青峰のことは良く知っている。誰よりも理解している。そんな自信は、打ち砕かれようとしていた。 良く晴れた休日の午後。黄瀬は思い立って青峰にメールを送った。 『どこか遊びに行こう』 お誘いは、即レスでもって却下される。 『無理』 ご丁寧にも『家には来るな』なんて一文までつけられて、黄瀬が大人しく引き下がる訳がなかった。 青峰家へと突撃した黄瀬は、玄関でばったり会った青峰母に許可をもらい、勢いよく部屋のドアを開けた。そして、見てしまった。 ―――鏡の前に立つ、猫耳姿の青峰を。 「………えっと……」 見てはいけないものを見てしまった。ここに来たことを後悔しながら、黄瀬は己の心の中を探った。 大丈夫だ。こんな姿を見ても尚、青峰を敬愛する気持ちは揺るがない。 黄瀬はモデルのプライドとかをフル動員させて、ぎこちない笑みを浮かべた。 「…可愛い、スよ?」 「なんで疑問形なんだよ。つか、そんなんじゃねぇから。マジで」 「うんうん。俺は青峰っちの味方だからね」 「優しくすんな!」 青峰の弁解もほどほどに、黄瀬は彼の頭の上にある三角形の異物を見つめていた。小さな物音も拾ってピコピコと動く黒い耳は、まるで本物の猫のそれだ。 青峰に近づいた黄瀬は、おもむろに猫耳をぎゅっと掴んだ。 「ぎゃあああ!」 柔らかくてあったかい。そう思うと同時に、青峰が悲痛な叫び声をあげる。 「本物みたいっス」 「本物だよ!」 涙目で怒鳴られて、黄瀬はぱちぱちと目を瞬いた。 信じがたいことだが、真実だということは手に残った感触が証明している。 黄瀬は眉を下げて青峰を見た。 「また変なもん拾い食いしたんスか?」 「俺がいつも拾い食いしてるみたいな言い方すんな」 仏頂面に猫耳というギャップが逆に可愛いような気がしてきたが、このままという訳にもいかないだろう。 「こうなった原因に心当たりはあるの?」 「…あるっちゃある」 しばし考える間を置いて、青峰は語り出した。 曰く、昨夜帰宅途中に事故にあった黒猫を見つけたこと。猫は既に息を引き取っていたが放って置くことは出来ずに、近所の公園に埋めたこと。 「それで祟られたんスか?青峰っち悪くないじゃん」 「いや、祟られたというか…」 不平に口を尖らせる黄瀬に、青峰はふわふわな耳を弄りながら答えた。 「どうしてもやり残したことがあって、成仏できないっぽい」 「ふーん…」 要は猫の未練を消してやれば良いのだ。黄瀬はよし、と頷いた。 「とりあえず猫缶買ってくる」 「それを俺に食えってか」 「好き嫌いは駄目っスよ」 「好みの問題じゃねぇよ!」 怒る青峰の背後に、ゆらゆら動く黒いものがある。黄瀬は手を伸ばすと、それをぎゅっと掴んだ。 「ぎゃあああ!」 叫び声と共に、今度は拳が飛ぶ。顔を殴られただとか、本物の猫パンチだとか、そんなことよりも重要な事実から、目を離すことが出来なかった。 「尻尾」 「は?」 「青峰っち、尻尾生えてる」 青峰は背中を鏡に映して目を瞠る。その様を見ていた黄瀬は、あることに気付いて青峰の手を取った。 「なに…!」 問答無用で肘まで服を捲り上げる。息が止まった。青峰の腕は、柔らかな黒い毛に覆われていた。毛深いとかそんな問題ではない。これは。 「猫に近付いてる…?」 二人は呆然と顔を見合せた。 青峰の体は猫の意思にじわじわと蝕まれている。このままでは完全に黒猫になってしまうのも時間の問題だろう。 「と、とりあえず、猫を埋めた場所に…」 「う…っ」 「青峰っち!」 呻き声と共に青峰が膝を折る。側に寄った黄瀬は、ミシリと骨が軋む音を聞いた。 ―――骨格まで、変わろうとしている。 「ぐ、あ…!」 苦悶の表情で青峰が床に倒れ込む。青峰を作り替えようとする力は止まることなく、体中歪ませた。 「青峰っち…!」 他に成すすべなく、黄瀬は青峰を抱きしめる。 どうしよう、どうしよう。このまま青峰が青峰でなくなるところを見ていることしか出来ないのか。そんなの。 「…嫌だ」 もう青峰がバスケをするところが見られないなんて。その大きな手に頭を撫でてもらうことが出来ないだなんて。 「嫌だよ…!」 抱いた腕に力を込める。ぱたぱたと、青峰の上に涙が落ちた。 「……黄、瀬…」 消え入りそうな声に、黄瀬はハッと顔を上げる。腕の中の青峰は苦し気に息を弾ませながらも、気丈に黄瀬を見上げた。 泣いてんじゃねぇよ、馬鹿。語りかける群青は、いつもと変わらなかった。 黄瀬は伸ばされた手を、両腕で抱いた。 「…傍に、いるから」 バスケが出来なくたって。姿が変わってしまったって。 「ずっと、青峰っちの傍にいる、から…!」 泣きじゃくりながら言う黄瀬に応えるように、青峰が手を握り返す。 目を閉じた黄瀬は、にゃあ、という猫の声を聞いたような気がした。 「瀬…黄瀬!」 強く呼ばれて、黄瀬はぱちりと目を開けた。 泣き疲れていつの間にか眠っていたらしい。涙の残滓が燻る重い体を起こしかけて、黄瀬は思い切り横を向いた。 そこには目を丸くする青峰がいる。もちろん、見慣れた人間の姿で。 安堵が深い息となって、口から滑り出た。 「夢…」 全てを幻想で片付けようとした黄瀬は、点々と床に転がる黒い毛玉を見た。青峰家に黒猫はいない、はず。 「…じゃないみたいっスね」 もう一度横を向けば、青峰はちょうど立ち上がるところだった。 「行くぞ」 「どこへ?」 「墓参り」 誰の、なんて聞く必要はなかった。 「ほとんど意識も一体化してたから、あの猫が何を望んでいたのか分かった」 猫を埋葬したという公園へと向かいながら、青峰はぽつりぽつりと事の真相を教えてくれた。 「あいつは元々飼い猫だったんだが、ある日突然捨てられちまったらしい」 「なんで?」 「さあな。猫には分からない事情があんだろ。ただ、悲しそうな主人の顔は、はっきり覚えてる」 公園の中にある小さな木の下。少し柔らかくなった土の前にしゃがんで、黄瀬は手を合わせた。 「…じゃあ、この子が望んだことって」 「もう一度主人に会いたい、だな」 今度こそずっと一緒にいたい。猫の願いはその命と共に終えた…はずだった。 「青峰っちの体を借りてまで会いたい人がいたのに、なんで俺の言葉なんかで満足したんスかね」 「俺と意識が一体化していたからだろ」 それはつまりどういうことなのか。青峰を見上げて首を傾げれば、深い海色の瞳がこちらを向いた。 「お前が俺にとって、死んでも会いたい相手だったから、だろ」 くしゃりと黄瀬の頭を撫でて、青峰は踵を返す。黄瀬はぽかんとその背を見送って、頭に手を遣って、滲むように微笑んだ。 ずっと一緒にいたい。 この願いは、成就する。 fin 2014/8/31 戻る |