角を曲がれば違う国


イタリアと日本には時差があることを最初から知っていたはずだった。時差ボケをなくそうと頑張って睡眠リズムを正していたんだがいつの間にか時差があることが頭からすっぽ抜けていた。そもそも旅行のことで頭がいっぱいで生徒会のことなんて忘れていた。
つまり何が言いたいかというと……夏休みにも生徒会活動があったのだ。なんで夏休み終了間近にやるんだか。一ヶ月以上も休んでいたら生徒会のことなんて忘れてしまうよ。他校との交流会なんて。並盛には生徒会本部私以外いないから欠席扱いになっているんだろうな。やべえ。あはははははは。
帰国してももう遅い。日本時間に戻すとちょうど終わった時間だ。開き直ってイタリア満喫しようか、と朧げに考えながら鬼に電話をした。ごめんなさい、と理由は言わずに謝った。旅行行ってて忘れていましたなんて正直に白状できるわけがないのだ。












二日目のイタリア観光。朝は大変なことを思い出して電話したりでドタバタしていた。ディーノさんも急に用事が入ってしまったらしく部下共々バタバタしていた。観光案内できないから部下の人と一緒に行ってくれ、と言われたが断った。ほとんど話したことのないほぼ他人のような関係の人と出かけるとか無理。ディーノさんがいたから昨日は部下の人も一緒にいれたわけでディーノさんがいないと無理だ。ディーノさんに近い立場の部下はディーノさんのお手伝いをするらしく、私の案内かつ護衛は数回しか話したことのない人たち。流石に見たこともない部下の人を割り当てはしなかったが数言しか交わしたことがない人をくれても困る。
ということで全てを断った。ディーノさんはとても渋い表情をして私にいくつか約束事を取り付けた。


街から出ないこと

人が少ないところ、暗いところには行かないこと

何かあったらすぐに電話をすること

明るいうちに戻ってくること


ディーノさんと電話番号交換しちゃった。嬉しくて気を緩めてディーノさんの前でニヤニヤしちゃった。目の前で気持ち悪い顔を晒してしまったことに、はっ、とディーノさんを見上げたら両手で顔を覆って天井を見上げていた。直視できないほど気持ち悪かったかな!?


そんなこんなで今は一人で観光中。イタリア語はディーノさんにいくつか教えてもらって、お買い物に使うような言葉を紙に書いてもらってなんとかやりとりをしている。
たくさん買って食べた。イタリアにまた来れるかはわからない。ハメを外してたくさん購入しちゃった。食べ物に服にアクセサリーに……たくさん。


「……獄寺くんにだけはお土産を買って行こうか」


獄寺くんが譲ってくれたんだよな。とても頭にきたけれど殴ってしまったお詫びも兼ねて何か購入していこうかしら。他は……どうしよう。恭弥に他校との交流会サボって旅行していたなんて言えないからお隣さんには買わない。綱吉や山本くんには……買おっ、かな。友達に、お土産買ってくのはおかしく、ないよね。


「……えへへ」


初めてだ。昔はどこかに遊びに行くと友達にストラップとか買ってきていたけれど今はないから。親しい友人いなかったし旅行もなかったし。……なに、買おう。

食べていたジェラートのゴミをくしゃりと丸めてゴミ箱に捨てる。ディーノさんに絶対食べてみてくれ、と熱弁されたお店のジェラートは美味しかった。イタリア楽しいな。


お金もまだある。何買おっかな、とみんなへのお土産を思案していると目の前を走っていった人が何かを落とした。なんだろう。拾ってみたら……やべえ、関わっちゃいけない臭がする。


「……もういないし」


落としましたよ、のイタリア語は教わってないけれど話しかける時のイタリア語はカタコトだがディーノさんから教えてもらっていて喋れる。これどうしよう。一応、出来る限り触れないように人さし指と親指でつまむ。できれば指紋も残したくない。


「……大切にしてるよなぁ」


家族写真。父親と母親と幼い子どもの写真。幸せそうに微笑んでいる幸福の象徴である写真。ただ真っ赤に染まっているけれど。赤い液体が垂れているけれど。今ついたばっかりらしい。


「……キャバッローネファミリーの人かな?」


キャバッローネファミリーの人を全員覚えているわけがないからなんとも言えない。眉を寄せて男の人が走っていった方向を眺める。

……行こう。

ディーノさんが出るな、と言っていた境界線から出てしまうが少しぐらいならいいだろう。


私は決心して足を踏み出した。


「………え?」


ディーノさんとの約束事を破った瞬間大きな影が私の上を過ぎていく。俯いていたからでかい影が過ぎていったことがわかっただけで音は何もなかった。


「おっきい鳥がいるんだなぁ」


空を見上げると鳥の姿はどこにもなかった。

ここが引き下がるラインだったんだ。私が今から行くところは何にも守られていない無法地帯。守ってくれるものは何一つない世界だったのだから。











「あのーー……誰かぁ、いませんか……」


尻すぼみになっていく声。写真に血がついていたからもしかしたら地面にも血痕がないかな、と冗談で視線を下げたらぽたぽたと道標のように残っていた。どこに行ったかは丸わかりだ。相当な出血だと思われるキャバッローネファミリーの構成員(仮)さん。小さい頃に読んだ絵本みたいだな。お菓子の家が出てきたお話。あの絵本は石とパンだったが、私は血痕を手がかりにしている。

いつの間にか人がいない暗いところにまで来ていた。ディーノさんとの約束事その2まで破ってしまった。
怖くなってきゅっと唇をかたく結ぶ。よくよく考えればディーノさんのお家で渡せばよかったんだ。落とした人がわからなくてもディーノさんに聞けば届けてくれただろう。急いで追う必要は全くなかった。
腕にかけている袋が邪魔だ。重さはそこまでないんだけれどたくさんのお店の紙袋があるからかさばる。


次の曲がり角を曲がって見つからなかったら戻ろ。


「すみませぇん」


ゆっくりとはじっこを歩いて曲がると────


「あ?」


錆びた鉄の匂いが広がっていた。反射的に鼻と口を覆う。


「オマエ、見たことないけど殺し屋? ……な訳ねえか。弱そうだし」


気持ち悪い。胃から何かが逆流してきそう。
充満された錆びた鉄のにおい。この臭いが何によるものかはバカではないからわかる。


「王子の通る道にいんじゃねーよ」


キラリ。銀色のオリジナル形状であるナイフが光をはなつ。


「こいつ最近ここらで大量に殺ししてるから強いかと思ってたんだけどとんだ期待ハズレ。……お前強い? 王子を楽しませろよ」


嬉しいことに全て日本語で話してくれる。私が日本語を話していたからかな。イタリア語だったら何を言ってるかわからないから、ただ臭いと目の前の男性に怯えるだけでよかったのに。


「んなわけねーか。んじゃっ、見られちゃったし……オマエサボテンな」


じゃらっ、と数え切れないほどのナイフを一瞬で出した少年。
言葉が軽い。平然と何事もなく楽しそうに言いのける。

脚が震える。力が入らない。逃げることもできない。

少年が腕を軽く上げた。全ての動作が緩やかで人の命をなんとも思っていないのが私でもわかった。こんな人が、平凡な少女の命を前振りなしに奪うのだ。


また、? また、私は、命を失うの?

途中で? また、何もできないで?


少年は手首のスナップを利かせてたくさんのナイフを一直線に放った。その先にいるのは私。


なんで、私、ばっかり


カキンッと甲高い音が一度だけ響いた。ナイフは全て同じ速度で当たる瞬間も全て同じ。


「……ふ〜ん、オマエ、ウンいいな」


少年は「ししし」と特徴のある笑い方をする。髪で隠されていない顔の下半分が口でいっぱいになる。白い歯が眩しかった。

少年は標的であった私にナイフを投げた。だが当たったのは私を過ぎた先の鉄管。
少年はしゃがんで私に顔を近づける。顔の上半分は前髪で隠されていて何もわからない。だけど楽しそうなことだけは雰囲気からもニッと開かれている口からもわかる。


「オマエ、名前は?」


声が出ない。
私がナイフを避けれたのは足から力が抜けて座り込んでしまったから。タイミングが良かっただけ。目の前の金髪の人が言うように運が良かっただけなんだ。


「王子が聞いてんだけど」


ぶらぶらと銀色のナイフを目の前で振る恐怖の権化。この人のせいで私は喋れなくなっているのに……!!


「5秒以内に答えなかったらコロす」


カウントダウンし始めたナイフ野郎。ご、よん、とどんどん数字が減っていく。それでも私の口からは声が出ない。ぱくぱくと唇が動くだけで、声は何も出なかった。代わりに涙はたくさん出てきた。


「さーん、にぃー」

「……ぁ、」

「いーち」


今度は私が何をしても避けれないように少年は私の首にナイフの先端をつけた。皮膚は切れたが血はギリギリでない状態で男の人の唇が開かれようと────


「紗夜……!」


ゼロのゼの部分でようやく声が出た。それでもようやく出た声はとても小さくて震えていて情けないものだった。


「鳴神、紗夜っ」


今も血のにおいは充満している。前髪の少年の後ろにはきっと…………。
見たらいけない気がする。このナイフのイカれた少年がいるおかげで私はむごい光景を知らずにすむ。

震えながらもなんとかフルネームを出せた。目の前の男が人殺しであるのに本名を教えてしまった。殺人犯に本名を知られて、国籍も既に知られている。逃げ場を失ったのと同じかもしれない。口封じのためにいつ殺されるのかとこれから毎日怯えなくてはならないかもしれない。それでも、今、生きれれば。

震える瞳ですぐ目の前にある顔を直視する。ニッと顔半分を覆うほど大きく口が開いた。


「ししししし 王子今日ご機嫌いいから見逃してやんよ」


音もなく目の前から消えた。跳躍したらしく屋根の上をぴょんぴょん飛んでいくナイフ野郎。

私の視界を遮るものがいなくなったことで見える赤い血溜まり。吐きそうになるのを堪えて地面を這って角を曲がる。


「………………ふっ、はっ」


荒く呼吸を繰り返す。

私の世界とは違う世界。真っ赤な血溜まりに臭い。私が知らなかった…………………いや知っている? あれ? 私、これ経験したの初めてじゃ……………………。


ひらりと持っていた写真が地面に落ちた。
親切心で追いかけたのに裏切られた気分だ。


私は忘れることができないだろう。
金髪のストレートに長い前髪。頭には飾りとしてティアラを身につけていた同い年ぐらいの少年を。チェシャ猫のような独特の笑い方。血の匂いがまとわりついていた少年を。

違う世界で生きている少年。殺しをなんとも思わない少年。

私たちは違う世界で生きてはいるけれど同じ地球に共存している。


「早く……っ、去らないとっ」


私は何も見なかった。何も知らない。

おぼつかない足取りで後にした。


どうやってディーノさんの家に帰ったかもわからない。ただその日は荷物を全て現場に忘れてきて用意してくれた部屋に閉じこもっていた。
その日のうちにディーノさんから私がショッピングして購入していた荷物を渡された。優しい顔で頭を撫でられて。どこまで知っているかはわからないけれど殺人現場を目撃したことは知られているんだろう。問い詰めることなく頭を撫でてくれたディーノさんに収まっていた涙がじわりと浮かんでしまった。