殺してコットンキャンディ


日程も内容も楽な出張だった。

紬くんに振られて、でも私の日常には特に何の変化もなくて、そんな日常に舞い込んだ、ちょっとした非日常。
まあ、海外出張も月一ペースだとそこまで非日常って感じじゃないけど、デスクにかじりついていたり、会議室で難しい話をしたりなんかに比べるとずっと非日常だ。


飛行機で数時間、お気に入りのキャリーケースをがらがら引いて、出張の目的を手早く済ませたら、帰りの飛行機までの時間は免税店を見て回る。

今回は楽な出張だった。だから、時間にも心にも余裕があって、出張のたびにお土産をたくさん買うのが趣味というかルーティーンな私には絶好のチャンスだった。


お気に入りだった甘い匂いの香水は、仕事のときも足に少しだけ付けているからもうすぐ無くなりそうで、それに変わる素敵な香水がないかと見て回る。

本当は香水は時間が経つと香りが変化するから、こうやって見て回って気になったものを紙に付けて、その匂いだけで決めるのはよくないとは思ってる。でも香りが変化するのを待ってられるほどは時間が無いから、毎回ミドルノート、ラストノートはお楽しみ、ということにして買ってる。


「…薔薇の香り」


瓶のデザインに惹かれて手に取った香水は、薔薇を中心にいくつかの花をブレンドした香りだそう。
ムエットに一振、鼻の前にそっと近づける。ふわりと薔薇の香りがするけど、主張しすぎず爽やかで瑞々しいイメージの香りだ。結構好きかも。


薔薇。
紬くんと見た薔薇は、本当に綺麗だったな。


急に、薔薇を眺めて微笑む紬くんの姿がフラッシュバックして、今更胸が締め付けられるように痛かった。

…香水は、やめておこう。

瓶を丁寧に棚に戻して、次は以前から気になっていたブランドの靴を見に行くことにした。


少し前に買い物に行った時に、買おうか迷って買わなかった靴。すこし、いや、結構高い靴だから、免税店で見つけたら買おうと思っていたあの靴。


「…あった!」


なんと、見つけてしまった。まだあるんだ。え、しかも結構安くなってる。いや、それにしたって高いけど。

日本人観光客が多いのだろうか、日本語が通じる店員さんがいて、その人にお願いして試しに履かせてもらうことにした。


「うわぁ、うわぁ、やっぱり可愛い…!」
「可愛いですよね…!そちら、すこし前に発売されたものでして、在庫も残り少なくなっております。お値引されているので、買うならラストチャンスですよ」


うわぁ、お上手、店員さん、そんなこと言われたら買いたくなっちゃう。


「………買います」
「ありがとうございます!」


欲しかった靴だし。
前ちゃんと我慢したおかげで安く買えたし。
これからの季節活躍しそうだし。
なんならオールシーズン使えるし。
デザイン性が高いからなかなか他じゃ買えないような靴だし…。

誰に責められている訳でもないのに脳内でうだうだと言い訳を並べてしまうのは、数年前までの私だったら気が狂っても買わないだろう金額の靴だからだ。
いや、私ちゃんと仕事頑張ってるし、夏のボーナスは親孝行した以外はほぼ手付かずだし。このくらいの贅沢は許されて然るべき。


大人になるってこういうことだよね。

クレジットカードを使うようになってから、少しずつ金銭感覚がバグってくるの。
お財布から1万円を取り出すだけでちょっとソワソワしちゃうような時期があったとは考えられない。クレジットカード1枚出すだけで、その何倍、下手したら十何倍のお買い物が済んでしまうんだから。



散財したあと特有のすこしスースーするような、ホクホクするような不思議な高揚感のまま、この国にくるとよく買ってしまうお菓子をまとめ買い。
会社の女の子に配ろうとフェイスパックもまとめ買い。
卯木先輩が喜ぶだろうな、と激辛フードもすこし買ってみる。

あ、このお菓子、前買ってすごく美味しかった気がする。
…紬くんにあげたいな。
秋組公演がもうじき始まるし、見に行くついでに紬くんに会えたりしないかな。そのときは今日買った靴を履いていこう。


そう考えて、突然、涙がぶわっと溢れた。


私、振られたんだもん。
紬くんにどんな顔して会いに行けばいいの。平然とした顔で会いに行ったとして、振られた事実は消えないんだから惨めだ。


お菓子の袋を手に取ったまま突然ぼろぼろ涙を零し始めた私に、近くにいた観光客の人達はギョッとした様子だった。
慌ててハンカチで目元を拭ったら、白地にお花とイニシャルのワンポイントが入ったハンカチに、べっとりとアイメイクがついてしまった。我ながら踏んだり蹴ったりで哀れすぎる。


「はぁーーー…」


深く息を吐いて、もう一度、今度は丁寧に目元を拭って、手に取ったお菓子のお会計を済ませた。


振られた日以来、紬くんには連絡してないし、もちろん向こうから連絡が来るなんて都合のいい展開もない。

このまままた疎遠になってしまったら、それはすごく辛いけど、引き金を引いたのは自分だから仕方がない。


ああ、でも、頑張って紬くんに恋愛させる気を起こそうとか思ってたんだから、告白してからが勝負なのかもしれないんじゃない?


むり、私そんなに心が強いタイプの女の子じゃない。

一回振られてからもまだアクションを起こせるようなパワーを持ってたのなら、学生時代「辛い、辛い」って思いながらも片思い続けてたわけないじゃん。

結局今も辛い、辛いってなってるから、本当に、私には成長がないなぁ。


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