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シングルベッド、ベージュのシーツに花柄の布団カバー。壁にはドライフラワーが貼り付けられていて、小綺麗で、整理されていて、いかにも女の子といった様子の1Kの部屋。
むくりと起き上がった国見英は、無表情で隣ですやすやと寝息を立てる女を見下ろした。

え、寝顔めちゃくちゃ可愛い。てか夜のアレは夢じゃなかったんだよな。めちゃくちゃに可愛かったし、なにより、…すげえ気持ちよかった。


この通り、国見はすっかり骨抜きにされていた。

部活に打ち込んできたこれまでの人生、国見英は大人びているし思考回路も少々冷めたところがあるが、その実ぴかぴか、ピュアピュアの大学新一年生であった。
可愛く酔った先輩に部屋に連れて行かれて、そのまま"そういうこと"を致してしまったことに、甘美な背徳感を感じて少々胸を高鳴らせていた。
というか、めちゃくちゃ好きになっていた、その先輩を。


「先輩、名前先輩、起きて下さい」
「んん、あきら、もうちょっと…」

腕を絡められて、柔肌に触れる。一気に心拍数が上がって、国見は慌てて深呼吸をした。落ち着け、落ち着け俺。


…国見英が悪い先輩に捕まってしまった経緯を振り返ってみると、それは昨夜、バレーボールサークルの紹介の後、新入生歓迎会顔合わせ会と称して行われた飲み会に遡る。





新歓と銘打った飲み会は、先輩達の内輪ノリとコール飲み、ゲーム飲み、挙げ句の果てにはワインオセロ。全く新入生を歓迎する気などなく、先輩達はただ酒を飲みたいだけ。

嫌気が差した国見英(18)は、グレープフルーツジュースを飲み干して席を立とうとした。
新入生は飲み食いが無料と聞いて興味本位で参加したバレーボールサークルの新歓は、期待外れどころの話ではなかった。飲食は確かにタダだったけれども。
ストローが空気を吸い込む音がしたので、荷物を手に取ろうとしたちょうどそのとき、隣に女の先輩が座った。

「英くんだよね、こんばんは〜」

赤く染まった頬でふにゃりと笑う女は控えめに言ってとても可愛くて、すぐに、先程まで先輩達の中心にいた人だと思い当たった。沢山飲まされていたようだったから、そこから抜け出して休憩、といったところか。手には水のグラスがある。
それにしても形式だけの自己紹介タイムだけで自分の名前を覚えられているとは驚きだ。俺はこの先輩の名前はわからない。


「英くんは出身どこなの?」
「この辺ですよ」
「地元民か〜私は県外、あっちのほう」

あっちのほうとはどっちのほうだ。
ふにゃ、ふにゃ。酔っ払いらしく蕩けた柔らかい微笑み。すごく可愛いし、火照った頬が色っぽい。
アルコールのせいではない火照りを感じて、グラスを傾けて国見はグレープフルーツのほのかな味が残る氷を噛み砕いた。
先輩は自分のグラスのついでに国見のグラスにも注いでくれた。お礼を言って一口飲む。

「先輩酔ってますね」
「まだ真っ直ぐ歩けるよ〜」

座敷に崩していた足を組み換えて、女が国見に体を寄せた。柔らかい感触と高めの体温が服越しに伝わってくる。内心ギョッとする。高校生活を部活に捧げてしまったので、正直なところ女子への免疫はあまり無かった。しかし可愛い女に多少引っ付かれた程度ならまだ平静を装える。国見は警戒レベルを引き上げた。
絡まれて面倒なことになる前に帰ろう。この人、多分サークルの中心的人物だ。姫的な。近寄らないでおこう。ぽっと出の一年坊主なんかが近寄って、先輩に目をつけられたら嫌だ。このサークルに入るつもりはさらさらないけれど、入学早々悪印象を持たれるのは気分が悪い。
帰ろう、すぐに帰ろう、そう決意して、今度こそ国見英はカバンを掴んだ。

「すみません、俺もう帰るんで」
「えぇ、じゃあ私も帰ろっかな、お金もう渡したし」
「ご馳走様です」

え、先輩着いてくる流れか?
正直疎ましく感じた。俺にあからさまに近寄ってくる可愛い女、警戒しないわけがない。何が狙いだ?大学の新入生、富も地位も名誉も何も無い。メリットがない。意味がわからない。逃げるが勝ちだ。やはりタダより高いものは無かった。
国見英は未成年だ。飲酒はしていない。それでも場酔いというのはあるもので、いつもより思考に落ち着きが無かった。

そろそろと居酒屋の座敷を出て、狭い通路を通って外に出る。春の夜風は熱気の籠った室内とは打って変わって爽やかで涼しく、息を吸って吐くと思考が澄んでいく気がした。

「英くん待ってよ」

背後からがばっと抱きつかれて、せっかくクリアになった頭が一気に混沌と化した。

「あごめん、ふらふらしちゃった」

こちらを見上げて赤い頬で微笑みかけられると、文句なんて言えるはずない。黙っていたら腕を絡められて、歩き出す先輩に着いていくしかなくなる。駅の方向ではない。
夜風は十分に涼しいのに、国見英は変な汗をかくのを感じだ。掴まれた左腕が熱い。

「酔っちゃった…ごめんね英くん」

そう言って頭を肩に擦り寄せられたりすると、もう、何も言えなかった。

「帰るんならもう一杯飲んどけっていわれてさぁ」

ふにゃふにゃ。
楽しそうに頬をゆるめる先輩。アルコールを過剰に摂取することの何が楽しいのか、国見には全くわからなかった。美味しい料理に合うお酒を楽しむとか、バーでカクテルを飲むとか、そういったものに憧れがないわけでは無かったけれど、ああいった馬鹿騒ぎしてハイペースでグラスを空けていくような飲み会に価値を見いだせなかった。
それに、お酒を飲んでこの先輩みたいに異性に引っ付くのもきっと良くない。大学生はそりゃあ男女関係に痴情のもつれ、繰り返す交際と破局なんかはありふれているのかもしれないが、初対面の男にこれは如何なものか。自分が女である自覚が足りないのではないか。
悶々と考えていると、ぐい、と腕を引っ張られて、そのまま小綺麗なマンションに連れていかれる。エントランスのオートロックを外し、エレベーターに乗り込み、部屋のドアを開ける。何の匂いかはわからないが甘い匂いの芳香剤が香る。

あ、これ先輩の部屋だ。
理解した頃には手遅れで。

こうして部屋に連れ込まれた国見英は、ぺろりと、初対面の女の先輩に食べられてしまったのだった。

そして迎えた翌朝が冒頭である。