「リーバー!こっち終わったよ!」


室長のハンコももらって、書類で溢れていた机も、ようやく本来の姿に戻った。私の声を聞いたリーバーは、こちらに微笑みかけてくれる。リーバーのその表情が嬉しくて、さっきつりそうになった右手も、もうすっかり元気だ。 さっき仮眠を取った時についてしまった寝癖を治しながら、私も同じようににっこり笑いかける。

本当は抱きつきに行きたいところだが、今は仕事中。リーバーのお手伝いをしようと、席を立つとそれを阻むように目の前にはにやにやしているジョニーが現れた。


「アルヴァ、終わったの?次これ頼むよー!」
「えーーー!ジョニー、自分でやってよ!」
「お、アルヴァ手が空いたらこっち手ぇ貸してくれー」
「ジジまでーー!」


私がぶーぶー文句を言っていたら、ジジとジョニーが満面の笑みで書類の山を運んできた。この二人はなんて意地悪なんだろう!


「いや〜若いっていいね!!」
「その辺にしといてやれよ〜二人とも」
「「へ〜い」」


リーバーが苦笑いをしながらこっちを見ている。ちぇ。ジジとジョニーなんてもっと怒られちゃえばいいんだ!


「アルヴァちゃーん、ちょっといいかい?」
「はーい!」


室長に呼ばれてる。なんだろ、リナリーと遊んでおいでーって言ってくれたらいいな。それとも今度のタップの誕生日パーティーの話かな。帰ってくる頃には書類が減ってたらいいのになぁ。


「室長!なんですかー?」


司令室に入るといつもの優しい顔をしていない室長がいた。声もいつもより真剣で、少しだけ戸惑う。瞬時にここ最近の自分の行動を振り返り、心当たりを探した。私何か、悪いことでも、



「任務だよ」
「え?」



「今回は一人で行ってもらう。詳細はファインダー部隊に聞いてくれ」


ほとんど私のほうに目をくれず、淡々とした口調で話す室長。てっきり怒られるのかと思っていたのに、一体なんの冗談だろう。普段と明らかに纏う空気が違う室長に、一概にいつもの悪ふざけだとも言い切れなかった。



「え、ちょ、ど、どうしたんですか?笑えないですよ室長!私に任務って、エクソシストじゃあるまいし…」



室長は何も言わない。私がヘラヘラ笑ってみても、彼の険しい表情はそのままで。みるみるうちに私の顔が引きつっていくのがわかった。


「わ、私、仕事に戻りますっ」
「君の居場所はここじゃない。ーーーあっちだろう」



おもむろに室長が指差したその先。それまで普通の壁と何ら変わらなかった場所がぐにゃり、と歪んだのだ。突然のことに視線が釘付けになる。足がすくんで、司令室から出ることもできなかった。徐々に暗く淀んでいき現れたのは暗く、暗く、おぞましい戦場だった。


「!」


ーーーこれは現実じゃない

瞬間、今置かれている現状を思い出した。これはきっとロードの能力であろう。…エクソシストになる前の過去の記憶が辿られているに違いない。


『僕、知ってるんだぁ』

『アルヴァのココロが誰よりも脆いって』


気を失う前、ロードが言っていた言葉を思い出す。どうやって戦えばいいか、検討もつかないのが正直なところだ。ロードの姿は見えないが、どこかに潜んでいるのだろうか。


「…、っ!」


辺りに警戒を持ち始めた時、後ろから誰かに背中を押されて、思わず二、三歩前に出る。するとさっきまで司令室にいたはずが、それは跡形もなくなり見渡す限り真っ暗の世界に変わっていた。





「お前は、エクソシストだ」



ふらり、突然目の前に現れたマービンさんが残酷な言葉を突き付ける。彼は真っ直ぐに私を見つめていて、その視線はいとも簡単に私を縫い付けた。



「エクソシストなら、教団のために命を捧げろよ」
「エクソシストの命?そんなものどうでもいい。一つでも多くアクマを破壊するのがお前の仕事だろう」
「逃げることなんて、できないんだよ」



ジョニーさんタップさんジジさんが私を、見ている。冷たい目で、口々に私に言葉を浴びせる。彼らは私の心の動揺を誘っているのだ。


「…そんなこと、言われなくても重々承知していますよ!」


へらりと笑って虚勢を張ってみても、彼らの冷たい視線は変わらず私の心へつきんと突き刺さる。夢だ。これは、全部。私は今方舟の中にいる。彼らがここにいるわけがない。こんな言葉を私にかけるわけがない。そう、言い聞かせていないとこの本物そっくりの幻たちにまんまと騙されてしまいそうだった。


恐らく…奴の狙いは、私の心の破壊…!



「エクソシスト様!!助けてください!中にまだダズがいるんです…!!」


どこからか声が聞こえた。……これは、これはファインダー部隊トール・エイルマンさんの声、


「な、んで…」


科学班の彼らの姿が雲のように消え、見渡す限りの暗闇の中にぼんやりと光る人影。それは亡くなったはずの彼だった。彼は必死の表情でこちらを見ている。


「どうして……俺を…見殺しにしたんだ……」


まるで地の底から響いているかのような、憎悪の声。彼は神田さんとラビくんとの任務での犠牲者…ダズさんを助けようとして、犠牲になった。仕方がなかった。私の無罪ノ加護から出たのは彼だ。私のせいじゃない。わたしは、やれることはやった。


《そうやって自分に言い聞かせて、逃げてるだけじゃないのか?》


頭がつきんと痛んで、思考が流れてくる。そんなこと、ない。そんなこと…!私は逃げてなんか…ない。


《本当は救えた命だったんじゃないのか?》


「…っ、!」


エイルマンさんの伸ばした手が、私に届きそうになった時、私は思わず身を引いてしまった。彼の手は私に届くことなく、砂になって消えたが彼は、消える最後の瞬間まで私から目を離しはしなかった。

なんなんだ…。ロードは全て分かっているとでもいうのか。今までの私の記憶を、全て見通せるとでも…!


「全然ダメじゃないか。神の使徒じゃないのかよ、おい」



再びどこからか聞こえた声に気がつけば、辺りは黒の教団の大聖堂に変わっていた。たくさんの棺が整然と並べられている。そんな…これは、これは、あの時の、


「死んでんじゃねーよ」
「エクソシストが適わなきゃ、どうしようもないじゃないか」


二つの声にびくりと震え、恐る恐る後ろを振り返ると、あの時の団員がこちらをあざ笑うかのように見ていた。……だめだ、これは夢。幻だ。取り乱してはいけない。落ち着かなくちゃ、ロードの思う壺になる…!


《これは全て、私の力不足が招いたことじゃないのか》

「…、やめて…!!!」


流れる思考は止まることなく私に問いかける。目をつむっても、頭を振っても止まらない。


「神の使徒にすがって、何が悪い」
「お前たちは選ばれたのだろう?」


がんがんと殴られているかのように、頭が痛む。手の震えが止まらない。



「おーぅい!アルヴァ!」


また、場面が変わる。そこはいつもの鍛錬場で、その声は私の後ろからかけられていた。がくがくと足が震える。振り向けない。振り向きたくない。


「よぉ!」

肩に手を置かれ、少し乱暴に後ろを向かされる。嗚呼どうして、その仕草さえ変わらない。こんなことをするのは、彼しかいない。


「で、ぃしゃ…さん……!」
「おいおい、泣いてんじゃん。だいじょーぶかぁ」


ディシャさんは、少し慌てたように私の濡れた頬を乱暴に拭った。いつの日にかしてくれたそれと変わらない仕草に、私は喜ぶことも懐かしむこともできなかった。ただ、


「いいなァ、アルヴァは」


その酷く冷たい体温に、身震いをしていた。


「死んじまったんだ、俺。あっちは退屈じゃん、一緒に行こうぜ」
「!!」


私の手首が、ものすごい強さで引っ張られた。


「、やめてください…ディシャさん!!!」


必死に抵抗するも、じわりじわりと彼の方へ近づいていく。いつも優しいデイシャさんの顔が、みるみるうちに憎しみに染まっていく。ぎりぎりと音が鳴るほどに、手首を引く力は強くなった。


「なんでお前が生き残ってる……弱いくせに………!!」


《私はいつも誰かに守られてばかりで、安心してるんじゃないのか》


《私の身代わりに何人の人が犠牲になった》


《死にたくないなんて思っていいのか》



「…っ、や、め…」


必死に振り払おうと抵抗しても、どこにも逃げ道は見つからない。逃げられない。頭がおかしくなってしまいそうだ。すでに流れる思考はどんどん否定出来なくなっていた。だってこれはロードの考えじゃない。これは、


ずっと私が…、心の奥にしまっていたことだ…。



「アルヴァちゃん…」




すぐ耳元で、苦しそうな掠れた声がした。それまで私の手首を強く掴んでいたディシャさんは消え、代わりに足首が何かに掴まれる。ぞくりと悪寒が走った。ゆっくりと、視線を落とす、見たくないのに、何かに操られているかのように視線を、


「助けて…アルヴァちゃん…」
「あ、……に、たさ」
「海は暗くて冷たいの……助けて…」


目眩がした。ペンタクルに覆われた苦しそうなアニタさんの表情が、私を捉えてはなしてくれない。がちがちと歯が鳴っている。涙が次から次へと零れて止まらなかった。


「ご、…めんなさい…ごめんなさい……ごめんなさ、………っ!!!」


私は、彼らに恨まれていたのだ。彼らを犠牲にした、力も無いのに生き残っている私は、彼らに恨まれている。


《私は、なんて罪深い》


「アルヴァ」



突然、後ろから腕を引かれて暗闇の世界から解放された。気がつけばそこは科学班のデスクの前。書類は相変わらず山積みで、いつもと同じ光景だ。



「あ…」
「大丈夫か」


私の頬に流れる涙をすくって、彼は困ったように笑う。ペンだこの出来た、私の大好きな手。優しい笑顔。


「りー、…ば」


たまらずその胸に飛びつくと、リーバーは優しい手つきで背中を撫でてくれた。嗚呼、帰ってきたんだ。私はまたリーバーの元に。私を包む暖かい温もりに、再び涙がこぼれ出す。


「怪我はないか」
「う、ん…」


ふ、とリーバーの優しい香りの中に紛れて嫌悪を感じる臭いが混ざっていた。この場にあるはずのない、ニオイ。それはどんどん濃くなって、恐る恐る顔を上げた。そこには


「…っみんな!!!」


血に濡れた、みんながいた。科学班の、みんな。ジョニーさんもマービンさんもタップさんもロブさんもアドロフさんもキースさんもみんな、みんな目を、閉じていて


「リーバー…一体何が…!」


「アルヴァ、」


リーバーの動きに合わせて、ギギギと嫌な音がする。まさか、そんな、嘘…


「アルヴァ」


リーバーの手、ペンだこのできた手。ねえ、わたしの大好きな温かい手はどこに行ったの?…それじゃあまるで、アクマみたいだよ。どうして、その銃口はこちらを向いて、


「りー、ばー……?」

「アルヴァ、今楽にしてやる」


リーバーの腕…いや、銃口が火を噴いた。ぼんやりとした瞳は私を見てはいない。こちらへ真っ直ぐに飛んできた攻撃を、無罪ノ加護で反射的に弾いた。そのまま意識の外で体が動き、滅罪ノ檻を発動しそうになる。


「…、ぁ」


破壊衝動に駆られ、疼くイノセンスに身震いがした。いま、私は…なんてことをしようとしてた、の…?


「俺を…殺すのか…?」


虚空を見つめたリーバーが、呟く。私が今まで生きてきたのは、戦ってきたのは、リーバーのため。彼の世界を守れるように、ずっと幸せでいてくれるように。


リーバーの問いかけに必死で首を振った。そんなわけない。リーバーを殺すなんて、そんなこと、できっこない。



「そんなことできるわけ…ない…!」



私の命に代えても、彼を殺すことは絶対に出来ない。


「アルヴァ」


私の名前を呼ぶ目の前のそれはリーバーの声をして、リーバーの目をして、リーバーそのもの、で。


私の両の手は彼に標準を合わせたまま。でも、攻撃をしようだなんて、微塵も思うことが出来なかった。リーバーの向ける銃口は、相変わらずこちらを見て動かない。


「っリーバー……お願い…やめて……!!」


頭がおかしくなりそうだった。


これは幻だって、分かってる。でも、目の前の彼があまりにも、そのままに見えて。背格好も口調も私を見つめる目も、今すぐにでも抱きしめてほしいくらいに、そっくりで。

もし私が彼を殺さず、攻撃を食らってしまったとしたら、もしこのロードの世界で死んでしまったら、心が、砕けてしまうのだろう。きっと、私の心はもう戻らないのだろう。


でも


「アルヴァ…死んでくれるよな」


彼の苦しそうな表情、その言葉が酷く心に突き刺さった。がくがくと私の意に反して足が震え、冷や汗が止まらない。


「アルヴァ」


「リーバー…、」


私は目を閉じた。



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