ぴりぴり。ぴりぴり。


目が合うと静電気みたいにぱちぱちすることがあるようになったのはいつからだっただろうか。最初に気がついたのは小学生の頃だったか。

この不思議な体質と付き合うこと10年間以上、なんでこうなるのか、わかったことは少ない。目があうと人によっては電気が走ったみたいになるけど、大抵の人には何も感じない。たまにぴりっとしたりばちっとする人がいて、そういう人とは相性がいい。
「運命の人と出会うと雷が落ちる」なんていうけど、たぶんそんなもんなんじゃないかな、と思う。異性にしか電気を感じないのも、同性は恋愛対象じゃないからなのかもしれない。そう思ってわたしはこの能力を相性診断として使っていた。運命の人を知らせる雷はまだ落ちたことがなくて、これまでにはかなり強めの静電気くらいしか感じたことはなかった。
そのうち雷が落ちる人に出会って、素敵な恋をして、いつかは幸せに暮らしちゃったりするのかなって、夢を見ていた頃もありました。


そう、ありました、そんな生ぬるい夢を見ていたことも。

そんな甘い想像を、文字通り雷が落ちた衝撃で打ち砕かれたのは、高校に入学して部活も決めた4月末のことだった。


わたしの入学した私立青葉城西高校は、兄である及川徹が通う高校であり、バレーボールの強豪校である。兄の熱心な誘いで男子バレーボール部に、マネージャーとして入部した私は、先輩方に挨拶をするときに大いに驚くことになった。なぜって、部員のほとんどが強めにぴりぴりするのだ。わたしとバレー部の皆さんってすごく相性がいいのかもしれない。そう胸を高鳴らせながら同じ1年生にも挨拶をしようと目を向けたとき。
雷のごとき衝撃が私の体を突き抜けて、思わず尻もちをついた。目の前で突然飛び退くように倒れたわたしに、その人は心配そうに顔を覗き込んできた。端正な顔立ちには驚いたような、困ったような表情が浮かんでいて、黒い瞳と目が合ったときまた雷が落ちた。
いたい、すごく痛い、何より怖い。
目を合わせないように大丈夫です、ごめんなさいと立ち上がり、挨拶してよろよろ歩いてその場から逃げた。

これが運命の人ってやつなのか。
だとしたら全く嬉しくないぞ。
恋に落ちるどころか、衝撃で心臓麻痺でもしてしまいそうだ。

家に帰ってからお兄ちゃんにその人のことを訪ねると、どうやら中学のときの後輩だったらしく彼のことをよく知っていた。国見英という名前らしい。

「そっか、名前は私立中学いったから国見ちゃんとは面識ないのか」


国見英。そいつが私の暫定運命の人、目が合うと雷が落ちる人。運命の人なんて言っても甘いものではなくて、真剣に命の危機を感じる衝撃を放つ恐ろしい相手だ。もはや天敵と言ってもいいかもしれない。そんな相手とこれから3年間同じ部活でやっていく?経験上この電撃に慣れるなんてシステムは存在しない。いつ目を合わせても同じ相手なら同じ衝撃。どういう仕組みで雷が落ちる感覚がするのかわからないけど、打たれどころが悪ければ心臓がやられそうだし、腰が抜けたりショックで気絶したりなんていうのもありえなく無い。なによりかなり痛い。始まったばかりの高校生活に暗雲が立ち込めている気がする。これからどうなってしまうんだろう。



不安でいっぱいだった春から時は流れ、季節は夏。夏休みといえども部活に熱中する高校生には休みなどないのだ。覚悟はしていたものの、連日の暑さに加えて部員のサポートのために走り回っているのはなかなかに大変だ。首もとを流れる汗を乱暴に拭ってからドリンクのかごを持ち上げた。

「名前、ちょっとは休憩したら?」
「あ、国見お疲れ、ありがとう。これ運んだらちょっと休ませてもらおうかな」

声をかけてくれたのは国見。この数ヶ月で、わたしは目を合わせないで普通に会話する技術を身につけたのだ。
初めの頃は失敗して雷を喰らい、ボールかごをひっくり返したり、ドリンクをぶちまけたり、階段から落ちたりもした。しかし国見の存在にいつも注意し、会話のときは目元を絶対に見ないように口元を凝視するようにした。すると、廊下の角でばったり、なんてことがない限り目を合わせないようにすることができるようになったのだ。そもそもわたしと国見には大きな身長差があるので、目を合わせないようにすることは思ったより難しくなかった。
うまくやっていけるか心配だったけど、今では普通に会話できる。それところか、わたしが最初の頃雷の衝撃でいろいろやらかしていたので、国見のなかでわたしはどうやら抜けている子になっているようで、心配してよく声をかけてくれる。
そうなのだ、あれだけ強い電撃が走るのだから、相性が悪いわけないのだ。本来なら意気投合して、今頃は異性の中で1番仲がいい相手くらいにまで出世しててもおかしくないのだ。それを阻んでいるのが、他でもない相性を教えてくれるこの能力なのだから皮肉な話だ。

「あっついねー」
「そうだね」
「課題終わった?」
「あ、やば、開いてすらない」
「わたし終わった」
「うっそ、写させて」
「やだよ国見のためにならないよ」
「けち」
「あ!!!!国見ちゃんと名前がサボってる!!ずるい!!イチャイチャすんなよ!!」
「お兄ちゃんうるさい」
「及川!!サボるなボゲェ!!」
「岩ちゃん!国見ちゃんもサボってるよ?!」

ちょっかいをかけに来たお兄ちゃんが岩泉さんに引き摺られて行って、国見も練習に戻っていった。ちょっとずつ国見と距離が近づいていることにくすぐったく感じながら、わたしも仕事に戻ることにした。わたしも頑張らなくちゃ。



「名前ってさ、俺の目みてないよね」
「え、国見?」
「どうして?俺の気のせい?」

突然そう聞かれたのは夏服から冬服に移行してすぐの頃で、内心とても焦りながらもそんなことないよ、と弱々しい声で呟いた。部活終わりの帰り道で、今日はたまたま助けてくれるお兄ちゃんも金田一も誰もいない。わたしと国見、ふたりっきり。わたしはしっかりと国見の口元を見つめた。

「うそ、今だって見てないでしょ」
「みてる」
「この距離だったら流石に気づくって」
「…」

暑くもないのに首筋を汗が伝う。どうしようか。我慢して目を合わせるか。最近は食らってなかったから、久しぶりの電撃に平然としていられる自身は正直ない。でもこのままだとせっかく仲良くなれた国見との距離が離れてしまいそうだ。

それは、いやだ。意を決して国見の目を見た。
全身を打ち砕くような痛みが走って、潤みそうになる目を必死に堪えて、引き攣る口元で必死に笑顔を形作った。

「ほら、みてるでしょ?」
「…うん、それはまあ、そうだけど」

腑に落ちないようだったけど一応納得してくれたみたいだったので、じゃあ帰ろ、とそっと目線を口元に落とした。
そのときは、この場をやり過ごせた安心で、国見がどんな顔をしていたかなんて全く見ていなかったし、想像もしなかった。

痺れの痛さに耐えるわたしよりもっと苦しそうな国見の表情なんて、知る由もなかったのだ。


時は流れて季節は冬。春高バレーは予選敗退。お兄ちゃんたちは引退して、一二年生だけになった部内の空気はどこかまだ落ち着かない。
秋の一件からわたしと国見の距離は、ゆっくりと離れていった。もともと部員とマネージャーの域をでない仲だったけれど、今では必要最低限の関わりしかなくなった。おかげで不意の雷の心配はなくなった。でも国見に近づけて嬉しかったわたしとしてはとても悲しい。仲良くなれると思ったのに。
元はと言えばこの奇妙な能力があるからいけなかったのだ。運命の人なんて嘘だ。これは呪いだ。仲良くなりたい相手を遠ざけてしまった。

あの日、私はどうすればよかったのだろう。
目を合わせないほうがよかった?
それだとあの場は切り抜けられなかったかもしれない。
目を合わせるだけじゃ足りなかった?
わからない、国見は何を思って突然あんなことを聞いてきたのだろう。
国見と出会って、部活で共に過ごして、色々なことがわかったと思っていたけれど、実際は何もわかっていなかったのだ。終わってしまったことについて嘆いても無駄かもしれないけれど後悔で色々とぐちゃぐちゃ考えてしまうし、どれだけ考えても、いろんなシュミレーションしても脳内国見は笑ってくれない。何が正解だったかなんてわからないし、結局は国見が離れていってしまう未来しか見えない。

部活から帰った制服姿のままベッドに倒れ込み、なんの恨みもないけれど枕元のテディベアを殴る。唸りながらやるせない気持ちをくまちゃんにぶつけていたら、気を使ったのか控えめなノック音が響いた。

「名前、大丈夫?開けるよ?」
「おにいちゃんんー…」
「どうしたの?話聞くよ」

ベッドの端に腰掛けて頭をそっと撫でてくれる。体を起こしてお兄ちゃんの横に座った。

「仲良くなりかけてた国見に距離おかれてて…なんていうか、寂しい」
「国見ちゃんに?うーん」

考え込むお兄ちゃん。ふたつ学年が違うといえども中学からの付き合いだ。わたしより国見のことを知っているだろうから、何かいいアドバイスをしてくれるかもしれない。

「名前よっぽど国見ちゃんに嫌われるようなことした?」
「えっ?!してない…とも言いきれないかもしれない…?」
「秘密にしてって言われたけど、なんか大変みたいだしちょっとだけバラしちゃおっかな。あのさ、国見ちゃんは名前と仲良くなりたがってたと思うよ?」
「え?」
「夏前かな、国見ちゃんに相談されたの。名前と近づきたいけど壁を感じる、みたいな感じの。壁作るようなタイプじゃないから頑張れ、って言っておいた」
「壁…」

夏前。ずっと前じゃん。その頃はやっと国見と目を合わせないで接するのに慣れてきた頃だ。うまくやれていると思っていたけれど、本人は最初から気がついていたということ?雷を避けていたのが、壁を作っているように思われてしまっていた?国見はずっとわたしと向き合ってくれようとしていたのに、わたしは怖がって逃げていたのだ。あの秋の日にわたしは、ちゃんと打ち明けるべきだったのかもしれない。目を合わせたくない理由。誰にも言えない奇妙な能力の話。そしてわたしだって本当は国見の目を見てお話したいということも。

「国見、そうだったんだね」
「うん」
「明日の部活終わりに国見と話してみる」
「そうだね、頑張れ」

お兄ちゃんはまたわたしの頭をぽんぽんと撫でて、晩御飯だから早く来てね、と部屋を出ていった。たまにうざったいこともあるお兄ちゃんだけど、すごく優しくて頼もしい。これでもうちょっとヘラヘラしてなかったら完璧だったのになぁ…。


そして迎えた決戦の日。
部活は滞りなく進んだ。練習が終わって部員達は着替えに部室へ向かい、わたしはマネージャーとして細々とした片付けや今日の記録を付けていた。
朝の時点で『部活終わりちょっと話したいことがあるから待ってて欲しい』とメッセージを送った。既読がついていたので、待っていてくれると思う。というか、帰られてしまったら本格的に嫌われてしまったということでかなりショックだ。遅くなるのは申し訳ないと思いつつも、ペンが重くなったみたいに感じて書くのが捗らない。
昨日の夜からずっと考えていた。どうやって話そう。わたしの奇妙な能力を信じてもらえるだろうか。というか、話したところでわたしと国見の関係は好転するのだろうか。わたしの運命の人はきっとあなただから、目は合わせないけど仲良くしてくださいって?そんなの普通に考えて馬鹿げた話だ。結局言葉は纏まらなくて、悶々としながらここまで来てしまった。もう後には引けない。でも怖い。国見を傷つけていたことにちゃんと謝りたいし、国見と仲良くしたいし、このままじゃ嫌だ。絶対に必要以上に近寄らないように、部活で必要な内容以上の会話はしないように、校内でも極力会わないように、そうやって国見がわたしに接しているのがつらいのだ。当たって砕けろ、きっと伝えたいことを伝えられれば大丈夫だ。

後ろ向きになりそうな心を必死に励ましながらペンを持ち直す。すると背後のドアが開く音がして、そっちを向くと国見がいた。咄嗟のことだったから目を見てしまって雷が落ちた。すごく痛いのもあるけど、その衝撃が久しぶりで、思えば長らく国見と向き合っていなかったのだと感じてしまって少しだけ涙が滲んだ。

「遅い」
「あっ、ごめん、すぐ書くからちょっと待って」

慌ててノートを目線を落として、ペンを必死に動かす。
背後に立ったままの国見が、わたしを見ている気がする。自意識過剰かもしれないけど、死角に立たれているせいですごく気になってしまう。何か言ったほうがいいかな。でも何を言えばいいのか全然わからない。それとも一旦書くのを中断して話すだけ話してみるか。部活後の疲れた体で待たせてしまうのも申し訳ない。そうだ、そうしよう。
そっと深呼吸をして、ペンを置いた。声を出そうとしたその時

「…あのさ」

先に口を開いたのは国見だった。

「なんで今更話があるって言ってきたかはよくわからないけどさ、俺結構名前と仲良くしたいと思ってたんだよ」

うん、お兄ちゃんに聞いたよ。
思ってた、という過去形の表現が心に引っかかった。

「でもさ、名前、俺と極力目を合わせないじゃん。近寄られたくないんだろうなって思った。だから一回聞いたけどはぐらかされたし。だからお望み通り距離を置いたつもりだったんだけど、何が不満なの、何が言いたいの」

ノートに落としていた目線はもっと下がって、まだ着替えていなくてジャージのままの太ももを見つめた。涙が滲んだ。

「国見、ごめん」

やっとのことで絞り出した言葉はたったそれだけだった。目が熱くて、脳みそが今までにないくらい早く回転しているのに何も考えつかないし、心臓はバクバクしているのに指先は冷たくて感覚がなかった。


「…一目惚れだったんだよ」
「え…?」

さっきまでより弱々しくなって国見の声。一瞬遅れて言葉の意味を理解して混乱する。
ひとめぼれ。
国見が?誰に?え、わたしに?

「及川さんの妹が同じ1年にいるって聞いてたら、そいつもバレー部入ったから気になってた。初めて顔合わせたときにさ、なんていうか、柄じゃないけどこの人だって思っちゃったんだよ」

わたしが初めて国見に会った日。いつか運命の人に出会えるのかなって浮かれていたわたしを一気に絶望に突き落とした日。電撃の痛みが怖くなった日。
国見も形は違えども運命を感じていたということなのだろうか。

「…だから仲良くしたかったんだけど、ごめん、迷惑だったよね…俺帰るわ」
「っ待って!」

慌てて立ち上がって背を向けた制服のブレザーを引っ掴んだ。だめ、国見にこんなに気持ちを打ち明けてもらったのにわたしが何も言わないなんてだめだ。

「今までのことは本当にごめん。国見の気持ちはすごくありがたいよ。これからちゃんと仲良くしよう…?」

国見は少しの沈黙のあと、ゆっくり振り向いた。国見の口元は辛そうに歪んでいる。こんな顔をさせたくて呼んだわけじゃない。

「…ほんとに?」
「むしろ仲良くしてほしい。ずっと仲良くしたかった。わたしずっと間違えてた、国見と向き合ってるつもりで全然違うことしてた。本当に、ごめん」

真っ白な頭で、それでも必死に言葉を繋いだ。うまいことなんて言えなくていい。国見に謝りたかった。逃げ続けてきたこと、目を背けてきたこと、傷つけていたこと。


「…ありがと」

吸い込まれるようにして国見の黒い瞳を見つめた。初めてちゃんと合わせた目は、すごく優しい目をしていて、この人はこんなに大人びた表情をする人だったんだなと思った。

国見と出会ってもうすぐ1年。長いようで短い1年を、わたしは国見のことを何も理解しないまま過ごしてしまうところだった。

もう遅いし帰ろっか、少しだけ微笑んだ国見に頷いてノートを閉じた。ある程度は書いたしもういいや。今のふわふわした気持ちでまともな文章が書けるとも思えないし。
わたしたちは久しぶりに並んでゆっくり帰った。会話が弾んたというわけではなかったけど、以前の距離感を取り戻すかのようにぽつりぽつりといろいろな話をした。

これからきっと、わたしと国見は近づいていける。いつかはもっと、その先までいける。




それ以来わたしに電流が流れることは無かった。もちろん雷も落ちない。

だって、運命の人がわかった今では、もうこの能力は必要ないから。


あしたの停電


back