「この目のペイントっ!全然とれねェさ!」
「くそっ、面倒くさい敵だ!!」
「すみません鍵を盗られるなんて一生の不覚です…」
「落ち込まないで、アレンくん」


二人のノアの能力を前に、私たちはすっかり打つ手をなくしてしまった。敵の姿、そして次の扉へと進む術を隠されて、手も足も出ないとはこのことだろう。この部屋の崩壊が未だ始まっていない、ということが唯一の救いだ。


「この床一面の鍵…私達の持ってたのと形も重さも同じだけど、でもただの幻じゃないかな」


ぽつり、と呟いたリナリーちゃんの言葉に、皆耳を傾ける。これが幻…、信じがたい仮定だが、あり得ない話ではない。脳に何らかの洗脳を受けて視覚に影響が出ているのかも。


「本当の現実は【鍵は床に1つしか落ちていない】!【この鍵の山に隠された】と、私達の目が騙されてるんじゃないかな」
「…なるほど」


そう考えると、一瞬で鍵が増えたのも、二人の姿がなくなったのも頷ける。私たちの目は、彼らの思い通りに操作されてしまった、ということか。だとしたら、先ほどまでと同様に見えるこの風景も、本物とは言い切れなくなる。


「ヒヒッ!その通りだよ!ヒッ」
「お前らは出口に辿り着く前にここで全滅だぜ!」


こうなってしまった以上、現状を打開するためには本体を叩くしかない。彼らの姿は見えない。だが、存在まで消えてしまったわけではない。単に視界から消えてしまっただけで、今もこの部屋のどこかで笑っているに違いはないだろう。


「本物の鍵はホレ!そこにポトリと落ちてんだぜ!拾いたきゃ拾えっ」
「ヤロ〜!!」
「お前らの目が騙されてる限り」
「騙してる側のジャスデビの姿は映らないよ―――!ヒヒッ」


部屋にはまたもやジャスデロの笑い声が響いた。私たちを追い詰めたこの状況を、心の底から楽しんでいる様子。彼はひとしきり笑った後、少しだけ間を置いて二人で声を合わせた。


「「死んでっちまえ!」」
「!!!」


瞬間、私たちの目の前には、先ほどアレンくんがくらっていた火の玉が現れた。しかも、一つや二つなんて生易しいものじゃない。私たちの逃げ道を塞ぐかのように八つ、一気に向かってきたのだ。


「どわぁっ!!」


まず一番に動いたのはアレンくんだった。僅かな突破口を見つけ、リナリーちゃんを抱えたクロウリーさんを誘導する。その次に私の背を押す手があったから、それはきっとラビくんだろう。轟々と炎の音がすぐ近くで鳴っていた。


「あっ」


その轟音の中、聞こえてきたのは短い悲鳴だった。振り返れば、たくさんの鍵に足を取られて体勢を崩すチャオジーさんの姿があった。


「!チャオジ」


そんな彼に気づいたラビくんが手を伸ばすが、恐らく間に合わない。視界の隅でアレンくんたちが炎を抜けたのが見えた。【道化ノ帯】が伸びてきているのが分かる。


「っ無罪ノ加護!!!」



私は炎へ飛び込んだ。



「アルヴァ!!!!」
「っ、大丈夫です!」


四方からかかる力は、それほど苦痛にはならないはずだ。このくらいの攻撃から守れないほど私は弱くない。


「アルヴァさん…!」
「っ!!」


チャオジーさんとラビくんを守り、もう少しで攻撃が防ぎきれる、と思ったときだった。徐々に両手から力が抜け、手を持ち上げていることすらままならなくなった。


「何…これ……」




震えるそれに視線を向ければ、ギギ、と嫌な音を立てていた。手首には知らない内に、ぽたぽたと血が伝っている。


「アルヴァ…!?」


気付かなかった。出血していることさえも。


「ぁ…」


感覚が、ない。もう、発動が、


「…くそ!!」


もの凄い爆風が至近距離で吹き荒れた。咄嗟に目を瞑ったが、熱さはいつまで待っても訪れない。


「アルヴァ!チャオジー!平気さ!?」
「ラビさん!」


見ると、そこには槌を構えたラビくんが私たちを守ってくれていた。火の玉の炎を【火判】で相殺したのだろう。


「アルヴァお前…」
「平気、です」


私の腕を引いて、立たせてくれるラビくんに軽くお礼言った。彼の視線が突き刺さるようで、痛い。分かっている。誰に何を言われなくても、自分自身のことは自分が、一番……。


「問題ありません」


背中に両手を隠して、私はラビくんにいつもと同じように笑ってみせた。


「何が大丈夫さ!その手…」
「大丈夫です」


私の体は、既に限界を超えている。ロットーさんに吸い出してもらった疲労だけが全てではなかったのだ。


『お前…』
『…っう!!はあ…っ、あぁ』


あの時の感覚が、イノセンスの発動と共に蘇った。苦しい。苦しい。酷い痛みで何もかもを諦めてしまいたくなる。



いっそこのまま死んだ方が、楽だと考えるほどに。



「何でオレにはっ…!!」
「大丈夫」

「お願い、だから…」


大丈夫でいさせてください。そうでなくなったら私は、もう…


「…っ」
「爪ノ王輪!!!この部屋のどこかにはいるんでしょう…!?だったら引きずり出してやる!!」


派手な音を立てて、アレンくんの攻撃が部屋中に広がった。私の手からは止めどなく血が溢れている。


「当たるかバァ――カ!!」
「「緑ボム」」
「アレンくん!」


発動が、出来なくなったわけではない。でも、発動しイノセンスの力を少しでも解放しようとすると、身を焼かれるような痛みが全身を襲うのだ。それに、加減が出来ない。解放の度合を調節しようとしてもどんどんイノセンスの力が溢れてくる。


「少し静かにしていてくれ、お嬢さん」
「クロウリー、」


私は、それを制御できなくなることが恐ろしいのだ。


「これ以上小娘に負担はかけさせんぞ」
「え…」


ニヒルに笑ったクロウリーさんは、私の頭を一撫でした後に立ちあがった。


「…ふ、ガキが」
「クロウリーさ、」
「ここにいろ」


私が声をかけた時には既に、クロウリーさんはそのマントを翻して駆け出していた。大きく跳躍してノアの攻撃からアレンくんを救出したのが見える。


「生意気なガキ共ばかりよ!!」
「うわぁっ!!」


戦っている仲間と、座り込んだ自分。






『…必ず、必ず帰って来い』










リーバーは、私が皆を見捨てたった1人帰って来ても、笑ってくれるのだろうか。










「…」


私の心臓は酷く穏やかだった。





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