「今日は花火見れるそうですよ」



身体に響くこの暑さにも慣れ始めた八月の半ば。社内ではクーラーが一番の働き者になりつつあった。いつものように俺は山のような書類に一つずつ手をつけていく。こんな日々が辛くないと言ったら嘘になるが、仕事をこなした後はそれなりの達成感が得られるし、何より少しでも会社のためになっているのならそれで良いと思えた。


彼女の一言は突然だった。
同い年のみょうじさんは社内で特別目立つようなタイプではなかった。だけど周りより熱心に仕事をしている姿や、ふとした瞬間に見せる笑顔が何故だか目を引いてしまう、そんな女の人だ。多分そう思ってるのは俺だけじゃないと思う。



「この会社の7階に空き部屋があるでしょう?そこ、穴場なんだそうです」


「へえ…そうなんですか。同じ部署の方とでも見られるんですか?」


「いえ……皆さん今日は早めに上がるそうで…。ひとりですよ」



苦笑いを浮かべた彼女を見て、柄にもなく俺は頭で考えるよりも先にこう答えていたのだった。



「あの! もしよければ……俺も一緒に見ていいですか…?」



いつも通りの一日がちょっとだけ心の弾む一日に変わった。




*





「わあ!あれ、クマの形してますね!」

「…本当だ。俺初めて見ました」

「最近の花火は色んな形あって可愛いですよね。…もし子供の頃見れたらもっとはしゃいでたかもしれません」



そう言った彼女は本当に子供みたいに無邪気に笑っていて、初めて見る彼女の一面に鼓動が高鳴る。
二人きりでこんな近くで、こんな長い時間いるのは初めてで、そう意識してしまうと何故だかいつも通りに会話ができなくなる。

花火の鮮やかな光に照らされた彼女の瞳は一段と輝いていて、思わず口に出してしまいそうなくらい綺麗だった。



「………去年より、一段と凄くなってる気がするなあ」


「…去年もここで見てたんですか?」



何気なくそう言ったとき、彼女の表情が一瞬強張るのを俺は見逃さなかった。



「…ううん、違うよ」



寂しそうな目を俺に向けた彼女に、踏み込んじゃいけないものを感じて思わず口を噤む。


そんな俺の気持ちを察してかは分からないけど、暫く間が空いたあと彼女はぽつりと呟いた。




「…ピアス」


「え?」


「…もう刺せなくなっちゃってるなあ」



柔らかそうな耳を触りながらほら、と俺に見せる。何も装飾のされていないそこにはピアスのためであろう穴が塞がり始めていた。




「……君にぴったりだから、なんて言って渡してくるものだから…怖かったけど開けたんです」


「花火だって毎年見てたんです。私が見るの好きだって言ったときからずっと…」


「去年で最後にするはずだったけど…やっぱりこれだけは見たくて、会社に残ってまで見ちゃいました」



みょうじさんは笑いながらそう言った。一つ一つゆっくりと話すその声は微かに震えていた。俺は何も言えずにただ彼女のその笑顔に不釣り合いな寂しい目を見つめることしかできなかった。



「……突然こんな話しちゃってすみません」



彼女のその言葉にはっとする。
花火の音はもう聞こえない。いつの間にか打ち上げ終わってしまったようだ。




「…今日は鳳さんが一緒に見てくれてすごく嬉しかったです。とっても楽しかったです…こんな私なんかと見てくださってありがとうございました」





「…あの、」



そんなその場しのぎの笑顔なんか見せないでほしい。隠さないで俺にだけは正直でいてほしい。

彼女のことになるとこんな我儘になってしまうのは何故なんだろう。




「俺と、ピアス買いに行きませんか」







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