小説 | ナノ


 頻発する事件に一段落着いたころ、溜まった疲労を少しでも軽減するためと一課全員が休憩をとっていた。俺も同じく休息のため自動販売機の前に立ち、迷うことなくサイダーのボタンに触れる。聞きなれた一瞬の電子音と共に缶が販売機の底に叩きつけられる衝撃音が耳に入り、プラスチックを退けて容器を手にすると手の内が気持ち良い程度に冷えた。一気に飲み干すつもりで口を付けた矢先、羽織っていたジャンパーを下の方から二回ほど引っ張られ、一滴も口に含まずに視線を地面へやる。

「おにいちゃん!」

 やっと歳が二桁になるかならないか位の女の子が裾を握りしめながら、大きな瞳をこちらに向けていた。名前には二課に父親のいて、一般人なら決して立ち入ってはならない場所にも密かに行き来していたりして親に見つかり回収されることも頻繁にあるが、監視官なしの状態で執行官に会いに来てしまう事もできるようだ。

「またこんなところきちゃって、また父ちゃんに叱られるぞー。それに俺の近く来ちゃダメって言っただろ。」

 色相が感染なんてしたら彼女も即施設送りになり、将来良くて執行官なんて、下らない人生を送ることになる。何がきっかけなのかてんで見当がつかないが、何時からか後をついて回ってしまうほどに懐かれていたようで、現場を目的したギノさんにこっぴどく叱られることもしばしあった。しかし性根の優しい部分が裏目に出てしまって、名前が酷く反省したかのような色を浮かべると、バツの悪そうな顔をして言葉を濁す。最終的には付きまとわれていた方、いわば被害者である俺が始末書付きの説教を受けることで、事態は収まるというのがいつも通りの筋書きだった。

「一緒に逃げよう!」
「鬼ごっこもいいけど、また始末書書かされんのやだしあっちいっててくんねぇ?。」
「やだ!だっておにいちゃん死んじゃうんでしょ?こっ..こんなところ早く逃げないとっ!」
「ちょっ何突然泣いてんの!」

 元々冗談を言うような性格でもないし、目尻に涙を浮かべているところからするに本気で何かしら勘違いしているのだろう。泣き出した子をあやす術を心得ている筈もなく、表情をひきつらせて冷や汗をかいた。どうしようもないからといって放置というのも気が引けるし、途轍もない罪悪感に苛まれることが目に見えているので、この場で何とかするしかなさそうだ。

「んな泣いてるだけじゃわかんないし...。」
「あの眼鏡の人がね、おにいちゃんの傍行っちゃダメだっていったの。何でってきいたら、私にうつっちゃうかもしれないし、怖いお仕事してるから死んじゃうかもしれないって。だからねっ...遠くに行かないといけないの。」
「あーガミガミメガネのいう事真に受けたらだめだから。」

 恐らくあの人は幼児に向かってくっそ真面目な顔で、色相が濁るだの執行官が同だのと説教ついでに語ったんだろう。光景が手に取るように想像でき、あまりに大人げないギノさんの姿に思わず噴き出した。くすくすと突然笑い始めると一旦泣き止んだ名前が不思議そうな視線を向けてきて、我に返ったにはっとして口を片手で押さえる。

「...とにかく。俺は死なないし。」

 そうは言ったものの、実際どうなるのかは神のみぞ知るといった所だった。執行官はドミネーター片手に危険な廃地区へ乗り込むことも珍しくは無いし、追いつめた犯人に刃を向けられることも多々あるように、かなりの危険が伴う。故に殉職していく者が一課にも数多くいると聞いた。しかしだからといって今すぐ死ぬという訳でもないし、そんな悲観的な考えも生憎持ち合わせていない。悪いのは小難しい内容を教えたギノさんであって、歳を考えれば致し方ない事なのだが、いえばただの考え過ぎだ。とりあえず頭を二度三度ゆっくり撫でると、俯いていた顔を上げて若干笑みを浮かべる。

「でも怖いお仕事してるんでしょ?」

 怖いお仕事...か。正義という言葉を振りかざしているが、理由を失くしてしまえばただの人殺しに等しくもなるのだろう。とても綺麗とはいい難い場面にばかり遭遇する仕事を、容易に述べると確かにそうなるのかもしれない。

「俺は...そうだな。みんなを悪い奴から守るお仕事やってんの。」

――市民を守る大切なお仕事です。
いつの日か耳にしたカウンセラーの言葉が木霊するが、懸命に振り払う。だた憎いとしか思わなかった言葉を、自身の口から発するのは妙な気分だった。

「どんな感じ?」
「んー、こう悪い奴がいたら銃でばーんっ!って懲らしめるっていうか。そんな感じ。」
「じゃあおにいちゃんのお蔭で悪い人もいなくなるの?それってすごい!」

 その『居なくなる』は少し違った意味合いになる。悪党が改心することを居なくなると表しているようだが、実際の意味は存在を完全に抹消することにある。多少の会話のずれもあえて無視をした。

「なら、おにいちゃんは正義のヒーローだね!」

 余りに子供らし過ぎる響きはもうかれこれどのくらいか思い出せないほどの間耳にしてこなかった単語だった。幼少期に夢を見る時間を与えられなかったせいか、救世主にあこがれる暇なんてなかった。眩し過ぎる幻想に目を細め、にかっと笑って見せる。

「そりゃもちろん。街の平和は俺に任せてくれっ!」
「かっこいい!」
「だろ?俺は超強いヒーローだし、絶対死なねぇ。」
「絶対に絶対?」
「俺が嘘つくと思うか?」
「ううん、思わない!」

 ゲームでも漫画でも、主人公は困難にぶち当たると気合と根性で壁を乗り越えて、悪党をやっつけて。平和を守って笑顔を絶やさず笑い声を勇気に変える。それに絶対に死なない。息絶えそうになっても愛の力とか何とかで、もう一度立ち上がる。嫌気がさすほど馬鹿げている理想像と現実を照らし合わせると、虚しさが溢れ出るけれど、幼いころ位は綺麗な夢を見ていてもらいたいと強く願った。

「私大きくなったら同じお仕事がしたい!」
「正義のヒーローは大変だからやめときなって。」
他人の為に自分を犠牲にする役柄なんてろくなものじゃないんだから。
「うーん、じゃあね....おにいちゃんのお嫁さんになる!」

 それはお父さんに言ってあげる筈の台詞だ。親ほどに慕ってもらっているという事実を嬉しく感じたのと同時に、もし自分も荒んでいない無垢な少年であったら、こんな事を口走っていたのだろうと考えると涙腺が危なくなる。微笑ましい台詞に口角を思いっきり釣り上げて、もう一度頭を撫でた。

「そりゃたのしみだな。」

物事を理解できる年齢に達した時、彼女から呟かれる「嘘つき」という言葉。それを聞くまでは、英雄気取りの偽善者になりきってみるのも悪くない、と素直に思った。