「名前、そこのシーツを代えておいて頂戴。これからクロウリーとティモシーが帰ってくるそうだから」
婦長の声にそう言われ、私はカルテに走らせていたペンの動きを止めた。彼らが帰ってくるとなると騒々しくなりそうだ。
「了解です。婦長は今のうちに休憩してらしてきてくださいな」
先ほどまでも、タップさんに担がれて来たジョニーさんの介抱に勤しんでいた婦長。嵐が来る前に休んできてもらわないと。
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
彼らが来たら呼んで頂戴。婦長は少しだけ疲れた顔をして休憩室へ向かって行った。無理もない。婦長はいつでも、誰よりも働いているのだから。
少しよれているシーツを剥がして、洗濯したてのふんわりとした香りが漂うシーツを広げる。ちなみにこの洗剤は、私がこっそり今までのものと入れ替えておいたものだ。控えめなフローラルの香りが鼻腔をくすぐる。
「、名前」
がたん、と少し大きな音を立てて扉が開き、背の高い人影が現れた。彼はこのところよくここで話すようになって、親しくなった人だ。最近では一緒に夕食を取ることもある。
「リーバーさん!」
彼は科学班班長を務める優秀な方だ。大変博識で、大人びているリーバーさんは私と同い年とは到底思えない。いつも人の良さそうな笑顔をたたえているその姿に、私は淡い恋心を抱いていた。もっと、そばにいられたらどんなにいいか。そう、思うほどだった。
「今日はどうなされたんですか?」
「ああ、いや…大したことじゃあないんだが……」
彼の整った顔に視線を奪われていると、目の下にしっかりと刻まれた黒が一際目立っていた。それを見ていると、少しだけ胸がつきんと痛む。彼に勤務を放り出せ、なんて言わない。でも、少しでもその激務が楽になったなら。彼の役に立てたならどんなにいいか。
「少し…、名前のところで休んでいこうかと思って…、な」
嗚呼、どうして彼はこんなにも私の心を掴むのが上手いんだろう。
どきん。と胸が高鳴って、少しだけ頬が熱くなるのが自分でもわかった。それを隠すように慌ててリーバーさんをベッドへ促す。視界の端に写る彼の頬も、少しだけ染まっているように見えたのは私が都合良く解釈しているだけだろうか。
「点滴、打っておきますね」
「ああ。ありがとう…」
つい先ほどシーツを引いたばかりのベッドへ、リーバーさんは身を沈めた。彼が同じ空間にいる。それだけで、こうもドキドキしてしまうなんて。あまりにドキドキするものだから、もう何十回何百回と繰り返しているこの点滴でさえ、失敗してしまうかもしれないと思った。
「…これ」
「?」
もぞ、と寝返りをうち、何かを呟いたリーバーさんに視線を向けると、今度は見間違いなんかじゃなく、彼の頬が赤かった。もしかして、熱でもあったのだろうか。
慌ててリーバーさんの枕元に近づいて、体温計を差し出した。
「……へ?」
「リーバーさん、顔が少し火照っています、もしかして熱が高いんじゃあ…」
「……っ!!!あ、いやいやち、違くてこれは、そのええっとあの」
がばっと起き上がったリーバーさんは、しどろもどろになりながら、何とか言葉を繋ごうとしている様子だった。こんなにも慌てている彼を見るのは初めてで、驚いてすっかり凝視してしまった。
「その…このシーツの匂い、素敵ですね」
あはは、とあからさまなから笑いをしているリーバーさんを見て、思わずぽかん、としてしまう。その後すぐにふつふつこみ上げてくる笑いに耐えられず、ふふ。と吹き出してしまった。
「あ、あはは…」
「リーバーさんって、面白い方なんですね」
彼のことを知れば知るほど、心奪われてしまっている自分がいる。今までは科学者なんて、頭が固くていつでも研究のことばかり考えていて、おまけに知識をひけらかしてくる…なんてそんな失礼なイメージしか持っていなかったものだから、こうして笑いあったりしていると少しくすぐったくて、幸福な気持ちになってくるのだ。
「それ、実は婦長に内緒でこっそり洗剤、代えちゃったんです」
「ああ、やっぱり…」
「そんなに分かりますか?これじゃ、婦長に怒られちゃうかもしれません」
私が少し苦笑いをして見せると、リーバーさんもそれにつられて、少しだけいつもよりへたくそに笑っている。とってもいい匂いで、私のお気に入りだったのになあ。
「…俺は好き、ですよ。この匂い」
「本当ですか?嬉しい!」
私と彼の好みが一致した!これはきっと相性が良いとか運命であるとか、きっとそうに違いない!私は嬉しくて、にやける口元を抑えることが出来なかった。
「ただいまーーっ!」
「婦長はいるであるか?」
どうやら嵐が来たようだ。今日はリーバーさんがいるんだから、といつもより気合が入っている自分に気づいて苦笑いをこぼす。だって、リーバーさんの前で失敗だなんてかっこ悪すぎて、嫌われちゃうかもしれないもの。
「おかえり、二人とも」
「リーバー班長もいたであるか」
「つかれた〜」
「ティモシーくんはそこに寝てていいわよ。まずはクロウリー、怪我したところを見せてくださるかしら?」
リーバーさんの隣のベッドにダウンしたティモシーくん。そんな彼の様子を見て、リーバーさんは笑いながらタオルケットをかけてあげていた。その小さな優しさに、またきゅんとしてしまう。彼はなんて素敵なんだろう。
「少し…脇腹を」
「…なるほど。今婦長を呼んで来ますので、クロウリーもここで待っててください」
「名前!このベッド、いい匂いだな!」
聞こえてきた楽しそうな声に、少しはにかむ。
「うふふ。そうかしら?」
「リーバー班長もそう思うだろ!」
「ああ」
ティモシーくんもリーバーさんも、笑顔だ。彼らがそんなことを幸せそうに言うものだから、クロウリーもどれどれ…、と香っているし。
大好評のようだから、これからも婦長に見つからない程度にこっそりと、やってみようか。そう、思った時だった。
「だってこれ、名前の匂いだもんな!なんか名前と一緒に寝てるみたいだ〜!」
「わ、ばか」
「え…?」
ティモシーくんのセリフを脳内で理解するのに、随分と時間がかかった。た、しかにこの洗剤は私もずっと昔から愛用している。そ、それじゃあ…。
さっきまでのリーバーさんとのやりとりを思い出していくのと、私の体温がみるみる上がり、オーバーヒートするのは全く同じタイミングだった。
「「…っ!!!!!!」」
さらに、私と同じように真っ赤な顔をしたリーバーさんと目があってしまったものだから、とうとう私の思考回路は麻痺してしまったのであった。
きみに胸きゅん!
((は、はずかしすぎる…!!))
(俺、なんかヘンなこと言ったか?)
(脇腹…痛いである…)
匂いフェチ