02

 締め切られたカーテンの隙間からは、一筋の日さえ漏れることのない、じめじめと湿った暗い部屋。昨夜は仕事を終えて帰宅し、最低限の事を済ませてからすぐにベットへ入った筈だった。眠りの浅い私がああまでぐっすりと夢に浸れたのには多少の違和感を覚えたが、それもまた心地よく、小難しい思考を投げ出したのがきっといけなかったのだ。何処で睡眠薬など盛られたのか見当がつかないが、まあそんな事は今となってはどうでもよい。
 両腕に巻きつけられていた拘束具は外れたし、監視していた男たちも床にうつ伏せになってピクリとも動かない。目の前にあるドアは錠もかけられておらず、ある程度の力を加えれば開いてくれるはずだ。迷っている時間は無いと、ドアノブに手を伸ばすと、予想外にも向こう側からドアを開こうとする者があった。扉一枚向こうの部屋は酷く明るくて、明暗の差で目をくらませれば、私に影を作るようにして立っていた男が口を開いた。

「少し話をしても良いかな?」

×××


 黒い洋服に身を包んだ男は、襟から大変端整な顔立ちと、紫がかった銀髪をのぞかせる。服装と雰囲気さえ抜き去ってしまえば、何の変哲もない好青年の様な容姿なのだろう。背丈もそこそこの線が細そうな体格からいうと、こんな怪しい場面で危うい台詞を吐くはずが無いように見える。しかし完全なる犯罪に巻き込まれていた人間を目の前にしても、いたわりの言葉も質問一つさえしてこないといく時点で、既に一般人ではない事は明確だ。話をするために場所を変えよう、だなんて。随分と典型的な誘い文句だ。
 そして私はその話にのった。連れてこられたのは先ほどまで居た部屋からそう遠くない場所にあるバーの様な所。恐らく長い廊下を一つか二つ曲がったところにあった。建築士のセンスというより人間性までもを疑いたくなるほどに歪な建物は、訳あり客を招き入れるかのように物影が多く、どんな部屋が存在していてもおかしくないような作りだった。男が数人飲んでいるだけの寂しげなバーで注文するかと問われるが、とても酒を入れる気分ではない。というより、元々の所アルコールは苦手な物に部類される。一先ず「オレンジジュース」といえば本当に用意され出てきたことに驚いた。向かいの男も自ら酒はどうかと尋ねておきながら、「コーヒー一つ、砂糖付きで。」なんて注文して、積み上げられた角砂糖を丁寧に投入していく。真っ白な砂糖たちは男の手によってコーヒーへ投げ込まれると、その体を濁った茶色へと染めていった。やがては熱に負けて溶ける。それを何度も繰り返すうちに、男が好む甘さになったのか、一口味見をして砂糖入れのふたを閉めた。

「話をする前に一つ聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
「勿論どうぞ。」

 見た目によくあった丁寧な言葉の選び方で、男は尋ねてきた。ここまで散々連れまわしておいて、今ここで聞く意味がどこにあるのかは理解できなかったが。やけに真剣な男の眼差しに負けて、流れに乗ることにする。

「君はミニマムの事をどう思っているのかな?」
「希望。」
「本当の事を言ってほしい。」
「答えを知ってるのなら聞かないでよ。まあ...あえて言うなら、呪いかな。」

 予想通りの返答に、予め入手しておいた情報の信憑性を確認した男は、ほんの少しだけれど目を細めた。口元が隠れているため、その動作が笑みを浮かべる際に生じたものなのか、怪訝そうな顔をしたときの副産物なのかは読み取れない。どうやら私の答えは男の気に入るものだったらしく、例の話とやらをしてくれるようだ。
 スプーンで解けきらない砂糖をカップの中でかき混ぜながら、視線をこちらに向ける。私も真似するようにストローでオレンジジュースに浮かんだ氷をかき混ぜた。解け切ってもたびたびカップをかき混ぜる男の動作や、私の手悪戯は、両者共直接的には意味のない行動だった。男にとっては無意識のうちに生まれる極自然の動作だったが、私にとっては場の居づらさを紛らわす役目も果たしていた。

「というか私を誘拐してまで話したいことがあるなら、じらさないで早くしてよ。ここ結構居づらいから。」
「でもここはアルコールを扱っていないから、一般的なバーよりも酔っぱらいの被害には会いにくいはずだ。」
「確かに酒の入ってる人は苦手だけど。そうじゃなくて、雰囲気の問題。」
「ああ、それじゃあ仕方がないね。」

 表の世界よりも数段空気に重量と圧迫感を感じざる負えな空間は、私の体全体が拒絶反応を起こすかのように、気分が悪かった。アルコールの気配は話の通り無く、少し煙草の匂いがする程度。どれか一つ決定的な理由は無くとも、照明の位置や壁紙の色なんかの条件が少しずつ重なっていくことで、私が嫌がるような空間が出来がっていたのだ。
 ちなみに何故アルコールを取り扱っていないのかと質問すれば、こんなところでアルコールを出せば死人が出るから、だそうだ。裏社会云々には全く持って知識の蓄えがないためよくわからないが、イメージとしてはこういう場にこそ怪しげな酒を売るバーがあるような気がするのだが。男曰く、そういう場所も実際に目にしたことがあるとのことだった。しかしここはもっと最下層のろくでもない奴ばかりが集まる場所で、高級な酒を出す資金も無いらしい。だからといってオレンジジュースとコーヒーを出すのはどうなのだろう。
 
「でもどうしてここに連れてきたの?もしかしてこういう場所が好みとか?」
「それはないよ。正直言えば僕もここは苦手だ。ただ君によく似た女性がここに連れて行かれたと話を聞いてね。」
「ちょっとまって。ついさっき否定しなかったじゃない。」
「正確に言えば誘拐を企てたのは僕じゃない。誘拐された君をこうしてバーに誘っただけだよ。ただ話がややこしくなるだろうし、拉致をした男たちを利用して君と接触したのは事実だから否定しなかっただけ。」
「人を平気で拉致るような人とじゃ、的な話は出来ないと思ってたけど。話が出来そうな人で良かった。」
「まあ予め言っておくと、僕は目的のためなら手段を選ばないような人間だよ。それに言った通り僕は話をするためにここに来たんだ。君みたいな能力のミニマムホルダーにむやみに手を出すほど、僕も馬鹿じゃないからね。」
「私のミニマムが怖いと。だから実力行使は避けて、平和的に話し合おうってことね。」
「無駄な戦闘を避けたいと思うのは誰も同じたと思うよ。それに時間も無いんだ。」

 今度は視線だけでなく顔をこちらに向けると、ポケットから一本の注射針を取り出した。先の方が鳥肌がたつほどに太く、あれを突き立てられたら失神どころでは済まないだろう、なんて想像が膨らんでしまう。

「取引をしたい。君はミニマムを所有していることで酷く悩んでいると聞いたんだ。僕はその能力を譲り受けたいと思っている。」
「ただで?」
「能力の強さ故に狙われることが多い事は良く耳にする。今日だって同じ動機だったようだし。ミニマムを失う事は君にとって大きな利益になると思うよ。」

 持ちかけには色々と思う所あった。そもそも監禁部屋があるような場所で出会った男の話を、鵜呑みにして良いのかというのも大きな悩みの種となる。どうにか危ない目に遭うのでは無いか、などとミニマムを手に入れる前の癖でつい不安になったが、今の私に怯える必要が存在しないことを思いだし、瞬時に思考を切り替えた。
 立場上私が有利であるのだから、断ろうが受け入れようが勝手だ。もし男が実力行使で挑んできたとして、それは例え相手がどのような武器を持っていようと、ミニマムを所持していようと...負ける気がさらさらしなかった。男は真面目の塊のような堅物で、あえて負け戦をするような人間には見えないため、一応の安心はできる。まあ、そうであると願いたい。そして男はミニマムの移転の際に使うであろう注射器をこちらに見えるよう机に置く。

「その注射針の信頼性はどの程度なの?」
「僕も何度か試しているし、ミニマムの移転については保障するよ。」
「ふーん。ってことは、それ以外に保証サービスはついてこないと。」

 すると男はまた目をすっと細めると「どうだろうね。」などと話を濁したが、その反応は先ほどの質問に対する肯定と受け取った。候補として挙げられるのは、たとえば後遺症。失った事による変化。いずれにせよ男が面と向かって告げられない重さだということは変わらないだろう。

「いいよ、その話のってあげる。」
「今の流れからすれば損をするのは君だってことぐらいわかってるよね。気まぐれであったとしても、その判断はあまりに君らしくないんじゃないかな?」
「なーにその私を知り尽くしてる風な発言は。まっ、どの程度調べてあるんだかはわかんないけどさ、いいとこ突くね君。損益出してでも協力してやろうなんて善良精神の持ち合わせなんて、ある筈がないし。」
「なら何が望みなのかな?僕が出来る範囲であれば力の出し惜しみはしないよ。」
「別に欲張ったりしないから安心して。」

 宿敵を待ち構えているような怖い顔をしている男がなんだか可笑しくて、少し悪役ぶった口調で要求を告げてみる。さすれば案の定、男は眉間に皺を寄せた。

「今日一日だけ君を好きなように扱わせてもらう。それで夕方にはミニマムを渡す。これでどう?」
「交渉成立だ。」
 
 抽象的な条件に危機感も覚えず首を縦に振ってしまう様子から、男がどの程度私のミニマムを欲しているかが伺えた。言うことを聞けだなんて、何を命令されるか知れたことではないというのに。
 こんな要求をするだけに男にやってもらいたい事がいくつかあって、その内容を手短に伝えなければならない。そのために鞄の中から折りたたまれた一枚のチラシを手にして、男の目の前へと付きだせば、訳が分からないといった様子で疑問符を浮かべられる。それも当然だろう。というか、むしろこんな反応を待っていた。

「ここ一緒に行って。」

 男は怪訝そうな顔をしていたけれど、はたまた服のせいで顔の一部が隠れているため、面倒事が起こりそうな今日に嫌気がさしたからなのか、私の馬鹿さ加減に呆れたからなのかは、判断できなかった。

  


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