01 Justice


「正義を振りかざすのって楽しい?」


誰かが言った。
「…はあ?」
いきなりなんだよ、とヒュウが振り向くもそこには誰もいなくて、彼は一人小首を傾げる。
(空耳、か…?)
けど確かに聞こえたはずだ。
そう思って周囲を見回すもやはり先程の台詞を吐いたらしい人物は見当たらない。それどころか、人影ひとつなかった。
(やっぱ気のせいか)
「まあ、当たり前だよな」
ざあざあと大きな音を立てて落ちてくるそれを、顔を上げて見つめるとどんよりとうす暗い空が目に入る。
この豪雨はつい先程から。唐突に降り出した雨に慌てて木陰へと走りこんだ甲斐もなく、ヒュウの肩はじとりと濡れていた。水分を含んだそこから、徐々に体温が奪われていく。
「さむ…」
はあーっと効果があるのかないのかわからないがグローブ越しに呼気を吐く。一瞬温もりを感じた、かと思えばその熱はすぐになくなってしまって。それを何度か繰り返していた。
「早く止まねーかな…」
こんなところで、こんなことをしている場合ではないのに。気持ちばかりが急く。頭ではそんなことではいけないのだと警鐘がなっているにも関わらず、前へ前へと加速していく心は止められなかった。
「ねえ。正義を振りかざすのって楽しい?」
(まただ)
今度は聞き間違いなんかじゃない。確かに聞こえた。
ヒュウは再度周囲を見渡して人気がないのを確認してから、キッと誰もいない自分の正面を睨みつける。
「オマエ誰だよッ!!さっきから、いったい何が言いたいんだ!?」
「あはは。別にそんなの、なんだっていいじゃない。ただ言えることはね、君は正義で、そしてそれだけだってことだよ」
「なんだよ…それ…」
「本当にわからない?プラズマ団、だっけ?明確に悪だってわかるものがあって、君には理由があって。そう、人間でいうところの正当性と言った方がわかりやすいかな」
ピクリ、姿なき声が告げた単語にヒュウの眉が動いた。そのままどんどんと固くなっていく表情。暗い瞳に声は小さく笑った。
「ほうら…まただ。君、彼らのこととなると自我を失くす傾向にあるね」
「だから…なんだってんだ?」
「図星なんだろう?」
「うるさいッ!!」
言いながらぐっと握りしめた掌が妙な音を立てた。嘲笑うような声は形なく、生まれだした感情をぶつける術もない。依然続く雨はざあざあとうるさいというのに、それでもヒュウが上げた彼の意思はよくとおっていた。それが余計に腹立たしい。誰に受け止められるでもなく、一人からまわっているようで。一人で踊るワルツのようで。
「正しい正しくない以前に、彼らには彼らの正義があって、君には君の正義がある。善悪なんて誰にも決められない」
「人のポケモンを奪うことが正義なもんかッ!あいつらは悲しみを悪戯に増やしてるだけだッ!!」
「…君の妹みたいに?」
「っ、」
「やあやあ、別に君の逆鱗に触れるつもりはないんだ。ただ純粋に興味があってね」
だからそう怒らないで、聞いてくれ。心を静かにして、ただ聞き流してくれ。
声は言った。
「君はいったい何がしたい?仮に彼らが本当に、悪戯に悲しみを増やしているだけの集団だとして。人から見れば君もプラズマ団というひとつのものをとても嫌悪し、憎み、騒ぎ立てているだけの滑稽な人間に見えているかもしれない」
「…オレはそれでも構わない。そんなの、どうだっていい」
「…へえ」
「オレはッ!ただ妹のチョロネコが帰ってくればそれでいいッ!!」
言い切るね、と声はヒュウの叫びに返した。姿の見えない相手、そのうえ話しぶりから人間ではないかもしれないという可能性が浮かび上がってきている中、相手がどんな顔でヒュウを見ているか、その素性、それらはもう意味を成さない。
「…なあ、」
「なんだい?」
「……オマエはどうしてそんなことをオレに聞いたんだ?聞いてどうするんだよ?」
「言っただろう?純粋な興味さ」
けど、と続く言葉にヒュウはまだ眉を吊り上げたままの表情で口を閉じて先を待った。声の調子はあくまでも明るいまま。
「その愚直さは恐ろしくもあり、また、君から何かを奪っていきそうだ」
「……させねえよ」
これ以上奪わせてたまるか。
ヒュウが零したそれは彼の咥内で留まったように篭ってはっきりとは聞こえなかった。
「そう。…では私の興味に付き合ってくれた君に、ひとつだけ忠告をしよう。君の正義を貫くというならそれはそれで構わない。だが……既に君に周囲が見えていないという自覚が少しでもあるなら。改めることだね」
「そうかよ…」
それきり、声は聞こえなくなった。
「なんだって…言うんだよ」
自分のやっていることが正しいとも、正しくないとも思わない。ヒュウの中にあるのはあの時出来なかったことをやるんだ、チョロネコを取り戻すんだ、それしかない。
「それ以外に、何か必要だっていうのか……?」
プラズマ団を嫌悪してきた。だからあんな奴らには絶対にならないと思ったし、ポケモンは大切な仲間だと思っている。
「くそ…っ…」
ぽたり。木々の隙間を通り抜けたのか、それとも葉に溜まった雨が落ちたのか、頭上から降ってきた雨はヒュウの目の下あたりに落ちてそのまま頬を滑っていく。
目的ならある。旅をしてきて色んな人と出会った。元プラズマ団にも会った。
確固たるものは揺らぐことはないにしても、何かがヒュウの中で燻っている。
「……………」
目を閉じた世界に当然のごとく映るものはない。耳に雨の音だけが届いて、いつまでも降り続ける雨に温度は低くなっていく。
すうっと開いた瞳に見えるのは先程までと変わらない暗い空で。ヒュウはまた一人さっさと止めよと零した。


雨はまだ、止まない。






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