しゃき、しゃき、しゃき、と鋏を入れると、光に透ける白い髪がぱらぱらと床に落ちる。切って、落ちて、掃いて捨てちゃうにはあまりに勿体ない綺麗な髪、銀に光る悟の髪。


「悟は髪染めないの?」
「なんで?」
「地毛がこの色なら何色にでも染められるよ、ブリーチなしで」
「あー…」

ひょい、と前髪を摘んだ悟は少し考えたあと、鏡越しに私と目を合わせた。

「別に染めたい色もないし」
「ふーん、そっか」


この前野薔薇ちゃんのカラーとトリートメントしたよ。
棘くんは髪伸びてきたね。
真希ちゃんがあんまり会いに来てくれなくて寂しいから顔出すように言って。
下らない話をしながら少しずつ、丁寧に、いつもよりゆっくり鋏を入れていく。それでも、定期的に来てくれる悟の髪はすぐにこれ以上手を入れようがなくなってしまって、シャンプー、トリートメント、乾かしてセットしたら終わりだ。

「はい、出来上がり」
「ありがとう」

邪魔になるから、と取っていた目隠しを元通り装着すると、薄氷みたいな瞳とそれを縁取る繊細なまつ毛は隠されてしまう。
悟がドアを開けると、ベルがからんころん、と音を立てる。ひらひらと手を振って見送って、さっきまで悟が座っていた席に戻る。床に落ちた髪の毛を丁寧に掃いて、間違いなく全ての髪の毛を集めたことを確認して全て焼却炉に入れる。

呪術師は、髪の毛の一本から何から何まで、自分の体から出るものの処分には気をつけなくてはいけない。
芻霊呪法に代表されるように、体の一部はそれを通して呪われる危険性を孕んでいる。万が一呪詛師に自分の体の一部が渡ってしまったら、それを通して自分が呪われてしまうかもしれない。
だから、呪術高専には美容院が併設してある。
切り終えた髪を、間違いなく即座に処分できるように環境が整えられた美容室。

そこで美容師として働く私だけど、本業は補助監督だ。呪術高専を出てから美容師学校へ行くというイレギュラーな進路を辿り、高専に舞い戻ってきた。今は補助監督として働きつつ、高専内でヘアサロンを営んでいる。
完全予約制、施術の代金は高専側が給料から天引き、予約のない時間帯には私は補助監督として各地を奔走する。

この仕事に不満はない。カラー剤も、トリートメントも、高専側が私の望むものを用意してくれるし、固定給にプラスで出来高によって給料が上乗せされる。危険が少ないわりに、かなり美味しい仕事であることには間違いない。



「はい到着、お疲れ様」
「名前さんありがとー!」
「あざす!」
「っす」

一年生三人を高専の前で車からおろして、駐車場に車を止めてから美容室に向かう。
予約は入っていないけど、美容室は私の巣のようなもので、空いた時間はそこで過ごしていた。


「…あれ、どしたの」

美容室の前、立っているのは190を超える長身。今日はサングラスみたいだ。ぺたんと落ちた白い髪が風でふわふわ揺れている。

「名前に会いに来たんだよ」
「あらどうも」

鍵を開けて扉を開けると、からんからん、と鐘の音が出迎える。ぱちん、と照明のスイッチを入れた。

悟は鏡の前の椅子に座って、椅子をくるくる回しながら長い足を投げ出している。


「名前はさ、僕の髪、何色が似合うと思う?」
「えー…」

悟の肌色、よく着る服の色、いろいろ加味して提案したいところだけど、悟はいつも黒い服を着ているイメージしかなかった。
じゃあ、目の透き通る薄いブルーに合わせるとしたら何色だろうか。
今の髪色の悟しか見たことなかったし、しかもその色がよく似合っているから、いざ何色が良いか聞かれるとわからなかった。


「…わかんないや」
「そう」


忙しいはずのこの男が美容室を訪れることはそれなりに多かった。それこそ、定期的にトリートメントだけでもしに来る野薔薇ちゃんと張れるくらい。


「名前が染めたい色があるなら、染めてみても良いかなって」
「へぇ」


この白い髪を私の好きな色に染めていいと言う。
それはなかなか魅力的な提案だ。ハイブリーチしなくてもこの髪なら思いのまま好きな色を入れられるに違いない。真っ白なキャンバスを用意されては、胸が高鳴ってしまうのは美容系、デザイン系の職の性というものではないだろうか。

棚を開けてカラー剤を眺める。
いっそメッシュやユニコーンみたいな、複雑なデザインカラーも楽しいかもしれない。


「いろいろあるんだね」

後ろから悟がひょい、と覗き込んでくる。

「うん。今の野薔薇ちゃんの髪色はこれ」
「ふーん」

興味無さそうな悟。
私の髪に指を通して、手で毛束を遊ぶ。

「名前は?よそで切ってんの?」
「あ、うん」

私は美容師学校時代の友達にお願いしている。自分じゃ自分の髪は上手く切れないから。

「色は?染めてるよね」
「え、よく気づくね。今はブルー系だけどブリーチしてないからほとんどわからないでしょ」
「わかるよ」

するすると悟の指が私の髪を滑る。髪には神経が通っていないはずなのに、なんだかくすぐったい気がした。

「地毛が黒いとやっぱ染めるのって大変なんだ」
「んーまあ、ブリーチしないと色入らないし、伸びてきた髪が黒いからプリンになると目立つし、まあ、うん、結構いろいろ大変だよ」
「へえ」


私の髪を弄る手を止めない悟。毛束をとって腰を折って顔を近づけて、すん、と嗅いだ。

「いい匂いする」
「やめてくれません?」

恥ずかしくなって振り払うと、その手を掴まれて悟とサングラス越しに目が合う。


「僕の髪、染めてよ」

黒いレンズの向こうで、ゆらり、とブルーが揺れる。目が離せなくて、悟のまつ毛の一本一本まで見える距離にドキドキして唾を飲み込んだ。


「僕はどうしたらいい?」
「ど、どうしたら、とは?」
「…」

背中に悟の腕が回って、引き寄せられる。悟の服に顔を埋める形になるけど、黒い服にファンデが着いちゃいそうでやんわりと抵抗する。それを悟は一層力を込めて私を閉じこめるから、諦めて悟の胸に頬をくっつけた。


「名前はずるい」
「何の話?」
「僕の気持ち、気づいてるでしょ」

目を閉じた。悟の心音も、気道を通る空気の音も、巡る血の音も全部聞こえる気がする。

悟の気持ちなんてわからないよ。
何を考えてるのかわからない。分からないから怖い。
よく美容室に来てくれる理由も、こうやって私に触れる理由も、なんにも、わからない。
悪く思われていないとは思ってる、でも好かれてるとは思えない。悟に釣り合うとも、好かれるだけの理由があるとも思わない。なのに、どうして。


「名前の好きな色に染めてよ。僕が名前の好きな色である間は、僕は名前のものだよ」
「…あはは、なにそれ」


ゆっくり腕が解かれて、体を離して悟の顔を見上げる。
ゆらゆら、揺れるブルーが私を見つめていて、綺麗だと思った。


「…分かった、時間ある?座って」

瞬きをして、大人しく椅子に座った悟の髪に指を通した。さらり、と指が抜けて、今からこの白を好きな色に染めるんだと思うと、不思議な愉悦を感じた。

証明


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