「雪村くんには本当に申し訳ない……。年頃の娘さんをこんなところに閉じ込めたままで…」
「いえっ、あの、そんなっ…気にしないでください!」
「けれどずっと男装のままでいるんだ、君だって本当は色々と着飾ってみたいだろうに…」

せっかくの美人がもったいない、と近藤さんは少し困ったように笑う。お互いに思いがけない展開だったとはいえ、ここにいる理由はちゃんとあるし、今は私もここにいることに納得しているから、近藤さんにそんな風に言ってもらえて申し訳ないやら嬉しいやらでどうしていいかわからなかった。局長である近藤さんはいわばここの一番偉い人で、そんな人が私にまでこうして声をかけて気遣ってくれる、その気持ちがなにより嬉しかったから。
「お気持ちだけで十分です。本当に…ありがとうございます」
そんな私を見て近藤さんは微笑むと頭を撫でてくれた。温かな大きな手が、とても心地よかった。

けれどこの時の私はまだ知らなかった。この時の会話が元で、後に私に大きな衝撃が与えられることを。



「え、っ…これ……?」
大きな貝とどう見たって化粧道具にしか見えないそれら。掌の上に乗せて「はい、これ」と差し出してきたのは沖田さんで。貝の中は恐らく紅であろうそれと化粧道具を、目が笑っていない沖田さんが差し出してくる理由がわからなくて私の頭は混乱する。
「近藤さんからだよ」
ニッ、と意地悪く笑う沖田さんの本心はからかいなのか怒りなのか、私にはまったく見えない。
「まさか新選組局長からの贈物を、居候の君が受け取らない、なんて…そんなこと、ないよね?」
躊躇していると半ば押し付けられる形で手渡された。態度から察するにどうやら彼の本心は後者らしく、私はその事実に震えあがる。ぶるり、と背が震えて、さっと顔から血の気が引いていくのが自分でもわかり、思わず彼の顔色を窺ってしまう。
「年頃の娘さんに俺から渡すのもなあ、って僕に渡されたんだけど。…良かったじゃない」
「………………」
迂闊に返事も出来なくて強張った顔のまま沖田さんの様子を息を詰めて見守る。背には脂汗を掻いていた。
「………すみません」
張り付いた喉の奥底から、それだけ絞り出してようやく声を発することが出来た。
私の突然の謝罪に「なんで謝るの?」と返ってきた声とは別に、瞳が三日月に細められて。その瞳がどうしようもなく恐ろしいと、そう思った。

「まあ、一応その下手な男装でも男、ってことになってるんだし。表だっては出来ないけど。部屋の中だけで使用する分には構わないってさ。…わざわざ土方さんに許可まで取ったらしいよ」

近藤さんも甘いよね、なんて同意を求めているのかただの独り言なのかわからない沖田さんの言葉を私はただ黙って聞いていた。言葉が、左耳から右耳へと抜けていって、その意味を半分も理解することが出来ない。
それくらい、私の心中は穏やかではなかった。
「僕さあ?」
三日月の瞳は変わらないまま、今度は唇までもが吊り上る。楽しそうで、それでいて見るものを震え上がらせるその笑みに、私は反射的に唾を呑みこんだ。ごくり、と喉が鳴る。

「…化粧の匂い、大っ嫌いなんだよね。紅も、白粉も。あの独特の匂いがするだけで顔を顰めたくなる。あ、でも」

「千鶴ちゃんはそんなこと気にしなくていいんだからね?」と優しげに紡がれた音に恐怖しか、なかった。
「は、い…。ありがとう……ございました」

ここは私の部屋だというのに、この場から逃げ出したくなる。この時の私は。捕食者から放たれる独特の威圧感に、抵抗することすら諦めた獲物、だった。
「じゃあね」
ひらり、何事もなかったかのように彼は去っていく。その背から瞳が逸らせず、タラリ。背に嫌な汗が、流れた。



シンプルな発想で行動した



「はい、これ」

ちょっと困ったように笑った総司さんが私に向かって手を差し出す。いつかの光景が私の頭の中に過った。
「あ、の…?総司さん、これは?」
手の中の品と総司さんの顔を交互に見比べる。すると、総司さんは更に困ったような顔をした。
「なに、って……化粧道具?」
「…なんで私が聞き返されてるんですか……。私が言いたいのはそういうことではなくて、」
「うん…。わかってる」

でしたら、と続けようと思った言葉は総司さんの言葉によって遮られる。言いにくそうに、けれど観念したように総司さんはぼそぼそと話し出した。

「あの、さ。いつか君に近藤さんから、ってこうして化粧道具を渡したこと、覚えてる?」
「え、っ…」
覚えてるも何も、どこかで見た光景だなとついさっき思い出していたところだったから。私が軽く目を見開いて驚いていると総司さんはその反応からそれを肯定と受け取ったようだった。
「あの時の……お詫び」
(謝らなきゃいけないようなことを言ってる、って自覚はあったんだ…)
「…今何か失礼なこと考えなかった?」
私の驚きの種類が変わったことに目敏く気付いた総司さんが瞳を細める。慌てて「い、いえ!そんなこと思ってません!」と、首と掌をぶんぶんと大きく左右に揺らすと総司さんは「はあーーーっ、」と大きなため息をついた。

「……ごめん」
「いえ、あの、でも…。お化粧の匂い、お嫌いだったんじゃないんですか?それに、いつの間に……」
「買ったのは君とこの前町に行ったとき。化粧の匂いは……」
今でもあんまり好きじゃない、そう総司さんは続けた。
「だったらなんで…」
「でも今はちょっと意味が違うかな」
「意味?」

うん、とそれだけ言うと総司さんは紅だけを手に取って、残りを床に置いた。それからいつの間に用意していたのか、小皿に入っていた水で紅を少しずつ溶いていく。
(………?)
「千鶴」
紅のついた総司さんの指が私に向かって突き出される。促すみたいに「ん、」と言われてしまえば、その行為が何を意味するのか私にだって嫌と言うほどわかった。
「え、えと…自分で、」
「ん」
「…はい」
羞恥に徐々に上がっていく体温には知らない振りをして。瞳を閉じてから、唇を軽めに閉じる。とんとん、と馴染ませるように総司さんの指が私に朱を引いていった。
「出来たよ」
「……それで、さっきの意味ってなんなんです?」
忘れてませんよ、とでも言いたげな目で総司さんを見ると彼は小さく笑う。
「匂いが苦手、っていうのは今でも本当なんだけどね。…今はそれとは別の理由がある」
つい、と自然な動作で総司さんの手が私の頬に触れた。

「白粉とか紅とか、君と僕の間に壁が出来るじゃない?」
「え、っと…?」
総司さんの言っている意味がわからなくて首を傾げると、にんまりと笑った総司さんの顔が近づいてくる。あ、と思ったときにはもう既に唇が重なっていた。
「…ほら」
ついちゃった、と総司さんが自分の唇に指を当ててそれを私に見せる。

「僕はいつだって君自身に触れていたい。だから化粧とかされると唇とか肌とか。直接触れ合えないから正直邪魔なんだよね」
「な、んですか、それ…」

じゃあなんでこんなものを買ってきたのかと、恥ずかしい台詞に顔を真っ赤にしながら尋ねると、総司さんはいとも簡単なことのように言ってのけた。

「だって、君が着飾ったところは見たいじゃない」

いつかの芸者姿も似合ってたしね、と愛おしげに見つめられてはそれ以上何も言うことが出来ず。
私の様子を見ている総司さんだけが、楽しそうに笑っていた。




110912
title:にやり
0912(おきちづ)の日!
後悔していた旦那さん。
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