彼女は我儘を言わない。一度それを千鶴に言ったら、「私、十分我儘ですよ?」とやんわり微笑まれてしまって。二の句が告げなくなった。

(嘘つき)

本当に千鶴が言ってくれているように僕とのこの日々が幸せなものなのだとしたら、その言葉は嘘だ。それは僕を気遣い、自分の心に蓋をする嘘で。
その嘘をつかせたのが自分だということに酷く苛立ちを覚える。
(そんなの、嘘だよ)
そう言えたらいいのに、瞼の裏に彼女の頬笑みが焼きついて消えてくれなくて、淡い幻のようなその笑顔が決定打を与えることで曇ってしまうことが僕はとても恐ろしかった。また、それを言う資格は自分にはない気がしていた。
(嘘でしょ?千鶴・・)
千鶴は嘘をつくのが下手だ。
どんなことでもすぐ顔に出る彼女が、その嘘だけは必死に守ろうとするのはやはり、僕のためなんだろう。
(そんな子はね、我儘とは言わないんだよ)
言いたい言葉は思うだけで音にはならない。



「・・あのね」
「はい」
「僕が我儘なのは、千鶴に甘えてるからなんだよ」
「・・我儘だって自覚あったんですね」

口元に手を当てた千鶴がくすくすと小さく笑う。その様子にほっと安堵してしまう僕は、弱い。伝わればいい、そう思って紡ぐ言葉はかなりの遠回りをして君に届くとわかっている。それでも、こんな時だけ敏い千鶴のことだから、言葉の真意にはすぐ気付くだろうこともわかっている。
けれどこれが、今の僕の精一杯で。
(情けないよね)
「幸せってね、欲張りだから」
千鶴はじっと僕の言葉の続きを待っていてくれる。
昔から変わらない彼女の眼差しと、その瞳の中に自分が映っていることに満足してそっと髪を撫でると、掌は艶やかな黒髪の上をいとも簡単に滑り落ちていく。
「どんどん増えていくんだ、願望が。もっとああしたい、こうしたい、もっと幸せが欲しい、って」
突き刺さる視線が強くなって目を、逸らしたくなる。
「だから、言っていいんだよ?僕はそれを叶えるためにいるんだから」
(ごめんね)
聞きたくて聞きたくなくて、言わせたいのに言えなくしている。
言うべきことを、言えないから言わせようとしている。
僕と、僕の胸に巣食う病。



「・・総司さんが私の隣にいてくれる、それだけで、いいんです。それだけが私の幸せで、願いです」
それだけ言ってにこりと微笑む彼女を、耐えきれなくなって抱きしめた。
(ごめんね、千鶴)
「・・ありがとう」
気付いているのに、千鶴は「今日はなんだかいつも以上に甘えたなんですね」なんて言って、背に回した手をぽんぽんとあやすみたいにして叩く。一定の間隔でぽんぽん、ぽんぽん、と叩かれるそれは温かくて安心して、少し切ない。
僕が隣にいることが千鶴の幸せで願いだというなら、僕はそれを叶えるために彼女の傍にいるべきで。そしてそれは千鶴の願いであると同時に僕の願いでもあって。
けれど、「ずっと」は叶わない願い。
(僕はいつか、千鶴から幸せを・・奪う)
真実の言葉の中にある「傍に居て欲しい」という願い。
それはなんて幸せで残酷な、願い。
幸せで残酷な、現実。
だからこそ、僕は僕の口から言わず、彼女はそれを口にしない。






(ほうら、優しい繭が包んでくれる)

いつまでも続かない幸せだとわかっているからこそ、より願い。
直接伝えるんじゃなく、言葉の裏に隠して伝える。
でも、それでいいんだ、きっと。
方法がどうあれ、それははっきりと伝わっているから。






110317
お互いがお互いを求めて、お互いに気遣い合っているなら。
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