05

 待ち合わせ場所へ向かうために、駐車していたパーキングエリアで男が清算をしている間、壁にもたれかかりながら待っていた筈だった。友達からのメールに『これからそちらに向かう』と一文だけ入力してから、絵文字も顔文字も無いそっけないメールを送信した。画面からふと顔を上げた時に待っていたのはパーキングエリアのカラフルな標識ではなく、男の肉厚な手の内。弱らせるために後頭部を拳か、または固い物体かで強く殴りつけられる。余りにいきなりな展開に愕然としてしまって、助けを求めるため叫び声を上げようとするも、その前に口も布のようなもので塞がれてしまった。そこまでは鮮明に思い出せるけれど、後どうやって私が自由を取り戻せたのかは、記憶していない。
 意識を取り戻したときには既に男たちはうつ伏せに倒れ、外傷は見当たらないもののピクリとすら動かなかった。本来追手達のアジトで下衆な男たちに取り囲まれているはずが、代わりにこちらを覗き込んでいたのは、状況からするに私を助け出してくれたであろう男の姿。鉛のように体が重くて力が入らない上に、頭部にも鈍痛が走る。こうまで非日常であり不幸が降ってくる本日はいわゆる厄日というものなのかもしれない。

「...痛い。」
「あまり動かないで。今」
「痛いけどいいや別に。早く行こう。」

 数時間の会話で、説教の一つくらい潔く引き下がるような性格を私がしていないことを心得ていたようで、酷く心配そうな表情をしたあとは何も言おうとしなかった。代わりに歩ける?と質問された後、再度抱きかかえられそうになったのがひたすらに恥ずかしくて、大丈夫自分で歩けるからと意地を張ったことを後悔している。素直に言えばしばらくあの場所で座り込んでいたかった。足取りに変化はないけれど頭痛と視界のぼやけが歩行の邪魔をしてきて、人の気遣いは無下にするものじゃないということを身をもって知る。それでも状態を察して手を引いてくれる仕草は流石というべきか。

「どうしてミニマムを使わなかった?人だっていなかったのに。」
「この情報はまだ流出してないってわけか。...いいよ、今助けてもらったお礼に教えてあげる。最強なんて呼ばれてはいるけど、実際の所この能力には大きな欠点がある。同じ人物には"一度しか影響を与えることができない"。」
「じゃあさっきの男たちは。」
「私を拉致して監禁してたやつと同じってこと。部屋から逃げ出すときに一度ミニマムを使ってるから応戦できなかった。でも気絶させておいたし、今日中には起き上がれないくらいのダメージは追わせておいたんだよ?何かキメてるのかミニマムなのかはわからないけど、あいつとにかく普通じゃない。」

 しばらく考え込むような間を開けた後、なら君は相当危ない局面に立たされていたってことだね、と言われてから今更それに気が付いた。しかしその相当危ない相手を息切れもせずなぎ倒してしまった目の前の男だって、同じくして常人を外れた存在であるのだろう。この男が触るな危険とういうことは、私の持つミニマムとは混ぜるな危険。ピンを抜いた後の手榴弾みたいで、世界を破壊するときは自らまで巻き込んでしまう気がする。

「ねえ。これでミニマム要らなくなった?」
「むしろ前以上に欲しくなったよ。一度しか使用できないというのはミニマムの欠点であって、同時に使い手の欠点でもある。」
「私の何が悪いと?」
「詰めの甘さ、かな。そのミニマムの特長は、攻撃を逃がさず一度限りは与えられるところにある。なら答えは簡単だよ。一発で相手を永遠に動けなくすればいい。そうすればミニマムが使えず丸腰で敵と向き合う事も無くなるし、欠点も克服できる。」
「問題解決ありがとう。でもさ、それができないからなおさら困ってるんだよね。」

 人を殺められないほど正義を信じて突き進むようなたちではないし、ミニマムを手にしてから覚悟は決めた。残る答えは一つしかないけれど、それはどうも納得がいかない。私自身が弱いだなんて。自分の身一つも守れない程脆弱な精神をしている自覚はなくて、今も要因を模索中だけれども、見つかる兆しは見えていない。

「でもよく考えても見て。一撃で仕留めてしまわないのが悪いとかおかしいでしょ。私は虫にも慈悲をかけて手で潰すことができない、心清らかな人間だから。悪いのはミニマム。」
「君のそういう所好きじゃないな。もっと可愛げのある方がいい。」
「そりゃどうも。」
 
 皮肉と嫌味が飛び交う空間に居るのなら、普通は反吐が出るほど気分が悪くなるところだけれど、大人げないやり取りに笑みがつい零れてしまう。また男がバックミラーでこちらを確認してくるものだからてっきり睨まれるのかと思えば、以外にも可笑しそうに口元を緩めて、馬鹿らしい言い合いを鼻で笑った。物の見方が根本的に違う私たちは到底分かり合えない仲であることは偽りようのない事実だけれど、このとき思ったのは妙な懐かしさと心地よさだった。


×××


 彼女と顔を合わせた瞬間から蟠りを感じていた。胸の奥に何かがつっかえているような不快感は一晃に収まらない。それは彼女に直接的な落ち度があるわけでは無い。冗談と皮肉を織り交ぜた嘘を吐く点においては馬が合わないと言っても良いけれど、今のやり取りは何故か苛立ちなど感じさせず、寧ろ互いに笑い合ってしまうくらい暖かいものだった。彼女が操る言葉たちは、本来の意味などすっかり忘れて、皮肉だろうとなんだろうと苦にならない。
 柄にもなく、副作用の毒牙で彼女を廃人にしてしまうのは勿体ないと頭に浮かんでくるけれど、だからこそ救ってあげなくてはいけないのだ。けれどもおかしい、感覚が自分が気持ち悪い。

 違和感はもう一つある。彼女は後先考えず行動するような愚かな人間ではないことは会話の内容で察することはできて、行動を共にする間にその意識は一層強まっていた。周到すぎるほどに先を予測しながら、最善の行動を導き出せる。
 だからこそ彼女の行動には不自然な点があった。
 
「一つ変な質問するよ。」
「どうぞ。」
「...君は今日死ぬつもりだったりする?」

 これが杞憂で終わってくれたらよかったのに。ここで彼女がそんなわけないでしょ、何言ってるの、と限りなく馬鹿らしい質問を笑い飛ばしてくれたらいいのに。お得意の皮肉を一つ二つつけて。

「そういう鋭い所好きじゃないんだけど。」
 
 彼女にも明日を迎えてほしいだなんて願ってしまう僕はやはり妙だった。
 初めに疑ったのは彼女が提案に乗った時、一番初めだった。だって彼女にはミニマムを失った後も狙われ続けるかもしれない可能性があったんだ。また拉致されてしまったとしたら、もう身を守る手段が残されていない。彼女がそんな軽率な事をするとは思えなかった。
 もし"君にミニマムがもうない"って追手たちに伝われば、狙われることは無くなるかもしれないけれど、それはあくまで伝わればの話。本当にミニマムを失くしたのだ、と追手に言い聞かせたとして果たして聞き入れてくれるかなんて、誰にだってわかる事だ。そうしたらどんな目に遭うかくらい予想できる。

 それに彼女のミニマムの発動条件は"相手に視線を向けること"だ。もし敵が首筋にナイフを当てていて、あと数ミリ動けば動脈が切れてしまうなんて危機的状況であっても、相手が視界に入っているかぎり、彼女の攻撃は相手の一歩先を行く。まさに最強と呼ぶにふさわしいミニマムだ。先ほど話題に出た通り、一撃で仕留めればの話だけれど。
 でも初めに交渉をして車に乗り込むとき、僕は彼女に目隠しをしていたのに、何の抵抗もなくそれを受け入れた。まるでいつ命火を絶たれても構わない、といっているように。

 殴られた後でも懸命に友達に会いに行ったのだって、今日を逃したら未来永劫会えなくなるからかな。

 ミニマムの引き換えにクレープが食べたいと言い出したときは、なんて貪欲な人だろうと呆れたほどだけれど、死ぬ前にクレープが食べたいに置き換えるとそれはなおさらだ。でもどうしてそんな真似をするのかまでは憶測すら思いつけない。どうして君はそんな事を?

「何でかを知りたいなら説明するけど、今は無理。とにかく友達に会わなきゃいけないの。それはこの世からいなくなる前に顔を合わせたいってのもあるけど、もう一つ重要な理由がある。だからそれを果たし終ったら教えてあげるし、ミニマムもあげる。」

  


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