生白い肌、青いドレス、金の腕輪、銀の盆。
女がうっとりと見つめる鈍く輝くその盆の上には、愛おしくて狂ってしまいそうなほど恋い焦がれたけれど、手に入らなかった男の―――首。
囁くサロメ
感情の押しつけは目に見えない暴力のようだと思った。言葉で相手を傷付けるように、鈍器で殴られたような鈍い痛みを心に植え付ける。そしてそれは大半が無自覚だから、尚の事、達が悪い。そうして疲弊してしまった彼を知っているから、私は彼に気持ちを押し付けようとは思わなかった。そんな私だからこそ、彼は側に置いてくれるのだということも知りつつ、素知らぬフリをして笑顔を作る私は狡いのだろうか。
―――銀の盆を恭しく持ち上げた女がこちらをじっと見つめている。
「何を読んでいる」
「あ、柳先輩」
図書室の一角、日も当たらない棚の陰。そこは私のお気に入りの場所だった。文字が読める程の充分な光はあったし、人が来ないのが何よりも良い。そう言うと、柳先輩は苔のようだと笑っていた。
「…オスカー・ワイルドか」
「うん、サロメ」
「珍しいな、お前が戯曲を読むなんて」
さも当然のように隣に座り込み、柳先輩は私の手元を覗き込んだ。視界に緑がかった黒の髪が映り込み、私の世界を染めて行く。黒く、黒く。飲み込むように、浸透してゆく。それは不快では無く、むしろ心地良くて、ズブズブと沼に手足を沈めるように、深みに嵌ってゆく。
沼の底に、私が求める答えはあるのだろうか。
「柳先輩ってヨハネみたい」
「お前はまた…唐突だな」
組んだ腕を膝に置いて、その上に顎を乗せながら柳先輩は眉を下げた。そういえばこの間、私が柳先輩は夏みかんみたいだって言った時もこんな顔をしていたような気がする。どうしてそう思ったかはもう忘れてしまった。きっと、くだらない理由だったのだろう。
サロメが恋い焦がれていたヨハネは、頑に彼女の思いを断り続けた。
それでも彼を欲しがった彼女は、王に彼の首を強請った。
「どうした?」
不思議そうに何も言わない私を見つめている柳先輩の、きっちりと第一ボタンまで止められた首元を見つめながら、私は首から上だけの彼でも欲しいと思うのだろうかと考えた。
手に入らないならば、いっそ―――
―――女の幻影が耳元で囁く
「―――ね、柳先輩」
「ん?」
そこまで言いかけて、ふと視線を上げると、図書室の入り口辺りに見慣れたもじゃもじゃ頭を見つけた。図書委員の人と険悪なムードを漂わせる彼に、知らぬフリは出来ないな、と肩を落とす。入り口の方を指差して、隣の柳先輩の肩をつついた。
「…入り口で切原が何かトラブってるみたい」
「あいつはまた…」
呆れたようにそう言って立ち上がった柳先輩が、当たり前のように私の頭を撫でて、「またな」と優しく言い残して去って行った。
その後ろ姿を見つめながら、先程の事を確かめるように頭に手を置くと、頬が緩むのが自分でも分かった。
「―――首だけじゃ満足いかないや」
私はきっと、サロメよりも欲張りなのかもしれない。
20120823
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