千秋楽


何だかやけに緊張しちゃって、ドキドキしながらお気に入りの靴を履いた。つるりと丸いつま先がとっても可愛いのだ。
裾のデザインが可愛くて買ったロングスカートがふくらはぎでひらりと揺れた。

扉に手をかけていつものルーティン。

「行ってきます」





MANKAI劇場には、冬組公演の千秋楽を観に来たお客さんだろう、人が沢山いて、当日券や立ち見券を求めて列も作られていた。

ロビーに開いている椅子を見つけて、ぼんやりとあたりを見回していたら、開場の時間になった。
用意してもらったチケットの席に向かう。


何度か見た公演だからわかる。

中央より少し横に寄った座席なのは、きっと紬くんの劇中での立ち位置を考えてだ。ここからなら、紬くんの表情がしっかり見えるはず。

さすが紬くん、演劇が好きでよく見に行くだけあって、どの席からならどんな位置がよく見えるかちゃんと分かっているのだろう。

それにしても、自分がよく見える席のチケットを私に用意してくれるだなんて。
むずむずして、にやけそうな口元をそっと押さえた。


そうこうしているうちに公演が始まった。


紬くんの声、表情、指先からつま先までの微かな動き、目線、全てが役にはまっていて、繊細な感情を伝えてくる。


…ふと、学生時代を思い出してしまう。

あの頃から細やかな演技が得意だった紬くん。
でも今はそれよりも更に、ずっと磨かれている。間のとり方、空間の使い方、そして何より体の使い方。決して派手じゃないのに、役が心にすっと入り込んでくる。
それだけじゃない、大人になった紬くんのこれまでの人生経験に裏打ちされて、より深みのある演技になっている。


ああ、紬くんはずっと、ずっとここまで頑張ってきたんだな。
辛いことがあっても、それを糧にして今こうやって舞台に立っているんだろう。

じわり、と涙が浮かんでしまって慌てて唇を噛んでこらえる。

いま、別に泣くようなストーリー展開じゃないもん。


「ありがとうございました」



公演が終わった。

夢中になって観ていたから、すごくあっという間に感じた。
それに、千秋楽だからだろう、冬組の皆さんの演技に、静かなのに一段と凄みと迫力があった。ほんの少しのアドリブがスパイスとなって、一層ストーリーの解釈を深めてくれて、終わってからもずっと余韻に浸っていられる。
薄いブルーの膜がかかったような思考にどっぷりと入り込んで心地いい。やっぱり演劇っていいな。


席を立って、まだお客さんがまばらに残っている開場を出た。扉の横の壁に寄って、携帯を確認する。紬くんから、あとで楽屋に来て欲しいとの連絡が来ていた。

今はまだ冬組の方々はロビーでお客さんのお見送り中のようだ。

遠目で紬くんを眺めていたら、突然、紬くんがこちらを見た。
びっくりして固まっていたら、ふわりと紬くんが微笑んで、それからすっと目線がそらされてまたお客さんのお見送りに戻った。


なに、なんなの、いまの。

ドキドキして下を向く。携帯をぎゅっと握る。ばくばくする心臓の音を感じた。

目じりが少し下がって、ほんの少し困り眉で、人が良さそうな紬くんの笑い顔。

本当に、その顔には弱いのだ。ああ、紬くんのことが大好きだなって思っちゃって、ダメなのだ。


このあと紬くんと会った時、普通の顔をして会えるだろうか。…ちょっと自信が無い。


公演中にすこし泣きそうになったことを思い出して、アイメイク、崩れてないよね、と御手洗に向かうことにした。
なにより、顔が紬くんのせいでずっと火照ったままだ。一旦落ち着いてリセットしようと思う。

浮いたファンデをそっとティッシュで優しく押さえて、それからパウダーを重ねる。
顔色に合った優しいピンクベージュのリップを塗り直して、いつもはしないのにまつ毛も上げ直してみた。
くるりと上を向いたまつ毛は、女の子を最強にしてくれると私は思う。
アイメイクは崩れていなかったのでこのままでいいや。


御手洗でゆっくりしていたのもあって、ロビーに戻るとお客さんはほとんどいなくなっていた。
辺りを見回していたら、立花さんを見つけて、立花さんがこちらにひらひらと手を振ってくれたから近寄る。


「立花さん!今日も公演良かったです!」
「ですよね分かります!うちの自慢の冬組でふもん」
「あはは、さすがです!」
「みんな今は楽屋にいると思うので、ぜひ寄って行ってください」
「ありがとうございます!ではお言葉に甘えて」


立花さんの後ろについて、関係者以外立ち入り禁止の扉をくぐる。
楽屋は廊下を歩いてすぐで、立花さんに続いて失礼します、と言いながらそっと部屋へ入った。


まだ衣装のままの冬組メンバーが迎えてくれて、紬くんがこちらに気がついて小さく手を振ってくれた。


「お疲れのところすみません。今回もとっても良かったです…!これ、差し入れです、つまらないものですがぜひ食べてください!」


ふたつある紙袋の1つを差し出した。

今回持ってきたのはチョコレート。千秋楽だし、と気合を入れた有名なブランドのものだ。
今回の公演は、甘くない、大人向けのミステリーが題材の公演だ。それをイメージしてビターなひとつぶチョコレートの詰め合わせ。


「ありがとう!」

受け取ったのは主演の有栖川誉さん。
以前冬組公演を見に行った時は知らなかったけれど、役者だけじゃなく詩人さんでもあって、独特なセンスで界隈では有名らしかった。
試しに本屋さんでぱらぱらと眺めてみたけれど、残念なことに私に詩を解する心がなかったのか、あんまり意味はわからなかった。でも、普通の人には書けない詩だと強く感じて、芸術家の人って凄いと素直に思った。

今回の公演もとっても良かったと感想を冬組の方に伝えて、立花さんとも少しお喋りをしていたら、紬くんがとんとんと肩を叩いてきた。
いつのまに着替えたみたいで、普段着の紬くんだ。

「送るよ」
「ありがとう」

あんまり長居してはお邪魔だろうから、冬組の皆さんと立花さんに挨拶をして楽屋を出た。



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