(あ、瞬兄だ)
リビングのソファーに座り込み、片手に本を持つその人の姿が目に入る。
(何読んでるのかな…)
邪魔をしないように、足音を立てないようそろりそろりと近づいていく。

なんだか楽しくなってしまう、日常。
ふ、と小さく笑いが零れてしまうのも仕方ないと思う。あるのが当たり前だと、当たり前すぎてそれが自分にとっての普通で不変のもので。
壊れてしまうなんて想像もしなかったよく見る光景。
一度は何も知らずに手放してしまった大切な人が、元と変わらぬ世界の中で自分の傍にいてくれる。なんて幸せなんだろうと感じてやまない。



「ゆき、何をしているんですか?」
「…あれ?気付かれないように静かに歩いてたのに」
「それは…あなたの気配なら気付きますから」

手に持っていた本から視線を外し、瞬兄の透明感ある紫苑の瞳が私を映す。

「ごめんなさい、邪魔をするつもりはなかったんだけど…」
「いえ…ちょうど休憩しようかと思っていたので」

今私がここに来たことで集中できなくなったのだとしても、きっと瞬兄はそれを言わない。
言うはずがない。
「だって、昔から優しかったもの」
「…なんの話をしているんです?」
怪訝に見てくるそれに笑顔で答えるとふう、と呼気が吐かれた音。
「紅茶でも淹れましょうか」
私も手伝おうと足を向けると「俺が淹れてきますからあなたはそこにいて下さい」、とその意図に気付いたのか微笑みに制されて、私はさっきまで瞬兄がいたそこに腰を下ろした。

(勉強してたんだ)
テーブルの上に数冊の本と、そのすぐ傍には彼が先程まで見ていたであろうそれが置かれている。
パラパラとめくってみると専門用語ばかりで、私には難しいものばかりだった。

「ゆき」

短く名だけを呼ばれてそちらを見ると、タイミングを計ったかのように湯気が立ったティーカップが目の前にかちゃりとわずかな音をたてて現れる。
ス、と違和感を感じさせずに流れるような動作で置かれたそれを手にとって一口、口に含むと紅茶の香りが鼻腔を通り抜けていく。
「おいしい…」
ちょうどいい温度のそれが体に染み込んで、肩だけでなく全身から力が抜ける。
再度カップに口をつけようとしたところで、瞬兄が私の隣の空いたスペースに座り込む。
ほんの少し、振動がこちらにも伝わってきた。



(…私はこの世界を。これを守りたかったんだ)
強くそう感じるのは実感してしまったからだろう。
自分にとっての在って当たり前の人と、日常と、彼にとっての日常がそこに在る幸福を。一時は、消える運命を受け入れていた瞬兄は私の決断をなぜ、と問うた。
今その質問に答えるとすれば、彼にとって諦めていたであろうそれは在ってしかるべきだったのだと、そう答える。

消えるべき人なんていない。
瞬兄にだって生きてきた時間も、重ねてきた記憶もあって。好きなもの、嫌いなもの、好きなこと、嫌いなこと。
瞬兄だけのものがある。
今までしていた読書だって、瞬兄の『好きなこと』。

「それら全てが奪われていいだなんて、私には思えない」

小さく呟く。だから、彼が本当にやりたいことが出来ているなら嬉しいと思う。

「ね、瞬兄。お願いがあるの」
「…なんです?」
「こう、座ってくれない?」

実際に動きつつ、「ちょっと狭いかもしれないけど」と苦笑して伝えると瞬兄はそうする意味がわからないみたいで軽く眉根を寄せていた。
「…お願い」
「仕方が・・ありませんね」
あなたは一度言い出したら聞かないところがありますから、と同じように苦笑いを向けてから瞬兄は体制を変える。
「これでいいで…す、っ…!?」
ひとつのソファーの上に瞬兄も同じように横向きになったのを確認してから、ぽすり、とその背に体を預ける。



(うん、やっぱり)
「瞬兄の背中は安心する」
じんわりと背中が温かくて、体を預けている背中が広くて、自然と笑みが浮かぶ。
好きだなと思う。
さりげない優しさも、たとえ口では色々言ったとしても決して頼みごとを断らないところも、ずっと自分を支えてきてくれたこの背中も。
「そういえば、瞬兄。よく後ろに、って背に庇ってくれたよね」
考えてみれば背中を見ることが多かった気がする。

幼い頃は、その背におぶさって。
時には、手を引かれて。
向こうでは、背に庇われて。

「ずっと守られてきたんだね」
ありがとう、そう言うと背中伝いにぴくりと反応したのがわかって、首をそちらに向ける。

「瞬兄…?」
「あなたには…警戒心というものがまるでない」
(……警戒心?)

その意味がわからず首を傾げていると、また体に振動が伝わって、瞬兄もこちらに顔を向けたのがわかった。

「忘れたんですか?俺が…あなたを好きだということを」
「…忘れてなんか、ない。忘れられるはずが…ない」

ほんの少し上がる体温を意識しないように答えても、上がった体温は下がらない。
「だったら…」、そう言葉にした瞬兄の声が響いたと思ったらまたソファーが音を立てる。

「…俺にも責任はありますから、今すぐにとまでは言いませんが……。いつまでもそれでは俺が困ります」

「困る?」
「いつまでも、無防備では困ると言っているんです」
「え、でも…」

今傍にいるのは瞬兄で、この状況でそれを言うということはその対象は彼になるんだろうか、それとも別の何かを指しているのだろうか。
もし彼だとしてもずっと共に暮らしてきた相手。

「俺だから、です」

そこまで考えてうーん、と悩んでいると頭の中を見透かしたみたいにかかる声。
その言葉は彼を対象としている、と肯定していた。

ソファーが今度は大きな音を立てて、その上に腰かけていた私の体も大きく揺れる。
「え…っ!?」
一瞬でくるりと向きを変えた瞬兄に腕をとられ、グイと引っ張られたかと思ったと同時に唇に何か温かいものが触れた。
「…わかりましたか?」
そう言って微笑むその人に、私はただ軽く目を見開いたまま、こくりと頷くことしか出来なかった。





(実際に知り尽くされてる)




110416
title:にやり
無意識に瞬兄を揺らすゆきちゃんと、最終的には年上発揮して勝つ瞬兄とかおいしすぎる。やきもきしながら結局甘やかせばいいよ←


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