扉の向こうにあったのは、部屋ではなかった。高い天井に延々と続く長い廊下。その作りは何処まで行っても代わり映えせず、整然と並んでいる。あれほど感じていた崩壊の感覚もない。本当に、別の空間に来てしまったかのようだった。
『後で必ず追い付く』
鳴り響く崩壊の音の中、鮮明に聞こえた神田さんの声。それはいつもの彼で、私たちの置かれている状況にも全く動揺していないような調子だった。
ここから出たい。願わくは、誰も欠かすことなく怪我を負わずに、と思っていた。でも、そんな思いとは裏腹に、嫌に冷静な自分が思考を支配している。
そんなこと、不可能だ。
冷静な自分は嘲笑が得意だった。
「長ェさこの廊下〜。いつになったら次の扉があんだぁ?」
「ッスね」
静かな空間にはそれぞれの靴音しか響いていない。皆さんが何を考えていたのかは分からないが、不安や緊張、そういったオーラは感じていた。廊下の先はまだ何も見えない。そんな情景も今の私たちを現しているようで、気が滅入る。
「心配しすぎさ」
ぽん、と頭に軽い衝撃を感じた。それまでずっと俯いていた顔を上げ、声のする方を見るとにこにこと笑ったラビくんの顔があった。一人外れて一番後ろを歩いていた私の歩幅に合わせて、彼も横に並ぶ。
「ユウがあんなんに殺られるタマかよ」
確かに神田さんは、以前任務を共にした時よりも格段に強くなっていた。彼にはその強さに見合った揺るがない自信がある。大丈夫だということくらい分かっている。分かっているつもりだけど、
「後から追い付いたユウに笑われないように、頑張ろーぜ?」
「ラビくん…」
誰も心配していないわけがない。誰も不安を抱えていないわけがない。それを表に出さないように気を張って、希望を捨てず歩み続けているんだ。みんなで無事に帰るために、必死で。
「…っ」
だめだ。こんなんじゃ。こんなに弱かったら、私は何も………守れ、ない。
「!」
「わああ何!?」
「床がっ崩れて来たぁあ」
もう三度目になる感覚。足もとが嫌な音を立てている。―――崩壊。その感覚にぞくりと震えた。否。違う。大丈夫だ。神田さんは必ず追いかけてくる。
私はそのことを考えないようにして、必死に足を動かした。
「来る来る来る来る来るぅ!!」
「いつまで続くんだよこの廊下ぁ―――っ!!」
「次の…扉はっ」
このままでは三つ目の扉を見つけるまえにあの闇に落ちてしまう。それだけは避けなくてはいけない。絶対に、全員で生き残るんだ。
「小娘を抱いていろ、ラビ」
突然投げかけられた声に、即座に疑問を感じた。小娘、とは私のことだろうか。リナリーちゃんはクロウリーさんの首に何やら腕を回してしがみついている様子。
「え…クロウリーさ、」
「アルヴァ!離すなよ!」
「ラビくん!?」
思いっきり前から抱きかかえられて、成す術もなくその腕の中に収まる。そのままの状態で走りだしたかと思えば、今度はラビくんが、私ごとクロウリーさんに抱えられてしまった。
「突っ切るぞ。捕まっていろ、ガキ共」
私の視界にはクロウリーさんのマントと、ラビくんの肩越しに見る崩壊していく廊下が映るのみ。それもぐんぐん遠くなって、わずかに動きが見えるかどうかの距離まで来た。というか、前の状況が全く見えない。
「さっすがクロちゃん!」
「あっ、あそこ見て!」
「どこですかっ!」
「廊下の終わりだ!!」
それまでずっと感じていた浮遊感が、暗く長い廊下と共に終わり、少し開けた空間に出たようだ。地上に着地したクロウリーさんが、べしゃりと落とされた私を立たせてくれた。
「ありがとうございます。クロウリーさん」
そのまま放置されたラビくんは、乱暴だとごちていたようだったが。
「ここは…」
「書庫みてぇさ…」
周りを取り囲む壁全体に、びっしりとひしめき合っているのは数え切れないほどの量の、本。それも様々な言語で記されているらしく、ざっと背表紙を見た限りでは英語やイタリア語…、中国語や日本語で使われるような【カンジ】で書かれているものもあるようだ。
「よぉ、エクソシスト」
敵は私たちに少しも時間を与えてはくれないらしい。大きなモニュメントの上でゆらりと二つの影が揺れた。
「デビットどぇっす」
「ジャスデロ!ふたり合わせてジャスデビだよヒヒッ!!」
黒と金の頭が並んでいる。彼らは自身をデビット、ジャスデロと名乗っていたが、ノアには名前があるのだろうか。――まあ、さして不可解なことではないが。
「じ…、じゃす…?」
「またファンキーな奴来たな…」
「二体も同時に…」
彼らは互いに拳銃を向け合っていた。そして金髪の――――ジャスデロの方は至極愉快そうに声を上げて笑っている。頭上にあるアンテナのような光がその度にゆらゆらと揺れていた。
「オレら今、ムシャクシャしてしょうがねーんだわ」
「「アレン・ウォーカー」」
「!?」
「アレンくん!?彼らと面識が?」
「い、いえ…ないはずなんですけど……」
アレンくんの表情は何か、必死で思い出そうとしているものだった。……こんな格好をした二人組なんて、一度見たら忘れることなど無いと思う。
「テメェにゃ、何の怨みもねェが!」
「クロスに溜まったジャスデビの怨み辛み!弟子のお前に払ってもらうよ!」
「「天誅!!」」
互いに向けられていた二人の銃がアレンくんに向く。その銃口は何発も何発も、切れることなく次々と火を噴いていた。ざっと聞いた限りでも軽く十は超える数だ。あのタイプの銃が、一度にそれほどの数の弾丸を放てるものなのだろうか。否、そんなはずがない。
「ちょっ!師匠が何て言いました!?」
「師匠のツケは弟子が払えってんだよ!」
「「装填 青ボム」」
装填…。何か別の弾を込めた。嫌な予感がする。
「無罪ノ加護!!!」
咄嗟にアレンくんの周りに発動させると、【無罪ノ加護】は氷の膜に包まれており、瞬時に冷却されたことが分かる。比較的弱い攻撃だったのか、疲労も溜まることはなかった。
「アルヴァ!」
「ヒッ!何だこりゃ?」
「ハハッ!マジになってやんの。ただ脅かしてやっただけだぜ?」
ヒヒ、とジャスデロが口元を押さえて笑っているのが見える。私はアレンくんの元から【無罪ノ加護】を外すと、改めて彼らに向き直った。
「アルヴァ、ありがとうございます」
「いえ」
先ほどの攻撃とは明らかに異なった今の攻撃、実際にそんな能力の弾を逐一打ち出しているとは考え難い。装填とは名ばかりなのではないだろうか。本当は銃など使わなくても戦えるにも関わらず、私たちで遊んでいるのでは。
「キミ達、師匠を追ってるノアですか?僕にウサ晴らしに来るってことは、元気みたいですね、あの人」
「道化ノ帯!!」
「イテッ」
「ウヒッ」
二人のノアが攻撃によって吹き飛ばされたのを見計らって、私たちはアレンくんの元へと近づいた。
「アレンくん!」
「何?あいつらお前狙い!?」
「どうやら…」
クロス元帥が関係していると分かった途端に、アレンくんは至極嫌そうな表情を浮かべている。師弟の仲はそれほどよくないようだ。
「気をつけて下さい。あのふたりの打ち出すモノ…ただの弾丸じゃありません」
「何かの能力でしょう」
私は【無罪ノ加護】で受けた攻撃を思い出していた。先ほどは銃は見せかけだ、と仮定をしたが、もしくは銃自体に力があり、二人自身には全く力がない、とも考えられる。何にせよ、これが彼らの攻撃のすべてではないことは確かだ。
「ヒッ!ひとつ聞くけど、お前人質にとったらクロスの奴おびき出せる?」
愉快そうにジャスデロが言った、その瞬間。アレンくんの目つきが変わったのがすぐに分かった。
「まさか」
はっきりと言い切った彼の瞳は、今までの彼の苦労を物語っていた。相当大変だったのだろう…、あのアレンくんがこんな目をするなんて…!!
「何も信じてない目だ」
「可哀想です…」
「じゃっ、このゲーム、ジャスデビ参戦〜」
デビットは挑発的に舌を出し、己の頭部に銃を突き付けて見せた。
「オレらのウサ晴らしになってもらうぜ!弟〜子」