奪われた持たざる少女たち
ここ最近の日課だ。上弦の陸との戦い後、一度も目を覚ますことがない同期の病室に向かう。なぜこんなにも毎日出向くのか、カナヲ自身もよくわかっていないが悪いものではなかった。心の赴くままに。まだ名前のない感情を大切にしまっている。
だが今日はいつもと違うことが起きた。
「こんにちは栗花落さん」
「こんにちは」
蝶屋敷を訪れてきたのはしのぶと同じ柱。会うのは初めてだが有名で知っている。いろはもカナヲはしのぶの継子だったことから覚えていた。
「胡蝶さんいますか?」
「います」
にこにこ。います、だけでどこにいるかも教えてくれないし案内もしてくれない。いろはは苦笑してもう一度わかりやすく頼み事をした。
「胡蝶さんのもとへ案内してもらえますか?」
「わかりました。ついてきてください」
柱の頼みは命令。指令も入っていないカナヲは断ることはできない。炭治郎の元には後で行こう、といろはをしのぶの部屋まで連れて行った。終始無言で。
「師範」
「どうしたのカナヲ? あら、東雲さん。お久しぶりですねぇ」
「お久しぶりです胡蝶さん」
連れて行けば役目は終わり。カナヲは頭を下げてすぐに去っていく。お礼を言うのも忘れそうなほどの早さ。淡白だ。
「どうなされました?」
「近くを通りかかったついでに鬼を連れた隊士と話してみたくて訪れました。急で申し訳ございません」
「それはいいのですが……まだその隊士は目を覚ましていませんよ」
「そうなのですか? それなら大丈夫です」
話ができないなら行かない。お見舞いとして訪れてもいいが、任務を一緒に行ったわけでもない顔を合わせたこともない隊士の見舞いをするほどお人好しではない。
それでは、と帰ろうとするいろはにしのぶは目を細める。
「それ以外に用はないのですか?」
「え?」
心当たりはない。そんないろはの様子にしのぶはぴきりと青筋を立てた。
「ありますよねぇ、東雲さん」
蝶が舞うような軽やかな声、のはずなのだがいろはを恐怖で支配した。笑顔なのに怖い。
「怪我の手当てをしてあげますよ」
「………………はい」
逆らうことは不可能。なぜ、といろはは苦虫を噛み潰したような表情をして椅子にかけた。
「っ、胡蝶さん痛いです」
「そうですねぇ。もっと早く来てくださればもう少し痛みは軽かったですよ」
脚を出せ。座って第一声がこれだった。誤魔化せずに、いろはは従順に隊服のスカートをたくし上げる。出てきたのは雑に巻かれた白く、だが点々と赤い包帯。ぴきりとしのぶの血管が浮き出たのは無視。後輩らしかぬ所業。
「……胡蝶さん以外には誰にも気づかれなかったんですが」
「だからほっといたのですか?」
「……いえ、手当てしました」
「これが?」
「………………申し訳ございません」
絶やさず笑顔なのに恐怖しかない。美人が怒ると怖いなあ。いろははぼんやりとしのぶの手当を受け入れる。
しのぶの部屋に通されてから何かが思考を遮る。ふわふわとする。
なんだこれ?
「(ああ───花の、藤の匂いだ)」
アルコール以外にも鼻に香ってくる何かの正体は藤の花。なぜこんなにも藤の匂いが充満しているのかはいろはも聞かずとわかる。しのぶの刀は通常の隊士と異なる一点物。薬学に精通しているしのぶ以外は扱えない例外的な刀。か弱い少女が諦めずに生み出した努力の結晶。
この部屋には常日頃のしのぶの努力が散らばっている。だからふわふわするんだ。
「終わりました」とのしのぶの声にいろははお礼を述べる。それには満足そうに微笑を浮かべてもらえたが、すぐに怪我のほっとき具合について諫言が入った。止まることのない長いお説教。一から十まで、十から百までいろはに諭す。
自分の身体は顧みない後輩への愛のムチ。人に注意できない立場であろうとも、しのぶはいろはに言い聞かせる。
「わかりましたか?」
「はい……。すみませんでした」
しっかりと反省しているいろはにしのぶは少しだけ罪悪感を受ける。最近看病した患者は安静にしていなさいと何度注意しても暴れる抜け出す刀を持つ。ぴきぴきと何度拳を打ち込む準備をすることになったか。そうそう、それについて注意しないと。
「伊之助くんに勝負しろと挑まれても絶対にしないでくださいね。まだ完治していません。昨日目覚めたばっかりですから」
「いのすけくん……?」
「猪の毛皮を被った男の子です」
「いのしし……?」
誰だかわからないが情報を得て余計に混乱した。猪の毛皮を被るとはどのような状況なのだろう。いろはには予想できない。上弦の陸を倒した庚の隊士の一人と言ってもらえればまだ納得できたが、それだと誰が伊之助かはわからない。しのぶの説明は的確なのだが、猪の毛皮を被るというワードがいろはの思考を止める。
頭を悩ますいろはにしのぶはつい最近受け取った文の内容を思い出した。
「風邪の時は完治するまで安静にしていましたよね?」
「風邪?」
「まさかしていなかったのですか?」
「いえいえいえ!!」
ぐっ、と脅しなのか本気なのかはわからないが、拳を握るしのぶに大慌てでいろはは両手を振る。いろはには風邪の心当たりがない。そういう意味での 風邪? だ。
「違うのですか? つい先日、冨岡さんから手紙をいただきまして」
「……冨岡さんから手紙?」
「はい。東雲さんが風邪を引いているそうですから診てやってくれ、と。その日から数日待っても東雲さんは来なかったので治っていると思い何もしなかったのですが……」
「あっ、はい。風邪自体引いておりません」
「あら? そうなんですか?」
冨岡と話した風邪はたった一つだがなぜしのぶが知っている? 手紙をいただいた? 冨岡から?
あれ? いろはの中に言葉にできないものがぶわっと広がる。いろはも冨岡には頻繁に文を送る。だが一度も返ってきたことはない。そのことに不満はなかった。一方的に、勝手にやっていることだから。冨岡に送るなと拒絶されたことはなかったから何かあるたびに文字を綴り続けた。
返事が来ないことには何も思わなかったのだ。
「……冨岡さんが手紙をくれたのですか…?」
今日までは。
誰にでも返さない人だと思っていたから。筆を取るのが嫌いな人だと勝手に認識していたから。
「はい」
平然と、当たり前のように返された言葉。はい、だって。いろはには一度もないのに。
「なんなんですかね冨岡さんは。今までずっと手紙を返すことなんてなかったのに自分の頼み事の時だけは送ってくるなんて。だからみんなに嫌われるんですよ」
冗談交えた軽やかなしのぶの声はもう聞こえない。いろはには無くしのぶにはある。この事実以外いろはの頭には何も入ってこなかった。
「それも勘違い。ちゃんと確認してから書いて欲しいです。ねぇ、東雲さん」
正面でにこにこと微笑む人はとても可愛い女の子。笑顔を絶やさない。協調性がある。医学に秀でている。継子もいて教えることも上手。
「東雲さん? 聞いていますか?」
なんだろうこれ。
いろはは胸に手を置く。ちくちくする。病気も怪我もしていないのにしのぶを見ていると痛い。
「東雲さん? もしもーし」
「……すみません。聞こえています。手当て、ありがとうございました。風邪も心配してくださり……。何から何までご迷惑をかけてしてまいまして」
「いえ。風邪は冨岡さんのせいですよ」
消さないと。冨岡への気持ちは尊敬、これ一つなのだから。冨岡としのぶが何しようがいろはには関係ない。
しのぶから紙袋を受け取る。薬が入っているそうだ。朝晩二回、怪我をした部位に塗ること。柱であるいろはは重傷でない限り何日も蝶屋敷に留まることは難しい。毎日蝶屋敷に訪れてくるのも難しい。
「忘れないでくださいね」
「こ、こんなにも。ありがとうございます」
「東雲さんにはそれぐらい渡しとかないと。怪我をしてもちゃんとした手当てをしませんから」
元気いっぱいの声がまたまた怖い。脚だけじゃないことを見抜かれている。しのぶには重傷だった脚だけを手当てしてもらったただけで、いろはの身体は生傷だらけ。もう二度と消えない痕ばかり。ロクな手当をせずに放置しているから。
「身体ならどこにでも使えますので……忘れずに、塗ってくださいね」
「は、はい……」
強調され、いろはは大事に懐に紙袋をしまう。この調子なら少なくとも薬がなくなるまでは約束を破らないだろう。ただこの調子なら薬がなくなって怪我をしても貰いには来ない。
身体を大切にしない同僚。柱になる前からずっと同じ生活をしているからこそ絶えない怪我。ため息が出てしまう。
「東雲さんがそんなんだから冨岡さんも余計に心配になるんでしょうね」
「冨岡さんが心配……? ないですよ。今まで隠していた怪我を見破られたのは胡蝶さん以外に蜜璃ちゃんだけですから」
「心配していますよ。だから冨岡さんらしくなく手紙を送ってきたんです。それに東雲さんが大怪我したあの日、ここに連れてきたのは隠ではなくて冨岡さんなんですよ」
「……………………え?」
「ご存知ありませんでしたか?」
知らない。表情に出ていたそうだ。しのぶが一から説明してくれた。
いろはには冨岡が鬼の頸を斬ったところから記憶がない。次に目を覚ましたら蝶屋敷にいた。
常日頃負傷者の移動をしてくれているのは隠だ。任務場所がどこであろうと隠が来てくれる。いろはも例外ではなく隠が運んでくれたと思っていた。
「……なんで、そんなことを……」
柱である冨岡にはいろはを蝶屋敷まで運んでまた戻るという往復も時間の無駄だ。そんなことしている間に担当地区で鬼が出たらどうするのか。人が喰われたらどうするのか。責任は取れない。
「私はなんとなくわかりますよ。東雲さんは少し怖いですから」
「胡蝶さんの方が怖い……」
「え? すみません、よく聞こえなくて」
なんでもないです、といろはは口を閉じる。口は災いの元。お口チャックだ。
「東雲さんは怖いんですよ」
何度も豆が潰れてかたい手のひらに尽きることのない傷跡。出血は止めればいいや、程度しか知識がない雑な手当て。睡眠不足で隈はできていて身なりも最低限しか整えない。
───死んでしまいそうだから、怖い。
「もう少し自分の身体を大切にすればいいのに」
「……それはお互い様です」
しのぶの手が止まった。片付けていた調合器具が手から滑り落ちる。後で消毒しないと。そんな考えも出てこない。
そうだ、私たちは全てをかけないと鬼と戦える術を持てない。
特別な筋力も血も持たない女子の身体。
鬼を斬るためには己の身体の安否なんて捨てなければならない。最愛の家族の仇を取るために、自分の身体なんてどうでもいい。だから刀を持ったのだ。町娘のように生きる道は消したのだ。
「……そうですね」
それ以上何も言えなかった。
似ていたのだ。少しだけ似ていて同じだった。
あなたがいると安心できる。
私と同じように全てを捨ててまで努力しているのだから。私は一人ではないと教えてくれるから。
『拝啓 雪の舞う寒さ厳しい今日この頃、冨岡さんはどのようにお過ごしでしょうか。
先日、胡蝶さんの元へ出向き話す機会がありました。そこで胡蝶さんから冨岡さんは私を助けてくださっただけでなく、私を屋敷まで運んでくださり、更に目覚めるまで二度もお見舞いに来ていただいたとお聞きになられました。ご足労いただきありがとうございます。直接お礼を申したかったのですが、失礼ながらまずは書中にてお礼申し上げます。ありがとうございました。
怪我とご体調にはお気をつけてお過ごしください。敬具 東雲いろは』