一人の少年が布団から起き上がる。同室で眠っているものは深い眠りに入っていて起きる気配がない。一人だけ寝る前の尋問が影響しているのか「だから違います……」と寝言を呟いていた。少年はその姿に苦笑してそっと部屋を出た。
リビングを覗くと女性が座っている。真っ暗な部屋の中、月光に照らされて書物を読む姿はとても美しく、どこか儚さも持ち合わせていた。長い髪は艶を持ち、赤い瞳は物憂げに影を作っている。何か悩んだように紙に一文字だけ書いた。
月光の美人とはこの人のような人のことを表すのだろう。
細められていた赤目がこちらを向き、大きく開かれる。きれいな宝石のような赤い瞳が人間を映す。
「眠れないの? そこにいないでこっちにおいで」
甘く柔らかく優しい声に足が勝手に動いた。
暗い闇で光る電灯は虫を集める。それと同じだ。
ふらふらと誘われるがままにフェイはリビングに足を踏み入れた。
もうすぐ丑三つ時となる時間。ふと視界に入ったのはぼんやりと立つ人影。お化けかと気絶しかけたのだがギリギリでフェイくんと見抜けた。廊下は冷えちゃうだろうからリビングに呼んで電気をつけた。
「えっ、と……」
「どーぞ」
ノート片手に横に迎えるとどんな感じかと尋ねられた。どんな感じねぇ。どんな感じかと聞かれると………うーん。
ところどころは解読できる。200年前の文字が読めるかわからないけれどフェイくんに今の時点までで訳せた部分を伝える。
1の力から11の力が書かれていることから必殺技についてではないと思う。守のおじいちゃんは必殺技を記したノートだけでなく、心の強さが書かれたノートを残している。それとおんなじタイプだと思われる。『ミッドフィルダー』とか『ディフェンダー』とかポジションを示す言葉も書いてあるから。それ以外は部分部分しか解読できていない。例えば8の力には『太古』や『海をも割る』と書いてあるのはわかったけれどそれ以外がまだ読めていない。
「わからないですね……」
「ね」
わからないよね。まだ全文がはっきりしていないというのも原因だけど、守のおじいちゃんが残すノートって8割ほど解読できたら全文理解できるといったような事が出来ないんだよね。
始めてからどのくらい経ったのかな。集中しすぎて時間の経過わからなかった。
「フェイくんは眠らないの?」
本日我が家には中学生がお泊まりしている。私が帰宅するまで滞在していた子どもたちは夜遅いからそのままお泊まりすることを選んだようだ。ぎゃあぎゃあ騒いで部屋の割り振りをしていた。朝陽の部屋に同級生、残りが空き部屋を使うことになったことまでは知ってる。……うん、天馬くんが朝陽と京介くんに首根っこを掴まれて連れて行かれたのは知らない。助けを求められたけど聞こえないことにした。
「あ、……えっと、気になっちゃって」
「そっか。もう少し待ってね」
「はい」
なんというか……自分に置き換えることができなかったのだ。相手は中学生。およそ10歳差の弟と同じぐらいの子ども。最近は中学生と関わる機会が多かったため褒めることもあった。名残……で正しいのかわからないが、名残でよしよしと頭を撫でるとフェイくんは目を見開き微動だにしなくなった。
「どうかした?」
突然固まったフェイくんに変なのと感じて10秒ほど経った頃、原因が私にあると納得できた。いっけね。よく知りもしないヤツに頭を撫でられるとか不快だよ。朝陽が雷門中メンバーと一緒に連れてきたから仲良しだと勘違いしていた。
「ごめんなさい!」
「い、いえ………」
ぱちんと手を合わせて頭を下げたけれど許せるわけはなく。フェイくんは俯いて私を視界に入れない。やってしまったな髪の隙間から見えた顔色は赤かったよ。お怒りだ。気を取り直して文字の解読に励もう。
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親のいないフェイにとって歳の離れた女性に頭を撫でられることは初めてだった。心の中で呟いているつもりなのか、真白は先ほどから「やっちゃったやっちゃったやらかしちゃった」と繰り返している。
きゅっと身体を丸める。奇妙な感覚だ。ふわふわするような、舞ってしまうような。ただ頭を撫でられただけなのに身体がほわほわと温かくなる。
頭を撫でる行為は子どもは親に無条件でされることだろう。だけどフェイにはなかった。
買い出し中に剣城と神童から天雷姉弟の家庭について話を聞いた。一つ目は異父姉弟ということ。二つ目は母親の犯した事件について。どちらも笑い話にはならないヘビーな内容。でも姉弟にとって一つ目は大したことではないようだ。特に真白は。よかったと喜んでいるようだ。理由は朝陽も知らないと神童から聞いたけれどフェイは気になってしまった。同じような境遇ではないが、親がいないところに既視感を得たのかもしれない。
帰ってから未来の技術でこっそり調べた。母親の犯した事件はそれなりに大きく報道されたので、調べれば簡単に出てきた。内容は剣城と神童が教えてくれた通りのこと。
それぞれの父親についても調べてみる。朝陽の父親に関しては不明。人間は数十億もいるんだ。特に何も起こしていない、子どもを捨てただけの男の名前は一般人が調べてもわからない。真白の父親も同じく不明。だが朝陽の父親とは違い、厳重なセキュリティで隠されていてわからなかったのだ。遺伝子問題となっていて200年後では監視下に置いているようだ。
それでも僕とは違う。フェイはどうしてもそう羨んでしまいそうになる。一人ではない。彼らには姉弟がいる。一人の辛さや哀しさを味わったことのない。だから化身が嫌いな理由を想像できない。ぬいぐるみなんて買い与えてくれなくてよかった。そばにいてくれればよかった。ただそれだけでよかった。
「っ、」
ヒュッと喉から音がした。真白がフェイに視線を向けたのだ。考えていたことが考えていたことなので心が読まれたのではないかと警戒するタイミングだ。
「お腹空いてたりしてる? 何か作るよ」
フェイの心配は杞憂で終わる。息をついている間に真白は台所に移動していた。
おお。冷蔵庫を開けるとおかずが何もない。夕食で消費されたようだ。育ち盛りの中学生はよく食べる。本当によく食べた。朝陽先輩料理上手ですね! 美味いぜよ! おかわりいいですか! とどんどん胃に吸い込まれていったそうだ。真白は一人分だけ残しておいてくれたご飯を食べてる時にそう聞いた。でも空っぽというわけではない。
「うどんとおにぎり、どっち食べる?」
「あ、え、大丈夫です!!」
うどんや冷凍してあるお米は存在している。どっちがいいと聞かれてもこれから一人分を作るのは手間になると理解しているのでフェイは断ったのだが、意思に反してお腹がなってしまった。反射で抑えても意味はない。真白に届いた後だ。
「どっちがいい?」
「……うどんをお願いします」
「はーい」
愉快そうに表情を緩めながら真白は台所に立つ。気分転換だ。記憶を探って遡っても解読が進まない。昔読ませてもらったノートは絵と擬音が多かったから意味はわからなくても読むのは簡単だった。
「(…………………)」
真白は手慣れた様子で調理を進めている。夢でしかない形。今目の前に広がっている光景はフェイには一生ないもの。自分のために誰かがご飯を作ってくれるなんて、暖かいご飯が出来上がるのを待つなんて夢の出来事。
「……手伝うことありますか?」
「っ! ……フェイくん、気配もう少し出してもいいと思うよ」
時間が時間だからもっとわかりやすく声をかけてほしい。天馬のようにしてくれたらありがたい。怖い。
「それじゃあ梨を剥いてもらってもいい?」
「はい」
にっこりと頼みごとをされ、包丁とまな板が用意された。梨が二玉まな板の上に置かれている。
「(皮を剥く……)」
返事をしたのにフェイは梨の皮を剥くことも切ることもしない。どうしたのだろう。隣で調理をしている真白は麺を茹でながら考える。
「(……そっか!)ピーラーもあるから使ってね」
「あっ、ありがとうございます……」
それでもフェイは動かない。ピーラーと梨を持って凝視している。
「(包丁が使えないんじゃなくて時代の差か?)」
真白はごめんね〜と微笑んで使い方はわかるか尋ねて否定されたのでゆっくり教えた。飲み込みは早く、少し危なっかしく不恰好になってしまっていたけれどフェイは梨を最後まで剥いて切り分けれた。同時に真白もうどんを茹で終える。できましたと報告してきたフェイに真白はやらかしたことも忘れて自由となったきれいな両手でフェイの頭を撫でた。