帰ってきた至くんは、しっかりと酔っ払った名字さんを連れてきた。
飲み終わった水のコップをキッチンに戻して、名字さんを連れて寮を出た。
誰かに頼めば車を出してくれたかもしれないけど、なぜかそれは気が進まなかった。
「あれ、つむぎくん?」
「そうだよ」
足取りがおぼつかない名字さんに腕を貸したら、手を絡めて密着してきて、そのまま名前さんは頬を俺の肩にくっつけた。
「つむぎくーん」
あまりに近い距離に少しビックリする。お酒の匂いに混ざって、ふわりと甘い香りがした。
「つむぎくん、この前は、とつぜん、告白なんかしてごめん、ね」
酔って潤んだ目が俺を見つめてくる。街灯の光でそれがキラキラ光って綺麗だった。
「いや、俺こそ、その、ごめんね」
人からの好意をお断りする感覚には、いつまで経っても慣れない。そもそもそれほど経験が多いわけではないし、まず慣れるものじゃないとも思う。
人を好きになるって感情はとっても素敵なものなのに、自分勝手な理由で拒絶するのを平気な顔でするなんて、それは違うと思うから。
「でもね、わたし、たぶんずっとつむぎくんのことが好きだよ」
「…え?」
ぽつりと呟いた名字さん。振った身で追求するのもどうかと思って聞き流すことにした。
ちょうどよくマンションに到着したから、ぽわぽわとして上の空な名字さんに一応形だけの承諾をとって鍵をカバンから探す。整理されたカバンのおかげで、鍵は簡単に見つかった。未だにふにゃふにゃな名字さんを支えながらエレベーターに乗って部屋に入る。
「名字さん、着いたよ」
名字さんは覚束無い足取りでベッドまで歩いていき、そのまま倒れ込んだ。
女の人だから、たぶんメイク落としとかスキンケアとかあるんだろうけど、俺にはよくわからないので何もしてあげられない。とりあえずスーツのまま寝ちゃうのはどうかと思ったので名字さんに近寄る。
「スーツ皺になっちゃうから脱ごう」
「つむぎくんが脱がせて」
ベッドからむくりと上半身だけ起こした名字さんがそういうから、スーツに手をかけた。子どもみたいでちょっと可愛い、なんて思った心を首を振って追いやる。
脱がせたスーツをハンガーにかけた。
あれだけ酔っているみたいだから、翌朝のためにももう一杯くらい水を飲んだ方がいいだろうと思って、グラスに水を入れて名字さんのもとへ戻る。
「水飲める?」
「ん」
両手でグラスを持って少しずつ水を飲む名字さん。
飲み終わったグラスを受け取ろうとしたら、その手をいきなり掴まれて引き寄せられた。
突然の事で体制を崩してしまって、名字さんに向かって倒れ込んでしまった。
なんとか手をついたけど、至近距離で名字さんと目が合う。
潤んだ瞳、上気した頬、しっとり濡れた唇、まつ毛の影まで見えて、あまりの近さに心臓が急に速度を上げた。
「つむぎくん」
「っ、はい」
俺の手に名字さんの手が重ねられた。全く強い力では無いのに、名字さんの少し高い体温に、俺は硬直したみたいにそのまま動けなくなった。
「わたしね、つむぎくんがすっごく好き」
「…」
まっすぐ見つめられて、目が逸らせない。
「あのね、むかしも好きだったの、学生のころ」
初耳だった。全く気が付かなかった。
「真面目な顔も、それがふっとゆるんだ時の柔らかい顔も、演劇の話して楽しそうな顔も、ぜんぶ、ぜんぶ好きで」
潤んだ目から、とうとうぽろぽろと涙が零れてきた。拭おうにも、手を動かせなかった。
「そんなつむぎくんと再会して、やっぱり好きだってなったの。演技はもっともっと上手くなってるし、大人っぽくなって、もっと、かっこよくなって、わたし、わたし」
名字さんはすごく弱々しかった。涙を零しながら自分の恋心を打ち明ける姿は、可哀想で寂しそうで、でもすごく儚く美しく見えた。
ここまで思ってもらっているのに、応えられない自分が情けなくなった。
「つむぎくん、大好き。演劇、がんばってね」
そう言って弱々しく微笑む名字さん。堪えきれなくなって抱きしめた。無責任なことをしていると思った。告白を断っておいて、今更。それでも、今の名字さんを放っておきたくなかった。
しばらく抱きしめていたら、すうすうと寝息が聞こえて、眠ってしまった名字さんをそっとベッドに寝かせて、布団をかけて頬に残る涙のあとをそっと拭った。
「…」
書き置きを残してそっと名字さんの部屋を出た。
高鳴ったままの心臓、胸元をぎゅっと握った。
どうしてくれるんだ。
どうすればいいんだ。
生まれてしまった、いや、気がついてしまった方が正しいのかもしれない。そんな感情に戸惑いながら寮への道を辿った。
夜風が熱を持った頬に気持ちよかった。