子供になれば出来ること


体の内側がぐらぐら煮えて収まらない。


あの後足早に帰っていった紬くん。

取り残された私は、意味がわからなくてしばらく放心状態だった。


オーバーヒートしてベッドに倒れ込むと、気がついたら朝だった。


憑き物が落ちたみたいに体調は見事に回復して、優しい早朝の陽光を浴びながら花の手入れをした。

冷たい風が髪を揺らす。
昨日のことで、まだぐずぐずと熱を持つ頭を冷ましてくれるみたいだった。




「おはようございます」


長期出張と体調不良でしばらくぶりの出勤に、会社の人たちが口々に労りの言葉をかけてくれた。

カナダ出張を命じた上司は、わざわざ私のデスクまで来て、無茶な出張日程を謝ってくれて可愛らしいチョコレートをくれた。防寒着を持ってなかった私が悪いんです、気にしないでください。

共用スペースにお土産をどっさり置いて、自分のデスクに戻ってパソコンを起動すると、隣のデスクの主が声をかけてきた。


「名字」
「…なに、茅ヶ崎」
「紬、行ったでしょ」
「…余計なこと言いやがって」
「あれ、でもその顔は、なんかいい事あった?」

なんだこいつ!察しがいい!

「は?!いいことなんてないし」
「ムキにならないでよ。別に無理に聞いたりはしないし」
「聞かれても絶対言わないもん」
「紬になんか言われた?」
「っ!聞かないんじゃなかったの?!」
「あはは、わかりやす」


遊ばれてる…!

茅ヶ崎を完全無視することに決めて、自分の仕事を取りかかることにした。
まずは出張の報告書。


…それにしても、紬くんのあの言葉はどういうことだったんだろう。


私の都合のいい幻聴か幻覚だったのではないかと疑いたくなるレベルだったけど、紬くんが持ってきてくれたお見舞いの品は朝になってもダイニングテーブルに鎮座していたし、紬くんから「突然あんなこと言ってごめんね」とだけLIMEがきていた。

あんなこと、というのが、つまりそういうことだろう。



ぐるぐると考える。

たぶん、これが手の込んだ悪戯か悪い夢じゃないのなら、紬くんは、その、私のことを少なからず良く思ってくれているようだ。

学生時代の淡い恋が、まさか社会人になってから実りかけているだなんて驚きだ。


「名字さん、脈、ありますよ」
「紬のほうも思うところはあるみたいだよ。もう一押ししてみるのもアリじゃない?ってのが俺の見解ね」


思い出されたのは、摂津くんと茅ヶ崎の台詞。


どうも私は脈アリだったらしいし、もう一押しすれば私の恋は成就するかもしれないようだった。

しかし、どういう訳か一押しした覚えもないのに、恋が叶いかけている。
意味がわからない。



「…んん?」



一押し、一押し。


考えてみると、振られてから紬くんと会ったのは四回。

一回目は、酔いつぶれていたところを介抱してもらったとき。
二回目は、そのお詫びに行ったとき。
三回目は、一緒に秋組公演を見に行った時で、四回目は昨日のお見舞いだ。


四回目はまずないとして、三回目のときも特にアタックはしていないし、二回目は申し訳なさでそれどころではなかった。
どちらかというと、いいお友達になろう、という方向に舵を切っていたから、もう一押しなんてしているわけがないのだ。


すると可能性があるとしたら、酔いつぶれたあの時。

もしかして私はなにかやらかしていたのではないか?
それがきっかけとなって紬くんの態度が変わったのだとしたら。


…よくわからないけど酔った私、グッジョブでは?




「それにしても、名字さんってしっかり酔うとあんな感じなんだね」


これは、お詫びに会いに行ったときの紬くんの言葉。


「あんまり飲みすぎちゃだめだよ」


そう言って紬くんは楽しそうに笑っていて、その瞳は心なしか優しく細められていた。



…これだ。

絶対にこれだ。



記憶を無くすほど飲んだ状態の私がどんな有様なのか、当然本人である私は記憶が無いのだからわからない。

どうしよう、これはもう、猛烈に恥ずかしいことをしでかしたのではないか?

それをきっかけに紬の心が私に向いてくれたのなら手を叩いて喜びたいところだけど、痴態を晒した予感しかしないので頭を抱えてしまう。





「…ねえ、茅ヶ崎、ちょっとツラ貸して」


お昼時、休憩に行こうと立ち上がった茅ヶ崎をさらって社員食堂へ向かう。

病み上がり、ってほど重症だったわけじゃないけど、一応お腹に優しそうなうどんを選んで席に着いた。茅ヶ崎はロースカツ定食。


「その、ちょっと聞きたいことがあって」
「ん?」


真っ先にカツを箸で掴んで口にいれた茅ヶ崎。衣がサクサクいう音が聞こえて、私もうどんに天ぷらかなにか付ければよかった、なんて思ってしまう。


「その、酔った私って、どんな感じ…?」
「あー、まって、なに、気がついちゃった?」
「は?気がついたって何?」
「名字、酔うと相当すごいから」
「え?!はぁ?!」
「だからあの時紬に押し付けたんだけど、え、もしかして大成功?なら俺に感謝して?」


話が読めない。
とりあえず茅ヶ崎なんかむかつく。


「まって、ちゃんと教えて。酔った私はどんな感じなんですか」
「あはは。まずね、充電が切れたみたいにぱたりと沈むの」
「…」
「で、しばらくするとむくりと起きてきて、15歳くらい若返る、いや17歳くらいでもいいかも」
「…は?」
「すっげえ幼くなるの」
「…」
「で、甘えたがりになって人に引っ付く。結構前の飲み会で潰れたときは、同僚の女の子にしがみついて頭撫でさせてたし、ありがとう、大好き!とか、それはもう、恥ずかしい言葉を連呼してたよ」
「…」



想像する。

酔って前後不覚、理性が消し飛んだ私。
紬くんにしがみつく。
甘えて、大好きとか言っちゃったりして。

なんだこれ。待って、ほんとにまって。やだ、恥ずかしい。



「俺が言うとキモイけど、その状態の名字すっげえ可愛いんだよね。紬も男なら少なからずドキドキするに違いないと思って、わざと押し付けたんだけど…、なに、あれ効果あったの?」
「…あああ!!もう!!!もう茅ヶ崎黙って、やだ、恥ずかしい!!」
「名字が聞いてきたんじゃん」
「ううう…」




もう二度と酒なんて飲まないと心に決めた。


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