「おはよう、マサル」
「おふぁよーとーま」

「おかえりトーマ」
「ただいま、マサル」

「よ〜、戻ったぜ!トーマ」
「ああ。おかえり、マサル」

「そろそろ寝るよ。おやすみマサル」
「おう、俺も寝るわ。おやすみなートーマ」

誰かと交わす挨拶が増えて、スカスカだった冷蔵庫の中身も容量が足りないくらい増えて、実家と学校以外の用事を手帳に書き留める機会が増えて、段々と僕のかけがえのない日常に、君はなっていく。




『夏』




ジワジワと気温と湿度が増す頃。
オーストリアに暮らしている父が訪ねてきた。

「予定通り成績は上位を維持しているようだな、トーマ。ゼミのことも教授に確認している。お前の『夢』も遠くないそうだ」
「はい。気を緩めず精進します」
「リリーナも来週こちらに来るそうだ。その間だけでもお前も横浜の家に来い。大学へは少し遠くなるが、車を使えば問題ないだろう?」
「っ、それは、すみません父さん。遊びには行きますが泊まるのは、その、」
「‥執事から聞いているぞ、妙な同居人が居るそうだな?」

やっぱり把握していたか。
わざわざ学校の様子見などおかしいと思ったんだ。

「彼は、友達です!幸い貴方が用意して下さったマンションは二人暮らし位でちょうど良い物件でしたもので」
「何をむきになっているんだ。まあいい。我が名家を利用したいのか人脈的便宜のはかりを期待しているのか『そういう目当て』でなければ文句はない。ノルシュタイン家の恥にならなければな」
「貴方に迷惑はかけません!ただのシェアです」

彼が帰ったあと、入れ違いでマサルが帰宅した。

「すんげー車停まってたけど!?なにあれリムジン?」
「ああ、おかえりマサル」
「‥おう、ただいま。あのさ、」
「来週は僕も出かける用が増えるから家に居ない日ができそうなんだ」
「え?ああ、そうなのか。じゃあ、」
「だから、」
「え?」

装飾品もつけず、シンプルな本体のみを手渡す。

「君が帰ってきた時に僕が居なかったらこれを使ってくれたまえ」
「こ、れって‥」
「合鍵さ」

マサルが出かけるのは時々で、大体はずっと家に居たり、マサルの居ない日は代わりのように僕が家に居たのであまり必要とする事がなかったけれど。

「、、いいのか?」
「もちろん。急を要してからじゃ遅いだろう?」

本当は、繋がりのような、確かな形で縛りたかったのかもしれない。そうすれば、マサルの『戻る』場所はここになるのだから。

「おお、サンキュートーマ」

彼の拳ダコができた逞しい手で握られるそれに、自身を重ねうっそりする。
父の不躾な干渉にイラついた気分も霧散していくのが分かった。


「お兄さま、お久しぶりですわ。」
「トーマ様、ご無沙汰しております。お変わりはございませんか」
「リリーナ、爺や、いらっしゃい。僕は元気にやってます」

オーストリアから横浜の家に遊びにきた妹が僕の暮らしを見たいと、付き添いの爺やと共にやって来た。
この二人にならマサルを紹介したかったのだが、互い違いで出かけてしまった。

「あら、お兄さま。ご一緒に暮らしている方は?」
「そうでございます。トーマ様のご友人にぜひとも挨拶を申し上げたいのですが‥」
「それが今日は仕事らしくて」

多分。というセリフは口の中に留める。
職種すら探れてないから不確かな話は止めておく。社会人ではあるだろうけどイコール仕事があるという理由にはならない。確かにたまに『出かけ』て『稼いできた』という『対価』を家賃代わりに受けとるが、その額は少なくなる一方だし万が一の為に、余計な事は言わずにおこう。

(フリーターだとしても働いて自立しているだけ立派だが、一応、彼の名誉の為に)

ちょっと引きつった僕の笑いにリリーナと爺やが顔を見合わせた。

それから二人とは会えなかった間の話に花を咲かせる。主に身体の弱い妹や、その彼女を支えてくれている爺やの事を聞いていたのだが、それだけで時間はあっという間に経っていた。

「リリーナの病気を完治させるのも夢じゃないんだ。教授のご好意で実践的な薬学を学ばせて貰っているし、父にもリリーナを元気にするための新薬作りの『夢』が現実になりそうだとおしゃって下さったみたいで‥。だから、もう少しだけ待っててくれリリーナ。必ず君を『普通』の女の子にしてあげるから」
「嬉しいですわお兄さま‥。わたくし、楽しみに待ってます。ですが決して無理はなさらないで下さいね‥」
「トーマ様ご不在の間は私が、命に代えてもリリーナ様をお守り致します。」
「二人ともありがとう。爺や、これからもリリーナを頼むよ」
「承知いたしました。ではそろそろ旦那様の元へ参りましょう、リリーナ様」
「お兄さま。帰国までには横浜にも遊びにいらして下さいね?約束よ」
「ああ、必ず」

マンションを去る車を見送り部屋に戻ろうと踵を返すと、ちょうど帰ってきたマサルと目が合い、彼が手をふってきた。

その姿を見て唐突に、ああ、わざと居なかったのか、と理解した。
父の言った後ろ暗い理由が真実かもしれない。
しかしまるで僕に懐き、僕以外の見知らぬ他人には低い声で唸る野良猫の様に感じた僕は、ただただ、ひたすらの喜びしか感じなかった。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -