大きな破壊音と共に、クロウリーさんとブックマンさんはここからそう遠くない屋根の上に叩きつけられた。
「クロウリーさん!!ブックマンさん!!!」
「ラビ…」
「!」
その後を追うように、ノアと対峙していたラビくんも吹き飛ばされてしまう。目の前で戦っていた人たちが誰も、いなくなってしまった。
どくどく。どくどく。
呼吸が荒い。視界が霞む。どうしたらいい。落ち着かないと。今、ここでまともにノアやアクマと戦えるのは私しかいない。皆さんを守らなくては。リナリーちゃんを、ロットーさんを、それから、この船員さんたちを。アニタさんたちとの約束を決して破ってはいけない。例え命に代えても、私は。
「これ、イノセンス?」
その声に我に返る。
恐る恐る顔を上げると、そこには、
「っノア…!!」
「怖い顔すんなよ」
その瞳から、視線を外せない。体が震えて、足がすくんで、頭が真っ白になった。どうしよう。どうしよう。何か、しなくちゃ、このままじゃいけない。まずい。
「これじゃ、そっち行けねえなあ」
ノアがロットーさんの【時間停止】の壁に触れた。その途端、ばちん、という音がして一気に発動は解除されてしまう。慌ててロットーさんを振り返れば、胸を押さえて吐血するロットーさんの姿が、あって。
「ぁ…!」
「ロットーさん!!!?」
「エクソシスト様!!」
「…っう」
皆さんを背に隠すようにして立つ。自分の中の恐怖なんて構っていられなかった。だめだ。この人たちを傷つけちゃ、だめだ。
「どうした?」
「くっ…滅罪ノ檻!」
私の攻撃にも、眉一つ動かさないノアは、にやりと口元を歪めて見せた。いくら薬で騙しているからと言っても、私の体はもう限界だ。これ以上の力は出ない。でも、時間稼ぎにもならないような、この僅かな力に全てをかけるしか、ない。
「アルヴァちゃ…」
「あー、やっぱイノセンスだわ」
「早く…っ!?」
みし、と両手が嫌な音をたてる。このままじゃ、発動さえもできなくなる。そう思った時だった。
ばちん、と【滅罪ノ檻】が激痛と共に私の腕に戻る。受け身を取ろうにも、遅かった。
「アルヴァ!!!!!」
少しの浮遊感の後に、体が叩きつけられる。がらがらと屋根の一部が剥がれていく音がする。ノアの何らかの攻撃で吹き飛ばされてしまったのだろう。体中が痛い。また血を吐いた。でも、…これで皆さんからノアを離すことが出来る。ここで、私が踏ん張ればいい。ラビくんたちが復活するまで。それまででいいから。
「滅罪ノ檻!!!」
「…なあ」
「…」
「デイシャ・バリーって、知ってる?」
私は耳を疑った。
「あ、知ってるんだ」
「何で…」
何で、ノアがデイシャさんを知ってる……?
そんなことあり得ない。嘘だ、…そんな、
「それからカザーナ・リド。チャーカー・ラボン」
「う、そ……嘘…だ」
「嘘?…違うな。今の全部、」
耳を塞いでしまいたかった。
「俺が殺した」
「…ぁ…!!!!」
視界が滲むのが分かった。がんがんと頭を殴られているかのような感覚に陥る。こつ、と靴音を鳴らしてノアが近づいてきている。
「あとさー、スーマンて知ってる?」
「あいつもやったぜ」
「え…」
「あれ?聞いてない?」
「めて……やめてやめ、て、……!」
「あいつさあ、自分の命欲しさにお前らを売ったんだよ。んで、仲間たくさん犠牲にして、自分も一緒に「嘘だ…!!!」
「そう思うか?」
嘘。嘘。何かもでっち上げ。そんなこと、あるわけがない。スーマンさんが、そんなことするわけない。スーマンさんが、こんな奴に殺されるわけない。私たちを、売る……、なんてそんな、こと…しない。
「まあ、心配すんなよ。アンタ相当弱ってるみたいだし?すぐに会える」
ひゅ、と風を鳴らしてすぐ近くまでノアが迫ってきた。それを素早いとは言えない動きで、何とかかわす。
「…い、や!!」
「あれ?会いたくないの?」
私の心の中を全て見透かされているような気がして怖かった。ノアは楽しそうに顔をゆがめて笑っている。荒い呼吸が収まらなかった。
「そーかそーか。まだ死にたくないもんなあ」
「っ、!」
その瞬間、明らかに目の前のノアの人相が変わった。こいつの異常な部分が姿を現したような、恐ろしい、例えるなら【裏】の顔。本能が危険信号を鳴らしていた。このままじゃ、殺される。逃げなくちゃ、
「いいねえその表情。…殺したくなる」
「無罪ノ加護!!!」
ノアの力を受け止めるほどの耐性は、もうほとんどなかったけど、攻撃の軌道を変えることは出来た。屋根の上を転がるようにして、ノアから距離を取る。避けきれなかった右足から、ぼたぼたと血が流れていた。
「はは!!なあ、さっきどう思った?死にたくない、って…思っただろ?その後だよ」
「っ!」
二、三攻撃が飛んでくる。それを必死に避けるが、間に合わない。
「無罪、ノ…ぅ…」
体にもガタが来た。頭に激痛が走る。忘れかけていた痛みが、疲労がどんどん体に戻っていく。呼吸がし辛い。もうろくに動けない。意識が…。
「…くっ、……」
「俺を倒さなきゃ?誰か助けて?どこかに逃げなきゃ?もうダメだ?」
愉快そうに笑うノアを一睨みして、震える手で薬を取り出した。それを無遠慮に腕に突き刺す。あと少しだけ、体を騙してくれれば、それでいい。どんなに苦しくても、生きてさえいればそれだけで。
「…まあ、少なくても、俺を倒そうってのはハナから諦めてたらしいな」
ノアの声が遠い。ゆっくりと体が持ち上がっていくのが分かる。首に奴の手が回っている。その手が人間みたいに暖かくて、何だかおかしかった。
「お前だって、この戦争の当事者だ。んな生ぬるい考えしてたら、生き残るなんて無理だな」
「…っ」
今ははっきりと意識が保てていた。でも、薬が効くのが少し遅かったかな、なんて。指の一本も動かせない。発動したくても、私の体がついてこない。
どくん。どくん。
ノアが左手を大きく振りかぶったのが見える。約束、したのに、なあ。
「りー、…ば……」
どくん。どくん。
「死ね」
どくん。どくん。
こえが、きこえた。
「ぁ…!」
ばちん。大きな音がして、ノアの左手は私の体に弾かれた。きつく首を掴んでいた右手も離して、一気に身を翻し私と距離を取るノア。
「お前…」
「…っう!!はあ…っ、あぁ」
なんだ、これ。
私は自分の身に起こった異変よりも、その後に襲ってきた極度の疲労感に身を震わせていた。こんな痛み、今まで感じたことがない。まるで自分の体が内側から破壊されていくような、そんな感覚だ。
「もうそんなボロボロだっつのに…、何だったんだよ、今の」
「…っう、…」
「……おいおい、もしかして【ハート】か?それ」
「や、め…」
どんどん近づいてくるノア。私の腕に手を伸ばす。
嫌だ…、もう、苦しい。嫌…。リーバー…、リーバー、
「りーばぁ…っ!!!」
「今日は客が多いな」
ノアの皮肉めいた声が聞こえたのと同時に、体に大きな衝撃がかかる。私は反射的に目を瞑ったのだが、それ以降異変がない。
「…う」
薄らに目を開き、視界の中で一番鮮明に映ったのは、綺麗な長髪の彼の横顔だった。
「神田…さん」
「…バカ野郎」
嗚呼、本当に神田さんだ。何でこんなところにいるんだろう。何で、こんなにタイミングよく助けてくれたんだろう。思うことはたくさんあった気がするけど、もう思考回路すら繋げなくて、
「神田さ…、私…まだ、戦「ざけんな。熱も上がってる」
「で、も…」
「黙ってろ。もうお前は、戦わなくていい」
「アルヴァ!!」
「ラビ、…くん」
「大丈夫さ!?…ごめん!!オレがもっと早く気づけばよかったんさ!こんなにボロボロで…い、今すぐミランダたちのとこ行くさ!あそこで休「うるせえ馬鹿ウサギ」
意識があるのか、ないのか。これが現実なのか、夢なのかもよく分からなかった。それくらいおぼろげで、曖昧な感覚。
「チョコ、ザイ、ナ」
今、聞こえたのは何だったんだろう。