顔を上げて一応名前を名乗ろうと口を開いたが途中で言葉を失ってしまった。
日辻さんのことは見たことある。だから、顔はなんとなくだが覚えているのだ。
しかし目の前にいたのは日辻さんではなかった。私に背を向けていて顔はわからない。外を眺めている。

それでも、私はこの人と会ったことあると確信できた。

男の人が振り向いて─────


「ようこそおいでくださいました。僕は黒曜の生徒会長代理を………………」


私と同じように自己紹介の途中で止まる。

特徴的な、こんな髪型をする人は他にいないであろう髪のセット。青い左目。


「紗夜、ですか?」


前髪で隠されていた右目が見えた。赤い瞳に六と書かれた特徴的な右目。彼を見るときに一番に視界に入る、普通の人とは異なる右目。


「うそ…………っっ」


会えるとは思わなかった。あの日以来見たことがなかった人。現実では一度も会えたことのない、私が限界の末に生み出した産物だと思っていた。


「……ありがとう、ございます……っ」


気がついたら私は地面に座り込んで涙を流していた。

嬉しかった。この人がいる限り私は一人ではないのだから。この人の存在に私は救われたのだから。


しゃがみこんで音もなく涙をこぼす私に、六の文字を持ったオッドアイさんは私の頭を撫でて小さな声で囁いた。


「がんばりましたね」


さらに涙が出てきそうだったが堪えて、私は小さく、微かにだが首を縦に動かしたのだ。