春-に-



「あの日」から6回目の朝日を浴びる。
寝室から出るといつもは寝汚いマサルの姿はどこにも無かった。なんだかんだと居座られていたものの、いざ本当に居なくなるとそうか出ていったか、と微妙にもやもやした気分になり、そうして過ごした午前中のテンションは最悪なものだった。

「たっだいま〜」

20時。
どこぞに「出掛けて」いただけという彼は、右手にお土産だという駅前で評判のたこ焼きと、左手に彼の所持品の全てが詰まっているリュックを携え「帰宅」した。

「ようやく次の旅でも始めたかと思ったが?」
「そーつれないこと言うなって!ほら、たこ焼き!熱い内に食おーぜ」

最悪だった気分も、本心とは真逆の憎まれ口もたこ焼きと一緒にのみ込んだ。
僕はまだ、呑み込んだモノの意味を、知らないフリをしていた。

実はたこ焼きは生まれてはじめて食べたのだが、なるほど、一気に食べると火傷をする危険なフードなんだな。
真面目に言っているのに、マサルは目を大きく見開いた後ずっと笑っていて、僕がムッとすると悪いと言いながら我慢出来ずに肩は揺れておさまらなかった。

「お前面白すぎ」
「うるさい、笑いすぎだ」
「おーこわ。トーマってたまにだけど意外と口汚いのな」

‥そんなこと初めて言われた。
家のしきたりや教養は幼い時分より叩き込まれてきたんだ。なのに、マサルの言うように、彼の前だとそれが崩れる。
完璧を保てなくても嫌悪を感じないから困っているんだ。

「そーだこれ」

ほい、とマサルがたこ焼きの隣に取り出したものは何の変哲もない茶封筒。

「‥なに?」
「もーちょっとお世話になるし、前払い?的な?」

中には現金が入っていた。
20枚以上はある福沢諭吉の顔が確認できた。

「これ?!」
「あ、やましい金だと思ってるな!?違うぞ。ちゃんと働いた報酬だから」
「報酬?なんの仕事だ!?」
「トーマと会う前からしてた仕事だよ。今日、給料日つうか、まあ今までの報告とこれ受けとりに行ってたわけよ」
「しかし、急にこんな、」
「もーちょっと転がりこませて欲しいから多分、足りない位だぜ?歩合制みたいなもんだから渡せる時に渡しとくよ」

つうワケで風呂頂きまーす。
と言うが早いか浴室に駆け込む。
やがて流れ出るシャワーの音を聞きながら、僕の思考は鈍いままだった。
手に、力が入り、封筒ごと中のお金も握っていた。

やっぱり社会人か、とか。
なんの仕事だ、とか。
それは危なくないのか、とか。
大丈夫なのか、とか。
そんな気遣いいらない、とか。
何をこんなに不満に思うのか分からなかった。
でも、何かが気にくわない。

「おっ先〜。今日は湯船にためてないけどトーマはシャワーだけだからいいよな?」
「ああ、うん」
「なんだよ、まだそのお金のこと気にしてンの?急にだし胡散臭いかもしんないけど正当な労働の対価だっつうの」
「それは、君を信じるよ。いや、そうじゃなくて。なんと言うかやっぱり受けとれないよ、僕は、」
「そうは言うけどさ、だってトーマまだ学生じゃん。」

この暮らしは親の金だろ?
そう言われた気がした。

「あ、明日は朝早いんだっけ?朝ごはん作ってやるよ。いやーほんっと宿貸して貰えて助かってるし、ちょっとでも役に立っとかないとな」

そうして貰いたいんじゃないのに。
じゃあこの気持ちは何だろう。
何にこんな、悔しくて、悲しくて。
分からない。
握りしめた掌の紙に出来るシワが深くなる。

「でもさ、トーマが変わった奴で助かったわ」
「‥なに、?」
「自分でも素性怪しすぎ、って思うの にさ。気まぐれでもなんでも面倒見てくれてサンキュな。」

ニッ、と笑うマサルに辛うじて頷いた。

翌朝、宣言通りに朝食がテーブルの上に並べてあった。焼いたトーストにコンソメスープ。目玉焼きにベーコンとコーヒー。
そんな彼はどうやら今日も「用事」があるらしく、既に姿はなかった。

‥僕は紅茶派だ。
朝は濃いダージリンと決まっている。
どうにもそれを飲まないことには目が覚めないほど。

そうか、マサルはコーヒー派なのか。
そう思った途端、いつもと違う香りでも今日は構わない気分になった。
知り合って一週間。マサルと一緒に食卓を囲んだのは昨夜のたこ焼きが初めてだった。
どんどん彼のことが知れたらいいのに。
僕のことも知ってもらいたい。
固めの目玉焼きの黄身に、僕は半熟が好きなのに、と考えるくらいには、マサルの存在が確実に僕の中に根付いていた。

根なし草のマサルにどこまで踏み込めるだろう。
いつまで一緒に過ごせるのだろう。
いつかの終焉を想像しただけで胸の奥がつまりそうになって、動悸がして、苦しい。
それは、どうしてだろう。

コーヒーと共にのみ込む。
「それ」は知ってはいけない「何か」の気がして。

「‥ベーコン、焦げてる」

僕の心に染み付いた様に、焦がした油がフライパンにこびりついていた。
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