午後になったら涙が溢れる

2010/12/18 22:19


ハニートーストのことばかり考えて過ごした午前、そして右腕が引き攣るまで好きな文章を書き写していたという話。



昨晩の忘年会の二時間あまりのうちで最も鮮やかに記憶に残っているのは、ハニートーストのことだった。居酒屋特有のオレンジの薄暗い照明に照らされて、大皿に池のように湛えられた蜂蜜がてろりと煌めいている、その上に厚みのあるトーストが影を落としていた。その頂きに据えられた丸いバニラアイスが融解し滑り落ちてしまわぬうちにと、箸でトーストをつつき合うさまは滑稽であったと思う。師走も半ば、それも花の金曜日となればこその、アルコールの喧騒のなかで、ハニートーストだけが夢みたいに輝いていた。

夢。最近の私ときたら厭に感傷的になってしまい、しかしそれを打ち明けると笑い飛ばされてしまいそうな気がして、このセンチメンタリズムを笑われるくらいなら何も喋らぬ、と決めた。どういった心の働きなのかとんと見当がつかぬのだけど、トーストと蜂蜜とアイスクリームという組合せが、何故だかいまとても輝いて見えるのだ。別にハニートーストに関する甚く感動的な本を読んだわけでも、映画を観たわけでも、誰かの体験談を耳に挟んだわけでも無い‥‥さらに言ってしまうと、昨晩のハニートーストが忘れられぬ程に美味だったわけでも無い。

(単純に味と好みならば、おばあちゃん手作りのみかん入り牛乳寒天のほうが遥かに上である)

そんなハニートーストのことがどうにもこうにも引っ掛かって、果ては自分で作ってしまうという始末だ。不格好にカットされた厚い食パンをオーブンで焼いているあいだ、電子レンジを眺める癖のある私は例によってソワソワと赤外線の箱の前で落ち着かない。ボトルの蜂蜜とクッキー入りのチョコアイスをトッピングして、切れ込みの入った角の塊にフォークを刺し、それは引き裂くとでも呼べる獰猛さをもって千切った。もう、トーストトーストと考え過ぎて、来年のぶんまで前借りしてしまったんでないかという気持ちで食べていた。



最近は文章を書くことと声に出して読むことの差について思考を巡らせているのだけれど、絡まった糸はいっこうに解けない。どんな言葉を捻り出しても、配列を並べ替えても、私が思い描いたハッピーエンドとバッドエンドの半分ぽっちも表現できやしないことに対するフラストレーション。こうしてひとは渇いていくのだと思う。

もう幾度読み返したかも分からない小説と、ネットの海でたまたま目にしたテキストと、あとは私が思いつく限りのユートピアと終末。それらを自らの右手で、ルーズリーフに書きなぐる。お世辞にも美しいとは言えない字で、美しいと思ったことばを綴っていくその矛盾を頭の片隅で感じながら、腕を止めない。



死を、よく考える。生死という相反する二つの領域のうち、私たちがたまたま生に身を置いているという(不確かな)一般論は、死を過剰なほどにネガティヴなものとするのは、何故なのだろうかと。生ける者は死の経験が無いとされるから、死を知らない、私たちが語るそれは観念的なものに過ぎない。その観念に対して怯える理由は何なのだろう。知の及ばぬところを厭うというだけではあまりに不十分な、死への悲壮なまでの恐怖と、生の賛美への疑問。きっと生きているうちには答えは出ないのだろう、その難問の前に私はまたため息をついた。





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