小説 | ナノ


  目の前にはお洒落なドーナツ。でも実際買っているのは殆ど空気で、ペーキングパウダーによって質量はそのままにかさばっかりが増えただけだ。いつも下がっているSALEの赤い文字をみつめながら甘くてやすっぽくて空腹すら満たされない炭水化物を咀嚼し、ぐっと喉の奥へと押し込める。ピンクのチョコレートがコーティングされているけれど、おまけの玩具目当てに子供が買うお菓子を沸々と思い出させられる風味で、前面に押し出されている苺の味はいかにも人工甘味料といった感じだ。

「これおいしくないね。」
「えーマジ?こういうの好きだと思ったんだけど。」

 不服を漏らす私を宥めるように言うバースティは、日なんて射してないのにサングラスをかけ、常時何かと妙な事を言い出しては薄っぺらい笑顔を浮かべる。というよりは、笑う理由を探して作り上げているような感じ。私が機嫌が悪そうに顔を顰めているのは、きっとドーナツだけのせいじゃない。今日会ってからもレシオがどうので可笑しかったとか、この間は厄介な事件に巻き込まれただとか。素で笑えない人が無理して虚勢張ってる不器用さはなくて、それが本物の時もある。でも時より本来の自分の覆い隠そうとするかのような目をするんだ。確証はないけど確信はある。だって決して笑えないような局面で笑い続けてられるなんてありえない話でしょ。だとしたら嘘を顔に貼り付けてバースデイは動いてるんだ。重傷を負っても大丈夫大丈夫って、絶体絶命な状況かでも平気平気って。

「バースデイはこのドーナツ美味しいと思うの?」
「そりゃーもちろん。」

 バースデイだって不味いと文句をつけたくなるほどで、食べたくないだろうに。ドーナツは美味しいに決まってんじゃん、とまるで自分に言い聞かせているみたいに呟いて、にっと無邪気に口角を上げた。こんなドーナツ不味くてやってられねぇよな、と愚痴をこぼす一瞬すら惜しいのだ、とでも言いたげに。




「便利屋って大変だし収入不安定だし、なんでやってるの?」

 興味本位で問いかけてみると、悩む動作すら見せず即座に「楽しいからってのが大きいんじゃねーかな」と答えられてしまった。ごく自然に随分と昔から確立された答えを握りしめて来たかのような断言っぷり。将来の選択をする動機としては不純すぎないかと呆れもしたけれど、記憶を探ってみればバースデイの選んだ先はあながち不正解でもなかった気がする。進路相談の際に"人生なんて人それぞれだからね"と責任を負いたくない大人が、無責任に抽象的なアドバイスを寄こすことが多々あるけど、まさにその言葉の裏付けとなるような生き方をしているみたいだ。まさかそのアドバイスを鵜呑みにしたわけではないだろうし、何かしらバースデイにも思う所があったのだろうか。そもそも出身校や詳しい生い立ちも聞かされたことのない私に意見する事は出来ないでいた。だってそれこそ無責任というものだもの。
 するとバースデイは「色々経験できるし」と付け足した。公園でへんてこなマジック(後で目の前で実践してくれた)を披露している最中、合図と同時に背後のビルが爆発して妙な誤解を生んだ、みたいな話をこの間本人から聞いたことを思いだし、深く納得する。確かに会社勤めのサラリーマンは携帯の充電はしないけれど、失踪した人間の捜索はできないし、こんなにも非日常を満喫しきることは不可能だ。

「あ、今度仕事付いてきちゃう?結構楽しいし。」
「いや全力で遠慮しとくね。」




 ひょいっと常備しているサングラスを持ち上げてやっても、意外と反応は真剣で、面白味がちっともなかった。普段突拍子もない行動の少ない私の意外な悪戯心に目を見開いて、しばらくこちらを凝視してきた後、盛大に笑われる。何やっちゃってんのらしくねぇ、と。改めて冷静に振り返ってみれば妙な行動に出たことは事実で、出所不明の羞恥心に聊か苛まれた。気を取り直してというか開き直った私は、試しにバースデイのサングラスを自分に装着させてみる。何の変哲もないグラスが二枚視界を遮り、若干茶色がかった世界を見せた。そうかいつもバースデイはこうやって物を見て、私を見てるのか。はたまた意味のない満足感があって、ほんの少しだけにやっと頬を緩めた。
 マジで何したいわけ?、と苦笑しながらサングラスを取り返しに腕を伸ばすバースデイは、何処か新鮮で......。いや、目新しいんじゃない。いくつか幼く見える。このまま背を縮めてみたら可愛らしい男の子が出来上がるのでは、と想像してみたけれど、幼少期のバースデイは実際どんな感じなのだろう?と疑問ばかりが前面に押し出てきたので思考をシャットダウンする。レンズに覆われていた瞳は実際もっと明るく澄んだ様子で、じっと見つめ返してきていた。こちらも形を一つ一つ捉えるように視線を送っていたからか、逸らすタイミングを完全に失って数秒無言で見つめ合う形となる。そのうち耐えきれなくなったバースデイが赤面しながら頭を抱え込む私を指さしながら爆笑をかました。故意に腹を擽るような表情をしているわけではなく、単なる真顔のまま視線を合わせ続けると、なんで笑えるんだろう。

「うわー、マジ笑える。」
「んな笑わないでよ。」
「わりぃわりぃ。で、何がしたかったわけ?甘えたかったとか?」
「違うってば。何というか......小さい頃のバースデイが見たくなった、かな。」

 それが動機というわけではないけど、疑問に思ったのは事実なので半分嘘を吐く。すると吐き捨てるように「別に普通のガキだったし何もおもしろくねぇよ」と呟くと、そういえばレシオと喧嘩したこともあったかななんて面白そうな話題を振るものだから、私は見事に食いついた。けれどその成長記録は小学校あたりで途切れていて、むしろ私により一層の不信感を募らせる要因となる。最終的にもその後バースデイとレシオがどのような少年時代を過ごしてきたのかは解明されず、不透明なままだ。





 ムラサキさんが原因不明(あるいは私のみが知らされていなかった)の重傷で入院し、チユウにも連絡がつかない。この時から全体が狂い始めていることは理解でき、バースデイへ電話をかけても着拒されていて声すら聞かせてもらえないのは、きっとそのせいなのだろうと都合よく考えた。愛想を尽かされた可能性も無視できない程度だったけれど。レシオも変わらない無表情でただ「何でもない、気にするな」と答える。そこで全力を出せば強く問い詰めて無理やりにでも吐き出させることもできたかもしれないが、ミニマムホルダーという異質な存在である彼らが抱える問題を私が知ったところで果たして何か変えることが出来るだろうか?自問して出した答えは、否だ。柔く脆い部分を土足で踏み荒らせば結果は見えている。思いつめた時に感じたのは酷い疎外感と、無力さに対する自責の念だった。加えて二つの人種に隔たりを覚え、部外者が立ち入るべきでないことをより一層思い知らされることとなる。彼らに避けられていることは、一般人である私に危害が及ぶことを恐れてだと一度でも考えた酷い自惚れにうんざりした。嫌いになったのではなくて、心配しているのではなくて、単に別部類される私を区分けしただけかな。だって、きっと彼らに私を気に掛けていられるような余裕はきっとないから。
 そうやってしばらく顔も見ないまま時は過ぎて、よく彼らが入り浸っていたカフェが爆破されたと耳にした。そして今度はレシオが重傷を負い、あとも腕を包帯でつるしているという痛々しい姿になっている。その時点でやっと、バースデイの持病が再発して助かる見込みが薄いという事実を知った。ばかみたいだ。どうしてあの時強硬手段をとらなかった。刻一刻とすり減っていく残り時間を大分無駄にしてしまったのは、まぎれも無く私だ。

「教えてくれたってよかったのに。」

 ばか。私のついた悪態とバースデイの寝息だけが唯一の音である病室に、レシオが入ってきた。その目には悲惨な現状を嘆く色があり、もう一つの眼帯に隠れた方の目にもきっと同じ感情が映しだされているのだろう。




"虚無"が訪れた。
私が望むことはただ一つ、騒がしかったあの頃だけ。
それすらもむしり取り、奪い、消し去っていかれた後には何も残らない。


 病室の壁にもたれて戯言を呟き続けていた私は、
一足先に意識を取り戻したレシオに「大丈夫か?」と安堵も交じった声を掛けられる。
何故正気を取り戻せたのかすら知ることのできない私は、思った以上に蚊帳の外だったようだ。



 事が全て収まってから現在に至るまでに起きた物事を説明され、極力理解できるように努めたが、余りにも多くの人々のエゴが詰め込まれている内容は規模が大きすぎた。起こりうるけれど嘘のような実話は確かに今まで感じてきた違和感とずれなくつながる。無事健康を取り戻したバースデイは、カフェノーウェア復活記念と称されたパーティーではしゃぎまくり、あの事件はまるで白昼夢であったかのような気さえしてきてしまった。寧ろそうであってほしいと願う。
 パーティーもいよいよ終盤になり、少し外の空気を吸いたくなってコンビニ行ってくる、とカフェを後にした。ムラサキが腕を振るってくれたためこれ以上何か口にしたいとは思わなかったけれど、何も買わずに出るのもあれだからガムの一つでも買ってこよう。店内の人口密度が高かったからか、もう寒い季節は過ぎ去ってしまった後だったけど、外との温度差は夢遊中かと思うほどぼっとした頭を一気に冷やされた。時期が時期だし上着なんて持ってないよ。

「おいおい、こんな時間に何処行くわけ?」
「っバースデイ。」

 仕草で察せられてしまったようで、さっと自分が来ていた上着を肩にかぶせられる。バースデイが少し上で手を離したので、ひらり、と肩に舞い降りてきた。ふいに感じた温度はきっと私だけのものではないかもしれない。視線を上げれば歯を見せて笑う姿が映り込んで、改めてミニマムから解放されているのだと。彼の隣に居られるのだと。あのころ望んでいた世界が周囲を取り巻いていることにを今更ながら実感し、歓喜と共に純粋すぎる羞恥心までがでしゃばり始めた。ぐっと目の奥のそれをこらえながら、肩にかけてくれた上着を両手でしっかりに握って中心に寄せる。何か言いたいけれど、喉の奥で酷く乾いた響きを纏ったままつっかえる。それは今までありがとうなんて簡易的な感謝だったり、どうして教えてくれなかったのと問い詰める言葉だったり、あるいはこれからの未来創造であったりしなければいけなかった。でもそれを良しとしないように、込み上げてくる感情がある。

「あの」
「俺、いいたいことが山ほどあんだよ。」

 あのさぁ。次の手を考える暇を作ることのできる利便性の高い言葉を使おうとすると、遮るようにバースデイから言葉が飛び出した。普段では考えられないほどの真剣さを物語る顔つきと、一気に冷めきったように冷静な声に気圧されて、続きを言えなくなってしまう。次の言葉を乞うように視線を合わせれば、今だからこそ言える過誤というものを打ち明けてくれた。