わたしのばらに水やりしないで


「ねえねえ恭弥〜、これとこれはどっちが似合うと思う?」

「そっち」

「これとこれは?」

「そっち」


楽しい楽しいお祭りが待っている。毎年のことだが大体は参加している。数日間に渡ってのお祭り。今日は最終日だ。
今年はいつもと違って浴衣を持っている。新品の浴衣を恭弥に見せて何が似合うかな、と相談すると興味なさそうにどちらか片方を指さしてくれる。興味なさそうというより興味ないのだろう。だけど適当に片一方だけを指ささない。右左ちゃんと指さす方向を変えてくれている。順番でもない。それだけ見ると私に似合う方を選んでくれているのかな、とも思うが恭弥は本から一切顔を上げずに選んでいるんだよね。


「これとこれ!」

「そっち」

「わかった!」


これに決めた! 恭弥が選んでくれたやつを絞って絞って身につけるものを決めた。適当かと思って何回か試したがちゃんと同じ回答をくれるんだよね。顔あげないくせに。
選ばれなかった他の浴衣はまた違う日に着るのでクローゼットにしまっていく。


「恭弥は浴衣着ないの?」

「着ない」

「似合うのに」


無言。まぁ、いいけれど。学ランでも洋服でも好きなのを着てください。なんでも似合うんだから。


「あっ! 恭弥やらかした!」

「何を」

「浴衣着付けできない」


和服は着付けできないのだ。いつもいつも毎度のこと。恭弥は最初から分かりきっていたらしく立ち上がった。
「お願いします」と決めた浴衣を持ってカバンとか髪飾りを手にして自宅を出た。鍵をしめて向かったのはお隣さん。雲雀と記されている表札がかけられた門をくぐった。










恭弥のお母さまに着付けをしてもらって今は恭弥に髪の毛をアレンジしてもらっている。「要望は」との声に「がんばれ!」と返したらいつものように無言で始めてくれた。いや、違うよ。髪の毛が結べないわけではないよ。簡単でシンプルなのはできる。


「浴衣買ったんだ」

「んっとね、買ってくれたんだ」

「は?」

「いっ!!」


髪の毛を思いっきり引っ張られた。痛かった。だけどやってもらっている身分で文句は言えないので黙って正座のまま待つ。


「父親が?」

「ディーノさん」

「……そいつ誰」

「あれ? 恭弥知らないっけ?」


いつのまにか恭弥の声がぞっとするほど低くなっていた。手も止まっている。振り向いたら危険だとわかっているので何も気づかないふりしてヘアアレンジ終了を待つ。新品の浴衣に汗が滲みそう。


「だれ」

「……その、いつか会えたらいいね!」

「……あれ、全部そいつに買ってもらったんだ」

「……うん」


ディーノさんの説明長くなりそうだったから省いた。そしたらそれ以上の尋問はなかった。無言で重い空気を出しながら髪の毛を梳かして結んでいってくれている。


「えっと、……飾りもつけてほしい」

「これも僕の記憶ではなかったはずだけど」


何かに怒ってはいる。それはわかるんだ、だけど何に怒っているかはわからない。


家に入ったこと?

最強様に髪の毛を結んでもらっていること?

早くお祭りに行って問題のひったくり犯を捕まえたいのに時間を取らせていること?


雲雀家には何度かお邪魔しているし髪の毛もはじめてではないので怒る原因は最後のひったくり犯だ。
恭弥が怒るとお祭りでいろんな人が被害に遭う。風紀委員はもちろん、屋台を出している皆さんが。ピリピリしている恭弥を気遣う風紀委員。屋台を出す害のない一般人に八つ当たりをすることはないだろうが、苛立ちは隠さない。土下座したくなってしまう。命乞いしてしまう。


「あの……」


手に汗が滲んでくる。首元が涼しくなっているのに汗が止まらない。暑いはずなのに寒い。


「時間取らせてごめんなさい……」


恭弥の動きが止まった。背を向けているのでどんな表情をしているかはわからない。だけどこれで私以外の人に怒りを出すことはしないでほしい。ここで不機嫌さを直していってほしい……!
唇を引き結んで重い沈黙に耐える。後ろからカランッと音がした。


「いっっ!!」


ぶすっと思いっきり髪飾りを刺された。わざとだろうというぐらいの強さ。生理的な涙が浮かんでくる。


「行くよ」

「……はい」


機嫌が直ることはなかった。ひったくり犯に関しては相当腹を立てていて、捕縛する時間を奪った私にも怒ってて。

歩幅はいつも通りなんだが早足でスタスタとお祭りに向かっていく恭弥。慣れない浴衣と履き慣れない下駄(こちらもディーノさんが買ってくれた)を履いているからついていくことができない。
浴衣が崩れるから大股でも歩けない。恭弥を怒らせるとめんどくさいな、と少し立ち止まっていたら問題の人は戻ってきたらしく、無言で一度視線を足下に下ろしてまた歩き出す。浴衣と下駄で歩きづらいということが伝わったのだろうか? だがなぜかまた怒らせてしまったらしく眉間にはさらにシワが寄っていた。けれど歩幅も歩行スピードも私に合わせてゆっくりになってくれたので私は気まずい中、恭弥の後ろをついていった。







普段は閑散とした神社が太鼓や人の声で賑わっている。ソースに甘い砂糖菓子の匂い。きれいな夕焼けにカンデラの灯で明るい。色鮮やかな人々が行き交う中、一つの集まりだけは黒と白のモノクロカラー。


「あの……委員長はどうしたのでしょうか……」

「……ごめんなさい。怒らせました」


その集団はもちろん風紀委員会。学ランに風紀委員の腕章。お祭りの日まで制服を着込んでいた。紗夜と雲雀は無事に神社にたどり着けたが雲雀の機嫌は直ることも悪化することもなかった。
雲雀の目を盗んで草壁に問われた紗夜は素直に頭を下げる。怒らせた原因が紗夜であることに間違いはないのだから。


「いったい何を……?」

「……ひったくり集団の追跡で忙しいのに時間を奪いました」


眉を下げてもう一度紗夜は謝罪した。表情から本当に申し訳ないと思っていることが草壁にも伝わる。艶やかな浴衣と可愛らしい風貌には似合わない表情。
困り果てたように眉を寄せている紗夜に草壁は思わずあっけらかんとなってしまった。


「え? その理由では委員長は怒りませんよ?」

「はい? でも他に心当たりは…ない……よな?」


草壁の知る雲雀はその程度で怒る人間ではなかった。もちろん風紀委員会やその他の人間が雲雀の時間を奪えば制裁が来るだろうが紗夜に対しては違う。紗夜が雲雀の時間を奪おうが彼は表面上は不愉快になっても本気で怒りはしない。苛立ちを引きずることはない。
うんうん悩む紗夜に草壁は頭を押さえて長い嘆息をしてしまった。


「(いつになったらわかるんだこの人は)」


雲雀の想い、それは誰にもわからないが紗夜だけは特別好待遇であることは皆が知っている事実。雲雀が紗夜関係で怒ると言ったら数少ないことは草壁はすでに把握している。一年と少し、短い期間だが紗夜と雲雀を見てきたのだ。


「いいですか鳴神さん。委員長が怒っているのはですね、きっと、」

「なんで無駄な時間を過ごしてるの」


ぴしりっ、紗夜と草壁は同時に表情が凍った。鋭く磨かれた、触れるだけで致命傷を与えられるような棘がついた声。紗夜と草壁は冷や汗を流しながら顔を向ける。
誰がいるかは明々白々だったが、想像通りの人物が。なにも感情がのっていない無の表情の雲雀がいた。

二人は同時に死を覚悟した。草壁も普段は気をつけていた。紗夜に近寄りすぎないように万全の対策をしていたのだが雲雀の不機嫌さを雲雀に聞かれぬように聞き出すためには近づいてしまった。尊敬する委員長の手には黒いトンファーが握られている。


「(やはり怒っているのは時間とかではなく……)」


己の顔に勢いよく向かってきているトンファー。遠慮会釈もない迷いない一撃。


「(あなたが委員長以外の人と親しくしたからです)」


真実を紗夜に伝える前に脳天に衝撃が走り身体は吹っ飛ぶ。その場一帯に広がる轟々とした音を出して大木にぶつかった。


「「「「「……………………………」」」」」


全員が手を止めて息を潜めた。理不尽な不機嫌さで副委員長に鉄槌が下った。理由は雲雀のすぐ近くで顔をこわばらせている紗夜だと皆すぐに理解する。


「……そのっ」

「……………………行くよ」


次は自分か。震えた声で紗夜は雲雀に話しかける。だが雲雀は紗夜を一瞥すると表情を変えることなく怒ったまま出店のお金の徴収に出ていってしまった。慌てて紗夜はついていく。ついていく必要はないがついてこいと命令された手前、行くしかなかったのだ。