僕らの魂を唇で繋いだ

※食器主



いつものように保健委員長の彼がおそらく同級生であろう二人組の手当てを始めた。私、喧嘩はあまり好きではないのだけれど。言い争う声を伊作が溜息と共に止めているのが聞こえる。
「全く。毎日飽きないなあ。文次も留さんも手当てをする僕の身にもなってよ。」

彼が言えば、
「「悪かった…。」」
同時に謝罪の声が聞こえた。息がピッタリで軽く笑ってしまったわ。私が笑っても別に誰にも聞こえないのだけれどね。あの二人組は本当は仲が良いのかもしれないわね。

程なく手当てを終えて、二人組は医務室を去った。沁みる消毒薬に少し苦悶の表情を浮かばせながら。 彼らが去った後、伊作は茶器や湯呑みが置いてある戸棚から私を取り出した。床にコトリと置いたら、側から薬草の香りがした。私は普通の湯呑み達よりも少し大きく底が深い。たっぷりと作る薬湯を入れるには丁度良いのかもしれないわね。薬研で潰したものが少しずつ私を満たしていった。湯を入れて、液体と化したものを伊作が満遍なくかき混ぜる。薬草の細かい葉が目立たなくなるまるで液を濾して出来上がり。濾し終えた濃い緑色の液体を私の中に満たしていく。仕上げに淡い琥珀色の液体を少々。甘い香りが私を包む。
「よし、出来た。」
伊作は嬉しそうな笑みを浮かべて口元を綻ばせた。お盆に私と幾つかの包帯とを乗せ、医務室に立てられている衝立をそおっと開けて、声を掛けた。
「気分はどう?久々知。」
「善法寺先輩。」

久々知と呼ばれた彼は寝ていた身体をゆっくりと起こして伊作を見た。枕元には教科書が積まれており、癖のついたしなやかな黒髪がはらりと肩に落ちて寝間着の白によく映えた。

お盆を置いて、伊作は久々知君のおでこに軽く手を当てて言った。
「ん、熱はもう無いね。」
伊作の言葉に久々知君は嬉しそうな声を出した。
「あの、退院出来ますか?」傍らのお盆から私を取り出して彼に差し出す。
「まあ、まずはこれを飲んでからね。」
はい、と伊作から私を渡された久々知君は息を吐いて私の中に満たされた液体を大きな瞳で見つめた。 クスリと笑みを浮かべて伊作は言う。
「大丈夫だよ。蜂蜜も少し入ってるし、そんなに苦くない筈から。」
「善法寺先輩、俺もう子どもじゃないです。」
伊作の言葉に久々知君が恥ずかしげに反論し、私の縁に口を付けてゆっくりと薬湯を流してこんでいく。私は暫し彼の喉を見つめた。

薬湯を飲み干した彼は浅く息をついて口を拭った。片手は私を持ったまま。
「先輩、この湯呑み綺麗な柄をしてますね。」
彼の言葉は嬉しかった。
白磁に青色の花と線が描かれた、何とも清楚な柄と私が思っていたからだ。私は聞こえない声で小さくお礼を言った。伊作が笑顔で頷いた。

「全部飲んだね。じゃあ包帯換えようか?」
久々知君の背後で袖をたくしあげた伊作が声を掛けた。久々知君も軽く頷き、お願いします。と言った。
久々知君に髪をまとめてもらって、伊作は彼の寝間着をゆっくりと背中から剥がした。丁寧な手つきで背中と胸に巻かれた包帯をほどいていく。巻いてあった包帯を取り去り、伊作は怪我の箇所に注意深く指を当てて怪我の程度を調べる。
「ここ、まだ痛む?」
箇所に手を添えると、久々知君の肩が小さく跳ねた。
「まだ、少し。」
傷の箇所へ水と少量の消毒薬で濡らした手拭いを軽く押し当てる。満遍なく押し当て、包帯を巻き始めた。
「久々知、きつくない?」
「大丈夫です。」
ほどけないように傷の箇所に脱脂綿を当て、上から包帯を乗せるように巻いていく。久々知君の胸を覆うように巻かれた包帯を結び目を作って蝶結びにして、再び寝間着を着せて彼を寝かせる。お互いに息をついて、 久々知君が丁寧にお礼を言った。伊作も笑顔で答え、久々知君の額にかかる髪を優しくのけた。

「あの、善法寺先輩。俺、」「いつ退院出来るかだよね。熱もないし回復も早いから今日にも退院出来るよ?」
ただし、と伊作は久々知君の目を見て言った。
「痛み止めを飲んで、夜までおとなしく寝てたらね。」

久々知君は、分かりました。と頷いて伊作から丸薬を受け取り飲んだ。目を瞑った久々知君を見て、伊作はまたお盆に私と治療道具を乗せ、衝立を元に戻して立ち去った。




夜。

久々知君を部屋まで送ってから伊作は医務室に戻った。

月が綺麗な晩だった。

戸棚から私と幾つかの湯呑みを取り出し、薬研と一緒に布で丁寧に拭き始めた。伊作は時折このようにして私たちを整理していた。丁寧な手つきで世話をしてくれる彼に私や私以外の道具たちも伊作に感謝していたわ。

また、これは何かの儀式ではないかと私は感じていたけれど。

湯呑みと薬研を仕舞い込み、伊作は手を止めて私を取った。じっと見るものだから、私とても恥ずかしかったわ。
たまに思うの。もしかしたら彼は私の声を聞いているんじゃないかしらって。
「確かに久々知が言ったとおりだ、君はとても綺麗だね。」

ふふ、どうもありがとう。

伊作は私に言って、両手で包むように私の全体を見始めた。傷はそんなに付いてない、けれど二、三箇所小さく欠けている部分がある。

「あれから、もう五年も経つんだね。初めて持ったときはやっと両手で足りるくらい僕の手は小さかったのに、今は同じくらいだ。」

そう、
私は五年前貴方の小さな掌に包まれてこの忍術学園の学舎を通りました――――――。
貰われた経緯は、よく覚えている。入学して慣れ始めた伊作がお使い帰りに倒れている茶器商人を助けた。助けたお礼として商人は持っていた売る用の茶器の風呂敷を彼の前で広げて言った。

『お礼にどれでも好きなものを選びなさい。』

そして彼、善法寺伊作は私を選んだ。あれから六年間は私は医務室の戸棚に大事に仕舞われている。殆どは先程の久々知君のように薬湯を飲ませる湯呑みとして、そして伊作自身が自分でお茶を飲むときに。

伊作は再び布で私を拭いてくれた。ゆっくりと丁寧な手つきで。そして私を自分の額に押し当てた。瞑っている伊作の瞳が見えた。
そっと私から額を離すと、伊作の悲しそうな相貌があらわになる。

「…話しても良いかな。」
どうぞ。
私は湯呑みだから。聴くことしか出来ないけれど。貴方が少しでも楽になれるのなら。
「ふふ、可笑しいよね。」
伊作はクスッと笑い、静かな声音で話し始めた。

「悩んでるんだ。忍になることに…」
医務室の格子からは淡い光が一筋、伊作の髪を照らしていた。
「勿論、忍びになりたいとは思うよ。けれど…医術に興味もあるんだ。」
歴代の保健委員長が思ってきたように、伊作も悩んでいる。人を助ける喜び、人を殺める忍び。矛盾はしているけれど人の生死を握る面ではこれらはとても似ている。

「あれ、可笑しいな。何で出てきたんだろう。」
一筋の涙を伊作は乱暴に拭った。ああ、そんなに強く拭ったら痛くなってしまうわ。

きっと彼はすまないと感じたのだろう。同じく忍びを目指す仲間達に。貴方は優しいから、自分の気持ちが彼らの行いを馬鹿にしているかもしれない罪悪感を感じてしまったのね。貴方は変わらないわ。私を選んだあの小さな掌を持った男の子のままだわ。ただの湯呑みでしかなく、慰めの言葉一つもかけられない自分がもどかしい。

精一杯の力を込めて、私は横に転んだ。少し痛かったけれど、コツーンと響きの良い音がなった。

伊作は少し驚いて、私を優しく拾って包んでくれた。
「君、叱ってくれたの?」

そのつもりはなかったけれど、私は彼を叱りたかったのかもしれない。自分を卑下しないでと、貴方は貴方なのだからと。

「ありがとう、湯呑みさん。」
言うと彼は少しばかり頬に私を当てて言った。

「明日皆に話してみるよ。怒るかもしれない、傷つけてしまうかもしれない。けれど、でも…君に、」

少し間が開いた。

「勇気をもらったから。」
私をコトリと置いて、中に少量の茶葉を入れて湯に溶かす。私を番茶の香りが包んだ。何て良い匂いなのかしら。

伊作は私に満たされたお茶をゆっくりと飲み干した。全て飲み終えて、私に言った。誰にも聞こえない小さな声で。私の大好きな声で。

「ここを去るときは君を持っていくからね。そして、この学舎を去るときまで、もう暫く薬湯の湯呑みとして君を使わせて下さい。」

私に深く頭を下げた伊作の姿を私はしっかりと頭に刻み付けた。

(ええ、勿論よ。勿論よ、伊作。人は何かを成し遂げるために生まれてくるのね。私は…人ではないけれど、貴方に使われるために生まれてきたのね?)

流れない筈の涙が溢れそうになった。聞こえない声で私は彼に乞うた。

伊作、
私からもお願いです。
どうか、この身が壊れるまで貴方の湯呑みとして私を使って下さい。どうか、この身が砕けるまで貴方の傍に、どうか…居させて下さい。


伊作は何処か晴れやかな顔で私を洗い、戸棚に戻した。


医務室の戸が締まる音を聴いて、私は目を閉じた。










--------------------------初めて書いた食器主。
良いです、かなり良いです。
日和様、葵月。様、素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました!!

2011/8/6 雪瑳


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