おでんの卵はひとりいっこまで。

小さい頃はそうやって決められてたけど、大きくなって、親が仕事で遅くまで帰ってこなくなってからはそんなの無視だ。自分ひとりの夕飯、自分で器によそうおでん。卵はみっつくらいたべてやる。

卵は1日1個が健康にいいっていうのは迷信だって聞いた。真偽は知らないけど、あたしは健康のためにおでんを食べているわけじゃない、おでんの卵を味わうために食べているのだ。だから何も気にせず卵を食べる。

桜色のお皿に、大きなお鍋の底におたまを突っ込んで、丁寧に卵を掬い出す。表面が出汁の色で薄茶に染まって、つゆで濡れて光っていた。
みっつの卵の中心に餅巾着を鎮座させて、その上に豪快に大根を置いた。たぶん大根は2日目のほうがより味が染みて美味しいだろうから今日はいっこだけ。
あとは何を食べようか、と迷った結果、全体的に茶色いので彩りのために人参と、気まぐれでこんにゃくを掬った。そういえばこのまえの体育は風が強くて、口の中が砂でじゃりじゃりしたので、こんにゃくを食べなくてはいけない気がした。こんにゃくって砂食べちゃった時にいいんだよね。

でも実際こんにゃくで本当に砂って排出されるんですか。
というか、こんにゃく無しじゃ砂が溜まってしまうんですか。





「え……?名前、ほんとに砂のことだと思ってたの?」
「いや逆に砂とちゃうん?」


翌朝、昨日の晩御飯のときにふと抱いた疑問を、隣の席の倫太郎にぶつけてみた。

倫太郎とは去年も同じクラスで結構仲が良い。標準語は都会にいけば別に珍しくないけど、この辺だとみんな同じイントネーションだから、なんだか気になってしまって話しかけたことをきっかけに意気投合した感じだ。


「砂って比喩だよ、老廃物とかの」
「え……?あたしのお母さんは、運動会の次の日とか絶対こんにゃく出してたよ?砂食べたやろ、おろしなさいって」
「それはお母さんも勘違いしてるんだねきっと」
「信じられへん」
「スマホで調べてみればいいじゃん。だいたいあんなぷるぷるに砂おろしてくれる効果あるように見える?」


慌ててスマホを取り出して、検索エンジンに「こんにゃく 砂」と打ち込んだ。
1回間違えて角名って打った。おまえ、予測変換でそんなに上に出てくるほどポピュラーな単語じゃないぞ。


「いやなんかむしろ砂っぽい見た目やん、粒みたいなのあって、だからこう、仲間的なパワーでいけるんかなぁって」
「謎理論すぎる」
「えぇ待って……調べたら出てきた。ほんまや、こんにゃくは体の砂払い、ことわざやって。食物繊維で便通改善だと。……んん?え、しかも黒い色、海藻とかでわざわざ付けとるんやって、うっそぉ、ご利益あるんかと思っとった……」
「あぁーだってほら、白いこんにゃく結構あるじゃん、しらたきとか」
「糸こんにゃくー?」
「そそ」
「製法の違いやと思ってたもん、ブラックチョコとホワイトチョコみたいに」
「あーチョコ、あれ製法の違いなんだ」
「なんかね、カカオの茶色いところ使わないで作ったらホワイトになるんやって、カカオマス?使わんでココアバターだけみたいな!いやまあちゃんとは知らんけど」
「へぇ知らなかった」
「だからこう、作る時に黒っぽいところ排除したのが糸こんにゃくみたいな白いやつかと……」
「実際は逆で余計なもの突っ込んだのが黒いやつ、と」
「……んとね、高級めな、ちゃんとこんにゃく芋から作ってるやつは黒くなるんやって。だから高級感の演出のための黒や」
「えっ待って、じゃあ普通のやつはこんにゃく芋から作ってないの?安いやつは」
「……作ってへんのかなぁ」
「いやちゃんと調べてよ」
「あたし別にそんなにこんにゃくに興味あらへんもん」
「ここまでこんなにこんにゃくの話しておいて?!」



あたしだってまさかこんにゃく話がここまで盛り上がるだなんて思ってなかったんだもん。


「砂」
「ん、なに」
「倫太郎いつから砂やったの、あたし角名って呼んでへんよ、サンドのほうの砂やで」
「小学生かよ……」
「え、じゃあさ、体に入っちゃった砂ってどうやって出すのかな」
「勝手にでるんじゃないの」
「そんなに便利にできてるもんなん?」
「人体をなめちゃいけない」
「ほんま?」
「いや知らないよ」
「だめやん」


あいにく生物は真面目に授業受けてないので、体の仕組みについてはあんまり知らない。

生物なんて印象に残ってるの、膵臓ランゲンハンス島A細胞くらいだよ。これが一体何なのかわかってないけど、なんとなく響きが頭良さそうだよねって倫太郎と話した覚えがある。

理系科目って無駄にカッコイイ単語多いよね。
インテグラルとかファンデルワールス力とかセントラルドグマとか過マンガン酸カリウムとか?
あ、でも世界史とか日本史とかもカッコイイ単語結構ある。



朝練終わりで暑かったのか、季節外れのワイシャツ一枚だった倫太郎が、隣でもそもそとニットを着ている。すらりと背が高いものだから、シンプルな紺色のニットでも様になってる。


「ねーりんたろ、一限なんやったっけ」
「数学」
「……?!わ、まってあかん、今日日付で当たる、予習しとらんのに!」
「あー……どんまい」
「殺生な……!助けてくれへんの?!」
「名前のためにならないでしょ」
「そういうの今はええから、うわぁーん、ノート見せてー!」
「仕方ないなぁ、はい」
「倫太郎優しい好き」
「チョロい」
「……って、は? 予習やっとらんの倫太郎、うっわぁ使えねぇやっぱ嫌いやわ」
「俺べつに予習やったとは言ってないもん、どうせ当たらないだろうし」


時計に目をやると、授業開始まであと2分。演習問題に目を通すと、幸い恐らく当たるであろう1問目はそこまで難しい問題じゃない。


「そういえば前回佐藤が寝てて怒られたから当たるの一発目はあいつだよね、名前は2問目?」


そういえばそうだった。
1問目の式を立て始めていた手を止めて2問目を見ると、なんということだ、全くわからない。
1問目と2問目の間に何が起こってしまったのか、あたしには検討もつかないけど、とりあえず解き方が浮かんでこない。


「式すら立てられへんのやけど……」
「がんば」


無情にもなるチャイム。
始まる授業。
佐藤くんは当たることを覚悟していたみたいで、すらすらと問に答えている。
先生が「佐藤、おまえやればできるんだからちゃんと授業聞けよ」って言ってるけど、先生、1問目は簡単だよ、できて当たり前だよ、そんなことで褒めなくていいって。本当はあたしが答えるはずだった1問目を奪った忌まわしき佐藤だよ。


「じゃあ次、第2問は名字」
「っあ、はい」


やばいやばいやばいまだ解けてない、というか解けそうもない。
怒られるぅ……と内心涙目になりながら、すみませんわかりません、と言おうとしたとき。


横から差し出された一枚のルーズリーフ。


え、倫太郎?と思いながら受け取ると、そこには今日の授業の予習がしっかりされていた。


「に、にじゅうさん、です」


途中式をざっと飛ばして、最後の答えをぎこちなく読み上げた。

「そうだ、これができたら応用力があるってことだぞ、みんなできたかー」



ほっとしたと同時に、はじめて自分が死ぬほどドキドキしていたことに気がついた。手が震えて、手に持ったルーズリーフを取り落としそうになりつつ倫太郎に返した。

問題の解説に入った先生に気が付かないように、小声で倫太郎に話しかけた。


「ほんまにありがと」
「俺予習はルーズリーフ派なんだよね」


涼しい顔をしながら黒板の文字をさらさらとノートに書き留めていく倫太郎。


くっそう、かっこいい、最初から出してくれれば満点なのに。
やっぱり嫌いじゃないです、むしろ好き。


蒟蒻畑で捕まえて


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