二〇一八年 十月三十一日 東京メトロ渋谷駅 地下五階 副都心線ホーム。

「や、悟」

 青い春と書いて青春と読む。そんな胸の奥がザワザワとする言葉を作った先人は誰だったか。
 現実世界ではレイコンマ一秒にも過ぎないのに、脳は共に過ごした二年と半年を映し出す。校舎、寮、街並み、青い海、次々と変わるそれはまるで映画のようで。たった一人の劇場でボンヤリと何の面白みもないB級映画を眺めているような気分さえしていた。けれどこれは映画ではないのだ。エンドロールなど流してくれはしないのである。

「ところでさ、名前は? まさかそんなんなっても未だヨロシクやってるわけ?」

 身体は拘束され、呪力すら感じない、詰みの状態。呪術師最強を自他共に認めている五条悟は、そんな状況下でも余裕の態度を崩さず目前の『何か』を見上げた。
 僧衣に五条袈裟、高専所属時よりも長く伸びた黒髪。五条が見た最期、一年前と寸分の違いもない姿で立つ夏油傑のような『何か』は、五条の言葉に数秒ほど考える素振りを見せた。顔を背けながら眉根を寄せ、顎に親指を添え、首を捻る。その間、五秒。やがてそれは、額の縫い目を見せつけるように勢いよく振り返る。「ああ!」喉に刺さった小骨が取れた時のような声色で両手を打った。

「苗字名前か! そうだったね、君もこの肉体と同じく彼女の後輩にあたるのか。そうかそうか」

 一人納得してそれは薄い唇の端をつり上げた。先程、頭の縫い目を解いた時にも似た――否、それともまた別の心底胸糞悪い笑み。夏油傑の皮を着た『何か』は、拘束され、一切手を出せないでいる五条悟の神経を逆撫でする事を愉しんでいるようだった。事実、五条の神経はピリピリと静電気のような苛立ちを纏い始めている。
 それが話し始めた瞬間には既に予想はついた。ついていた。だが、その肉体で、顔で、声で告げられるとなっては衝撃が違う。感じる焦燥が違う。
 それはほんの少しだけ身を屈めた。拘束された五条に見せびらかすように自身の喉元を晒すと、顎に添えていた親指を一直線に横に引いた。

「名前なら死んだよ。この肉体の前でね」

 身の内で感じるこれは、決して怒りではない。悲しみでもない。ただ、無性に苛立った。
 一年前、親友をこの手で殺めた。そして今日、親しくしていた先輩と呼ばれる女が、親友がきっと相応の感情を持って見ていただろう女が死んでいる事実を聞かされた。
 馬鹿だよね、死ぬ必要なんてどこにもなかったのにさ。
 親友と同じ声で告げられる暫しの別れの挨拶に目蓋を閉じる。視界が一変し、辺りは一面暗闇に包まれた。積み上げられた骸骨の上に大の字に転がり、五条は目隠しを少しだけ押し上げて息を吐く。

 ああ、ほんと愛って呪いだ。

20210213