黄瀬には都内に行き付けのカフェがある。繁華街から少し離れたそこは客足も多くなく、ゆっくりと寛げる憩いの場だった。
今日も黄瀬は、仕事の帰りにカフェへと寄った。休憩がてら、学校の課題を終わらせるためだ。静かな所に行くと騒ぎたくなる性質の自分は、少し雑音がある方が作業が捗る。
「いらっしゃいま…せ…」
今日は何を頼もうか。考えながら店へと入る。視線も意識も頭上のメニューにあったから、黄瀬はカウンターに行くまで気付けなかった。
至近距離で店員と目が合う。白いシャツに深緑色のギャルソンエプロン。見慣れたこの店の制服を纏って呆然とこちらを見つめるその人は。
「あおみっ…!」
皆まで言わせることなく、青峰の右手は黄瀬の両頬を掴んだ。
「…ご注文はお決まりですかぁ?」
「むぐぐぐ」
地を這うような声、口元だけの笑みと共に、ぎりぎりと掴み上げられる。注文など、言えるはずがない。バシバシとカウンターを叩いて訴えれば、ぱっと手は離された。
「ちょっ…と、店員さんの態度が悪いんじゃないスか?店長を呼べーい」
「呼ばねぇよ。さっさと注文決めろ」
けれど黄瀬はメニューでなく、青峰を見遣った。
「青峰っち、いつからここで働いてんの?」
「今日だけだ。さつきの代わりだよ」
「店員さんはテイクアウト出来る?」
「出来ねぇよ。店員じゃなくてコーヒー選べ」
「そうっスね。じゃあ…」
黄瀬はメニューに手をつくと、今日一番の決め顔を向けた。
「君色の、コーヒーを」
「帰れ」


結局黄瀬の希望は聞いてもらえることなく、青峰は勝手に注文を決めるとオーダーを通してしまった。すぐに次の客の対応に入ってしまった青峰にこれ以上ちょっかいをかけることは叶わず、黄瀬は大人しく出来上がったコーヒーを受け取った。
蓋を開ければふわりと甘い香りが溢れる。たっぷりのミルクの上にとろりとソースがかかったそれは、キャラメルマキアートらしい。
ブラックコーヒーが出てきたら「そこまで黒くはないよ」と慰めてあげるつもりだったのだが、正直拍子抜けだ。
黄瀬は、カウンターが目に入る窓際の席に座った。ちらりと見える青峰は今、OLっぽい女性を相手に接客中だった。愛想の無い店員に強張っていた彼女の顔は、みるみるうちに氷解していく。商品を受け取ってからもう一度カウンターを見た彼女の頬は、薄く色付いていた。
―――格好良いもんなぁ。
誇らしいような歯痒いような。今の気持ちは青峰が選んでくれた、甘くて苦いコーヒーと似ている。
黄瀬は小さく笑うと、課題を取り出して開いた。


「った…」
ぺしりと後頭部をはたかれて、黄瀬は顔を上げた。
「帰んぞ」
後ろを向けば見下ろす青峰がいて、ぱちぱちと目を瞬く。
「…店員さんをテイクアウトっスか?」
「もう店員じゃねぇよ」
言われてみれば確かに、そこにいる青峰はギャルソンエプロンではなくて、見慣れた黒の5分丈シャツ姿になっている。黄瀬は震える拳をテーブルにぶつけた。
「写メ撮り忘れた…!」
「撮んな」
もう一発はたかれて、さっさとしろと促される。黄瀬は逆らわずに課題をまとめると、カップを持って立ち上がった。残ったコーヒーを一気に流し込めば、ぬるくなった甘さが喉を焼く。
「そういや、なんでコレを選んだんスか?」
カップを片付けて青峰に問う。彼は何をしていても変わらない仏頂面で、答えた。
「疲れてんだろ、お前」
黄瀬はゆっくりと瞬いて、口元を綻ばせる。青峰の横に並んだときの気持ちは、コーヒーよりもずっと、甘かった。


fin 2014/7/5

課題『ギャルソンエプロン』

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