カツカツカツカツ、廊下に上靴の音が響く。
「まったく……なんでこんなことしなくちゃならないわけ?」
愚痴をこぼしながら歩くのは自分の通う高校の廊下。風紀委員でもある俺は、最近一部の生徒が放課後遅くまで残っているとの噂から、教師だけでなく風紀委員の方でも注意を促そうとの方針に従って今こうしてわざわざ放課後の貴重な時間を使って見回りを行っているわけで。
(誰だか知らないけど)
本来なら特に何もなければ双子の妹である千鶴と帰るはずだったんだ、と大きくため息をつく。
「俺の大事な妹との時間を潰してくれたんだ、それなりに覚悟はしてもらわないとね……」
クックック……と自分でも何か企んでいそうだと感じる笑い声が廊下にひとつ響いたけど、今大事なのはそんなことじゃない。この面倒な仕事を一刻も早く終わらせて、先に帰路についてもう自宅で俺を待っているであろう千鶴へと会いに行くこと、それこそが一番大事で俺にとっての最優先事項。
(ん…?)
さて、本当に正門を閉めるそんな時刻まで校内に残っている奴なんているのかとそう半信半疑ながらも歩を進めてしばらくして。
とある教室が俺の目に止まる。
「……………まさか、な」
瞬間よぎった嫌な予感。
ここ、は。
ガラリ、教室の引き戸を遠慮の欠片もなく盛大に音を立てて開けると人影がぽつりとひとつ。嫌な予感というものは当たって欲しくない時に限ってよく当たるもので。
教室の中にいる人物は恐らくこちらに気付いているはずなのに戸のある入口側には背を向けたまま、ただ窓の向こうを見ていた。まあ、見ていただけではなかったのだけれど。

「……おい」
本当なら関わりたくない人物ナンバーワンの人間であるそいつに声をかける。
「何?」
無視でもするのかと思いきや、そいつは俺の予想に反して返事だけはきっちりとしてきた。こんなところで予想を違えるくらいなら先程の予想の方を外してくれれば良かったのに、と内心悪態をつく。
「もうとっくに生徒の下校時間は過ぎてる。いったいいつまでこんなところにいるつもりだ?この暇人」
こいつ相手に遠慮するはずもなく、普段どおりに刺のある言い方でさっさと帰れとそう告げるもそいつ、沖田は一向に俺の方を向かずにただただ、どこから手に入れたのかシャボン玉を吹いていた。
(ほんとにどこで手に入れたんだよ……)
まさかわざわざ持ってきたのか、と検討違いなことを思ってから、思考を現実に戻す。
「高二にもなってそれはないんじゃないの」
思いっきり嫌味を込めてハッ、と鼻で笑いながら言うも、こんな嫌味がこいつに通じるわけないのもわかっている。それでも。
「煩いなあ、こんな放課後にわざわざ見回ってる暇人の風紀委員に言われたくないよ」
あ、もしかして一くんも見回ってるの、なんて惚けた沖田の声が教室内に響いた。
それもそのはず、恐らくもう生徒の大半は帰っていて、この教室には俺と沖田の二人しかいない。互いにぽつりぽつりとしか話さないものだから余計にその静かさが際立つ。
「誰のせいだと思ってるんだよ、そんなことしてる暇があるならさっさと帰れ。お前の相手をするほど俺は暇じゃないんだ」
質問には答えずに用件だけを告げても、沖田はふーと手に持ったシャボン液にこれまたどこで手に入れたのかストローの先をつけてそれに呼気を吹き込む。
教室内に少し、それらの多くは外へとふわり、ふわりと飛んでいく。

「…何がしたいわけ?」
「何に見える?」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だった」

ピクリと片眉が上がったのが自分でもわかる。本当に、こいつとはなんというか、反りが合わないというか、こうして話してみても苛立ちしか感じない。今日の昼のことだってそうだ。



「それでね薫、平助くんが、あ、れ?」

「「千鶴!!!」」

(は?)
楽しげに俺の隣で話していた千鶴が、前を見ずに歩いていたからか階段を踏み外した。
ガクン、と同じ位置にあったはずの千鶴の顔が一瞬にして下へと落ちる。落ちる、と認識してからじゃあ俺の伸ばした手は届かなくて。さあっ、と体から血の気が引いた。
千鶴が、と慌てたままの頭の中に、自分と重なった声がいつまでも響く。
「…なにやってるの、危ないなあ」
「あ………。お、きた、先輩」
「そうだね、沖田先輩だね。…怪我は?どこか痛んだりしない?」
「あっ、ないです」
「そう」
それならいいけどちゃんと前は見て歩きなよ、とそいつは去っていく。
忌々しいことに、千鶴を助けたのは兄である俺じゃなく、もっとも俺が嫌悪する人間だった。
「一応、礼は言っといてやる」
ぼそりと、そいつが横を通り過ぎる直前にそう呟く。それに返ってきたのは「今度こそちゃんと守りなよ、お兄さん」の一言だった。
(今度こそ、だって?)
それが今起きたことに対するものなのかなんて聞くまでもない。
(だってあいつは)
千鶴のことを「千鶴」なんて呼んだりしないんだから。



「沖田」
「今度はなに?」
「お前、は」
覚えてるのか、ただそれだけを紡ぐだけだというのに、俺の口は全く動く気配がない。
それどころか、小さく手足が震えていて、俺は目を瞑って頭を振った。
(違う)
恐れてなんていない。言い聞かせるように何度も何度も繰り返す。
(大丈夫だ)
「怖い?」
「な、っ…!?」
「僕は…怖いよ。それは過去だから」
それだけ。
たったそれだけだというのに、俺はそれ以上何も言えなくなって。こいつもこいつでわけのわからないことばかり言ってそれ以上何もいわないから。場に残るのは苛立ちと静寂だけだった。
それから、するりと風のように横をすり抜けて「じゃあね」なんて言って去ったあいつは、やっぱり俺にとって『嫌いな人間』でしかなくて。
(ちくしょう……)
沖田は一度たりとも俺の方を見なかった。
そこにはなんにもないっていうのにただひたすらに誰もいないグラウンドを愛おしむような寂しそうな、そんな不思議な瞳で見ていて。
その瞳に何を映しているのかなんてわかるはずもなかったし、わかりたくもなかった。
俺が誰もいなくなった教室の窓から外を見てもやっぱりなんにも見えなくて。

「ちくしょう……」

吐き出した言葉に呼応するように顔がぐしゃりと歪む。
なんで俺だけがこんな気持ちにならなければならないのか、そればかりを考えながらやっとのことで教室を出る。
足取りが妙に重くて、俺はさっさと帰って千鶴の顔が見たいと思った。






110927
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