紫煙は空に消え行く
並盛では二学期の中間テストが少し前に行われた。もちろんどこの学校とも同じように点数の低かったものにはそれ相応のものが与えられる。赤点を取った生徒は今回も当たり前のようにいて、補習を受けたり周りより多い課題を出された。
みんながひいひいと勉強する中、オレは関係ないと涼しい顔でいるものも当たり前のようにいる。赤点さえ取らなければ補習はない。
そもそも赤点以前の問題で、彼にとって並盛中のテストで100点を取らない人間の方が理解できなかった。あんなに簡単なテストでなぜみんな間違うのか、わかることはなかった。口に出さないのは尊敬する人が赤点常習犯だからである。
今日の昼休みも補習組はどこかに呼ばれてしまった。いつも一緒の尊敬する人とどうでもよい人が補習なので一人になってしまった男はうるさい声を無視して屋上に向かう。
タバコをふかしながら屋上に続く扉を開くと────
「げっ」
先客がいた。
先客も扉が開かれた音と嫌そうな声に人が来たことがわかり目を開いて身体を起こす。
「鳴神……」
「獄寺くんか」
ふぁああ、と大きくあくびをした紗夜は寝ぼけ眼で獄寺を視界に入れる。お昼寝をしていたらしい。「ねむ」と呟いた紗夜はまたそのまま地面に倒れ込む。目を閉じたり開いたりと葛藤はしたが眠気には勝てなかった。彼女らしかぬ姿。体面を良くする紗夜は絶対に大衆には隙のある姿を見せることはないのに。
そんな紗夜をじっと見下ろすのは獄寺。転入初日からずっと視界に入っている鮮やかな赤が地面に散らばっている。どんなに有能な職人でも紗夜の髪色に勝る赤色を作り出すことはできない。平凡な学校に不釣り合いの髪色。どこからでも目立つ紅色は見つけやすいし染めるにしてもここまでの鮮やかさにはできない。獄寺にとって地毛だという証明にはそれだけで充分だった。転入して話したことも見たことも興味もない一般人に声をかけた理由は今になっても本人ですらわかっていなかった。咄嗟に口から出ていたのだ。
「……あれ、」
「なんだよ」
「うぅん……」
隣に座った獄寺に紗夜は一度だけ目を開いたがすぐにまた瞼をくっつける。隣というより上だろうか。頭のすぐそばに獄寺がいる。
こんなにも広い屋上でわざわざ獄寺がすぐそばに座るとは思っていなかった。嫌われていない自信はあったが好かれていない自信もあった。獄寺にとって自分はいてもいなくても関係ない存在だと思っていたがそうではないらしい。いや、関係ないから紗夜に配慮することもなく日陰であるここに座り込んだのかもしれない。
獄寺は数ヶ月経った今でもきゃあきゃあうるさく騒ぐ女子から逃げてきたのだ。屋上に人がいて最初は悪態をついたが相手がわかれば何ともなかった。容姿について騒ぐことはないし大体いつも微笑んでいる。自身に見せる笑みがほとんど困ったような笑いなのは承知していた。それでも紗夜はうるさくないし一学期は席が近かったからよく話す部類だった。女子では一番気の許せる相手でもあった。紗夜と共にいると静かだ。それは心地よかった。
彼女は何か違うのだ。普通の女子と何かが違う。何か、何かが決定的におかしい。
「……………………」
「なんだよ」
不意に視線を感じた。紗夜がじっと見ていたのは獄寺が咥えているタバコ。煙は上にあがり、獄寺の口からも細い紫煙が。
「お前もうるさい奴らみたいにタバコはどうこうっていうのかよ」
雲雀に了平、二学期になってから連続でタバコを注意されている。だが当たり前のこと。未成年なのだから。イタリアでも日本でも13歳の中学生がタバコを吸うことは許されることではない。知っていながら許している紗夜含めた並中生は本来なら許される立場ではない。それに紗夜は生徒会長。注意する立場だ。校則に風紀が乱れ健康を害する。
獄寺の眉間には縦じわが寄る。いくら注意されようが吸うものは吸う。それはニコチンを得るためだけではなく、獄寺の武器、ダイナマイトをいつでも使用できるようにするためだ。いつなんどき敵が現れるかわからない。尊大なる10代目を守るためには油断はならない。
「……ううん」
注意されると思いきや出てきた言葉は違うもの。
「好きなの、タバコの匂い」
愛おしそうに目を細め心地良さそうに笑った。困惑したしのぎ笑いではなくて心から安心しているような笑み。
ごろんと寝返りを打って紗夜は逆を向く。
「……思い出すの、」
「何がだよ」
「────も吸ってた」
「(誰だって?)」
人名が聞こえなかった。獄寺はタバコの灰を携帯灰皿に落とす。
「ここみたいに……屋上開放してなかったから、…………」
うつらうつらとしながらゆっくりな声が奏でられる。獄寺と紗夜だけの空間は静かなのだ。小さくても聞こえてしまう。
「二人だけの、ひみつだった。……────とよくおくじょうで、過ごした」
「……誰だよ」
「……────はタバコ吸ってたの。私は怖気ついて、吸えなかったんだ、」
どうしても何を喋っても尋ねても人名だけは聞こえなかった。
「におい、嫌いだけど、好きだった。だけど、ここにはあのめいがらがない……」
呂律も回らなくなってきている。
少しして独り言も喋らなくなった。変わりに聞こえてきたのはすうすうと小さな寝息。物音ぐらいでは起きなさそうな眠りに入っている。一人の時は浅い眠りだったというのに。ただのクラスメイトが隣にいたら普通は一人の時より気を張って眠れなくなることだろう。少なくとも紗夜はそのような性格だった。だが今は眠っている。
「……変な女」
短くなったタバコを携帯灰皿に押しつけて火を消す。一本新品を取り出して火をつけた。煙を吐き出すと紗夜の表情が少しだけ緩んだような涙が漏れ出たような気がした。