未熟を抱いて笑っているひと
目の前に広がるのは先が見えない長ったらしい階段。
我妻善逸はたらりと冷や汗を流す。いかにも出そうな雰囲気。鬼ではなく、生者以外の何かの方がでそうだ。
怪我から復帰して初の任務。真っ暗で人気のない道を歩いてきて、たどり着いた瞬間心はぽきりと折れた。
「そもそも俺はまだ行きたくなかったんだ……。俺一人じゃ簡単に死んじゃうよぉ……」
弱音を吐き散らす鬼殺隊の隊服を身に纏った男。
上弦の陸との戦いで負った怪我は完全復帰。同期の中では一番だった。一番だったが故に起こってしまった最悪な出来事。
善逸の心はぼろぼろだ。俺が頑張っている中、炭治郎と伊之助は女の子たちにちやほやと看病されていると考えると血の涙が出かけるほどぼろぼろだ。
「禰󠄀豆子ちゃんに会いたいよ……」
それでも階段は上る。任務がここなのだ。
この階段は夜に上り下りすると二度と姿を見せなくなるという人喰い階段として地元では有名だった。
ぐずぐずぐずぐず。よくそれほどのボギャブラリーを持ってますね、と逆に尊敬するほど卑屈ばかり言葉を並べて上る善逸。鬼の音はしない。人ならざぬ者の音もしない。そもそも人ならざぬものは音を持つのか。音があるのは生があるものだけ。鬼の音はしなくて安心するが自分以外の人間の音もしなくて怖い。
音をくれ。鬼以外の生き物の音を。
切実に善逸が願っていると下から音がした。自分以外の音がする。だが望んでいないものの音。
「ギャーーーーーーッッッ!!!」
石段から飛び出てきたのは目がギョロリとして大きな口を持った──鬼。善逸なんてぺろりと一口で喰べられてしまうほど大きな口を持った巨大な鬼。
カタカタと震えながら刀を構える。だが鬼がぺろりと舌なめずりして涎を垂らしたのを目撃してしまい、善逸は気絶した。
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最近何故だかいろはの周りには鬼が多く出現した。十二鬼月には縁なく一体も見かけることも情報を手に入れることもなかったが、数字を持たない鬼がわんさかと溢れ出てきていた。人間を片手で数えるほどしかまだ喰べていない鬼から数え切れないほど喰べた下弦の鬼レベルの強さを持った鬼、ピンからキリまで相手にしていた。
これ以上罪を重ねる前に、この手で地獄に送ってやることがいろはにできる唯一の施し。
「悲鳴……? っっと鬼の、気配……」
鬼殺隊。鬼を狩るもの。
鬼がどれだけ弱くても強くても見つけたら狩る。被害を拡大する前に抑える。見つけることができたなら必ず仕留める。
いろはは石階段を見上げる。ここから鬼の気配がする。それと先程耳に入ってきた汚い悲鳴。恐怖の悲鳴。人が鬼に襲われているということだ。
石階段を止まることなく駆け上がる。被害を出す前に。襲われている人を助けるために。
だが、どれだけ上っても終わりがない。上が見えない。
血鬼術の類だろう。空間を捻じ曲げているのか。気配はするのに鬼はいない。柱から逃げたのか、それとも獲物を閉じ込めている最中なのか。
どうやって破ろう。いろはが刀を手にすると───
「壱ノ型、霹靂一閃 八連」
眩い一閃と落雷のような大きな音と共に目立つ髪色の男子が空を切り裂いて出てきた。浮いているのは鬼の頸。倒して出てきたということだろう。
いろはは目を奪われた。雷の呼吸だ。ずっとずっと小さい頃から見てきている───
「っ、頭からっ!?」
黄色い少年が受け身も取らずに落ちる。動きからしてひどい怪我を負ったようには思えなかったが、いろはは落下点に移動して少年を抱きとめた。大丈夫か、安否確認をしようと顔を覗き込んだ。すると白目を剥いて気絶している間抜けな顔が。
「…………………………あ」
思い出した。いろはは黄色い少年───我妻善逸を見かけたことがある。数日前と柱になるギリギリ手前に。人が襲われていると緊急の任務が入って駆けつけるとちょうど目の前で全てが終わったのだ。叫んで気絶して、覚醒したのだ。眠りながら雷の呼吸を繰り出した隊士。
思い出した。
いろはは息をついて善逸を運んでいく。悲鳴は善逸だ、といろははひどく安心する。今日は誰の被害も出ていない。これ以上罪を重ねる前に斬ってくれた。
「うっ、う〜〜ん……」
目を覚ますと視界いっぱいに広がる星空。
あれ? 俺なんで寝ていたんだっけ? 少しの間雲がない星空を眺めて思い出した。鬼と遭遇したことに。だが目覚めてから鬼の音はない。代わりにあるのは人間の音。哀れみを深く抱いた同情の音。
起き上がると身体にかかっている女物の羽織り。なんでだ? よくわからずに発生源に顔を向けると手を合わせて目を閉じている人が。合掌のようにも見える。同情や慈悲の音がしているから合掌であっているんだろう。だが女の子が顔を向けているのは階段。もしかして幽霊でも見えるの、と善逸は少し寒気がした。
それでも勇気出して立ち上がる。合掌している女の子が身につけているのは “滅” の文字が刻まれた善逸と似たような服。見たことがない形ではあるが。どこぞのゲス隠の被害者であるらしい。
「あ、あのー……」
「起きましたか?」
「ギャア!!」
不思議少女は可愛いかった。素朴な少女だ。
それにこの音。同情がなくなり、日常の音となると聞いたことがあることに気がついた。一度強い鬼と遭遇してしまい、気絶する直前に現れた音の持ち主。目を覚ましたら全て終わって藤の家にいた。家主になぜここに俺がいるか尋ねると女の子が運んできていた、と教えてくれて善逸は勝手に思い込んでいた。
俺を救って名乗らずに行ってしまった女の子がいるんだ、と。
善逸の顔は真っ赤になった。変な湯気がそこらから出ている。
「鬼を倒してくれたんだね!! ありがとう! 俺は我妻善逸! 覚えているかな! 前も助けてもらったんだよ!」
「……え? 私は助けてないです」
「そんな嘘ついても意味ないって! 君の名前は?」
「……東雲いろはです。あの、私は前回も今回も、」
「いやーーっ運命の出会いかな! またまた鬼を倒してくれるなんてありがとういろはちゃん!! 二回も命救ってくれて!」
「いえ、私は何もしていません。斬ったのはあなたです」
「またご謙遜なられて!! 俺があんな恐い鬼斬れるわけないのに!!」
もうっ、とくねくねする善逸にいろはは絶句だ。善逸は音で嘘か本当かを見破れるのに舞い上がっていて聞いてない。いろはの喋っている内容は100パーセント真実だと。
相手が柱だと気付かない善逸はいろはに話しかける話しかける。いろはも拒絶せずに受け入れちゃっているので余計に善逸を上機嫌にさせる。
だがいろはは善逸の話は半分流して考え事をしていた。いろはが冨岡に助けてくださりありがとうございました、とお礼した時と同じ返しをいろはは今した。ということは冨岡が助けてくれたというのはいろはの勘違い?
違う。
助けてくれた。いろはは冨岡が鬼の頸を斬ったのを見届けて気絶したのだ。それにいろはには善逸のように意識を途絶えながら鬼を斬ることはできない。
「羽織りもありがとう!」
「いえ」
だらしなく下がる口角。先程まで鬼を一切りで仕留めていた人には思えない。前回は気絶している間に藤の家に置いて去ったので話していない。
「え? 俺に興味があるの!? なになに!? なんでも聞いて!」
今日 起きるのを待っていたのは近くに藤の家がなかったことと一つ聞きたいことがあったから。
音で自分を知りたがっていることがわかった善逸は浮き足立つ。女の子が興味を持ってくれるなんて。禰󠄀豆子ちゃんといろはちゃんどっちを取ればいいんだろう、と一人悩んでいた。まだ相手が柱だと知らず。
「……雷の呼吸の使い手なんですよね」
「うんうん。そうだよ。いろはちゃんは?」
いろはの呼吸を聞き出して善逸はまた叫んだ。
聞いていた。煉獄杏寿郎の後を引き継いだ柱の呼吸を。独自に新しい呼吸を生み出した柱。今、いろはの口から出された呼吸と新しい柱の呼吸は同じ。まだ他にこの呼吸の使い手はいない。
「嘘……。もしかして、柱……?」
「はい」
「嘘でしょーーーーッッ!! こんなに可愛い女の子が!! しのぶさんもだけどっなんで可愛い女の子が柱になるまで頑張っちゃってるの!!?」
違う意味でうるさくなった。正直にいうともうこの場から消えたい。いろはは耳を塞ぎながら我慢していた。聞きたいことがあるから。雷の呼吸の使い手に。
「柱に失礼至極した俺は死ぬ……?」
「それはないです」
失礼な自覚あったんだ。涙を溜めてぶるぶる震える人に拍車をかけることはできなかった。私は気にしていません、といろはは怯えさせないように微笑んだ。柱となっただけで畏まられるのも考えものだ。数ヶ月前までは階級が甲のただの隊士だったのに。まあ、いろはも柱を敬っていた人間だから文句は言えない。
「先日、我妻くんを蝶屋敷で見かけたんです」
しのぶにこってりと叱られた夕暮れ時、善逸を庭で見かけた。善逸は珍しい髪色だ。見間違えはあるまい。
「我妻くんは雷の呼吸の使い手ですか?」
「は、はい……」
「他の呼吸は?」
「使えません……」
何が始まったの!? 尋問!? 俺怒られているの!?
心臓の音がうるさい。いろはからは怒りの音は全く聞こえない。代わりに聞こえる微かな音。この音はなんだっけ?
「先日、蝶屋敷で雷の呼吸ではない型の動きをしておられませんでしたか?」
「あ、はい。あれはですね……」
見られていたのか。恥ずかしくなりながらも善逸はいろはに説明する。兄弟子と育手について。壱ノ型しか使えないこと。それでも兄弟子と肩を並べたくて独自の型を生み出そうとしていること。
「無理なんですけどね! 俺みたいな壱ノ型しか使えない出来損ないの弱虫が新しく型を作ろうとするなんて!」
「……ううん、できるよ」
なぜここまで話してしまったのか。だって、すごく切ない音が響くから。話せば話すほどいろはからは耳を塞ぎたくなるほどの悲しみの音がする。それともう一つ音がある。
「雷の呼吸の壱ノ型は全ての基本。一つでも身につけれた努力家の我妻くんならなんでもできるよ」
───ああ、わかった。もう一つの音の正体。
「頑張って」
「───なんでいろはさんは俺が羨ましいんですか?」
ずっとずっと向けられたのは羨望の音。
柱から一つの型しか使えない庚の隊士に向けられるのは羨望だ。嫉みが全くない、善逸への憧憬。
気がついたら声に出ていた。いろはは目を見開いて息を呑む。まずい。口を抑えても出た後。恐る恐るいろはの反応を待つと、
「我妻くんが雷の呼吸の使い手だから」
また一段と深く悲しみの音が濃くなった。
誤魔化しても無駄だといろはは正直に話す。表情には出ていないのに善逸は確信を迫ったのだから。今まで雷の呼吸の使い手には誰にも見破られなかったのに。
「怪我がなくてよかった。これからもお気をつけて。死なないでください」
そして願わくば。
「いずれ鳴柱が現れるなら、私はあなたになって欲しいです」
壱ノ型しか使えない者が柱になるなんてどれほど難しいか、いろはにもわかっている。
それでも願いたい。託したい。
「……っ、冨岡さん……こんばんは……じゃないですね。おはようございます。もう夜明けですね」
「…………………」
「それでは。私は屋敷に戻ります。また」
「どうした」
「……何がですか?」
「………………………」
「……ふふふ いやですよ。なんで、そんなじっと見つめるんですか。………………とみおかさん……もし、時間があるのなら……はなし、きいて、くれませんか……」