「ここにも…いなかったか」

ぽつり、プラズマ団との戦闘のあとヒュウが呟いた。声に反応してそちらを見ると、どこか遠く、一点を見つめる瞳。
「ヒュウ…?」
ほんの少しだけ怖くなる。こんなに近くにいるというのに、この瞳には前だけしか見えていないんじゃないかと。
(…いくら見つめたってその先には何もないよ?)
「ねえ、」
返した声も聞こえていないのか、顔から表情が抜け落ちたままずっとヒュウは前を見ている。ふと、それが自らの掌に移った。
(モンスターボール?)
すぐ傍から見た球体はそんなわけがないのに壊れてしまうんじゃないかというくらい強く握られていた。衝動。
勢いよく顔を上げる。ヒュウと同じようにモンスターボールを見ていた目は持ち主を代わりに映して。引いて見た視界には一緒に空が映った。
青に混ざる白がやけに綺麗で、それなのに、そんな綺麗な光景を背景に立つヒュウはちっとも幸せそうには見えなくて。穏やかに流れる雲。吹く風。静寂。世界はこんなに鮮やかなのに、ここだけ切り取られて色を失くしたような気さえする。
「っ、ヒュウ!」
「っうわ!なんだよメイ、いきなり大きな声出すなよ!!」
(…あ。いつものヒュウだ)
つられて強張っていた顔の筋肉が緊張を解いた。頬は緩んで、目尻はだらしなく下がっているだろうけど、今はそれも気にならない。ただ安心した。
「えへへ」
「……?変なやつだな」
「酷い!」
言いながらヒュウは笑ってわたしの頭を撫でてくれる。頭を撫でてもらうのはこれが初めてじゃない。それこそ、小さい頃からもう何度も何度も経験している。けれどふいに過った。これはヒュウがすることでも、わたしがされることでもないんじゃないかって。

「…ねえねえ、ヒュウ」
「どうした?」
「ちょっとこう…しゃがんでくれない?」
「よ、これでいい…っと!?」
なんの躊躇いもなくわたしがしたようにしゃがんで見せたヒュウの頭を腕でぎゅっと抱え込む。身動きひとつとらず、抵抗もされないまま、すっぽり埋まったもふもふした柔らかい髪が顔のすぐ下にあった。

「よしよし」
「…なにこれ」
「んー?…なんだろうねえ」
なんだそれ、と腕の中で小さく振動があった。どうやら笑っているらしい。
「ヒュウを誉める会、会長のメイです」
「そんなのあったのかよ」
「あったんです」

くすくすとお互いに笑う。気兼ねしないこの距離は昔からとても心地がよかった。



「ヒュウが頑張ってること、わたしちゃんと知ってるからね」
よーしよし、また撫でる。ゆっくりゆっくり、時間をかけて。
またヒュウが腕の中で小さく動く。ビクリと驚いたような、跳ね上がった動きだった。
「……オレさ、」
「ん?」
「オマエが幼なじみでよかったって、何度も思ってる」
「そんなのわたしだって同じだよ」
それきり、ヒュウは黙り込んでしまって。けれどされるがままになっていたからわたしは何度も何度も髪を撫でた。そうした方がいいんだろうとなんとなく、そう思う。
「大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか、何に対して大丈夫だと言っているのか。自分で言っておいてわからない。けれど、勝手に口をついて出てしまったのだから仕方がない。

「守って、やれなかったんだよ…」

唐突に放たれた絞り出すような声に、わたしは大きく息を吸って肺に空気を送り込んだ。やけに時間が長く感じる。いったい戦闘が終わってからどれだけ経ったんだろう。
「そんなのわたしだって同じ」
「…オマエはまだあの時ポケモン持ってなかっただろ」
「ヒュウも、だよね?」
返されてヒュウが黙り込む。何がとは言われなかったけれどわたしには思い当ることがあった。五年前。プレゼントとして渡されたチョロネコは奪われた。
トレーナーとポケモンといったような関係じゃなく、どちらかと言えば友達のようだった、あの子たち。

「だからわたしたちみたいに、トレーナーとして旅をするためにポケモンをもらったのとは違うし、あの時はヒュウもわたしも、まだトレーナーじゃなかった」
誰も何も出来る状況じゃなかった。言外にそう言うと腕に手がかかって。それに腕を緩めると、ゆっくりとヒュウが顔を上げる。その顔は見てるこっちが痛いくらいに苦渋の色に染まっていて、自然とじわり。わたしの目の奥も熱くなる。
「何も出来なかったッ!!」
「……ヒュウはちゃんと守ってたよ」
「何を守ってたっていうんだよ!!現にアイツは…」
「守ってた!!!」

ヒュウが尚も続けようとするのを声で遮る。思ったよりも大きな声が出て自分でも驚いた。それはヒュウも同じだったようで一瞬だけ目を見開いていたけれど、すぐまた顔を歪めて俯いてしまう。
(後悔、してるんだね)
わたしはそれを知っていた。ずっと見てきたから。ヒュウは優しいから。ずっと悔やんでいたことも、自分に力がなかったからだって責めていたことも知ってる。
(それでも、)

「…ねえ。その時のヒュウに出来る精一杯で、守ってたんでしょう?」

ポケモンを繰り出す大人相手に、その時のヒュウはポケモンを持っていないうえにまだ子ども。その場にいなかったわたしには想像することしか出来ないけれど、ヒュウのことだから簡単に想像できる。自分だけ傷つきながらも妹だけはって、庇ってる様子が目に浮かぶ。理不尽な出来事に怒りを覚えただろうことも容易にわかる。

ずっと泣き声がしていた日があった。ヒュウが傷だらけで帰ってきた日があった。
どうしたの、ってそう言うと「なんでもない」と顔を背けてしまったから詳しいことは知らない。
「でもこれだけはわかるんだ」
あの日から今までヒュウがポケモンを持たなかった理由だって、わかる。
「全部は守れなかったとしても、確かに守っていたものもあるよ」
「だけどッ…」
「ヒュウ、」
「…っ」
それ以上はたとえヒュウ自身のことだとしても許さないと、その一言に込めた。強めに言ったそれが伝わったのかヒュウが言葉を飲み込む。



「ずっと、いつか取り返してやるって思ってた」
「うん」
「強くならなきゃって、またアイツが笑えるように、チョロネコがあんなヤツらに利用されるのなんてそんなの絶対許さねえって、そう思ってた」
「…うん」
「だから旅に出たんだ」
(知ってるよ)
そ、とヒュウの髪に触れて一度だけ撫でる。
「わたしも、手伝う。ヒュウたちのためだもん」
「…さんきゅ」
「何を今更。ヒュウ、最初から手伝えって言ってたじゃない」
「それも、そうだな」
冗談めかして言ってみると、ぎこちなくではあったけれどヒュウも小さく笑ってくれた。途端に体中から力が抜けていく。
(あ、まずい)
カクン。
「お、おいッ!?」
「あ、あはは……。だ、大丈夫。安心してちょっと足に力が…」
よっぽど気を張っていたのか、気が抜けすぎたのか。立っていたはずのわたしの足はカクン、と曲がってしまい。
緩くではあったけれど、わたしに頭を抱えられたままだったヒュウも巻き添えになる形で一緒に体勢を崩してしまった。
「ほら」
先に立ち上がったヒュウが手を差し出してくれるのにお礼を言いながら、支えてもらってなんとかわたしも立ち上がる。



(あ…)
そういえば、とヒュウを見る。わからないことが一つだけ、あった。
「…なんかあんの?」
「えっ、あっ…」
見つめていたのが悪かったんだろう。躊躇いから言えずにいたそれはあっさりとヒュウにバレてしまう。
「……聞いてもいい?」
ダメかもしれない、聞いてはいけないことかもしれない。そう思いつつ切り出したそれに「オマエが聞きたいなら、別にいいよ」と微笑まれて。
ヒュウはわたしに甘いよと苦笑いと共に零す。
「あの、どうして今まで旅にでなかったの?」
わたしより年上のヒュウならもう少し前に旅の許可は出たんじゃないか。
その疑問にヒュウはなんでもないことのように「ああなんだ、そんなことか」ときょとんとしていた。
「なんか改めて考えるとちょっと情けないな…。――最初から、メイの手を借りるつもりだったんだ」
「…へ?」
「もちろん、オマエと違ってオレはポケモンをもらったわけじゃないから。準備に時間がかかったっていうのも少しはあるけど」
チョロネコは確かに早く取り戻したい。けれど解散したとはいえプラズマ団がまだボールを所持しているなら確実に戦うことになる。どうなるかわからない旅。味方はいてくれた方がいいだろう、そう思ったとき、わたしの顔が思い浮かんだのだとヒュウは言う。

「…それって、頼りにしてくれてたってこと?」
「……?それも、最初から言ってたろ?」
「そうか。…そう、だったね」
そういえばそうだった。確かに最初から「頼りにしてるぜッ!」やら「手伝ってくれよ」やら言ってたなあとぼんやりと思い出す。
(でも、そうか)
湧き上がってくる嬉しさを噛みしめる。言葉通りの全幅の信頼を、ヒュウに与えられている。それがとても嬉しかった。

「ヒュウー」
「なんだよ」
「大好き!」
「…知ってる」

知ってるとそう言いながらも少し照れたようにはにかんだヒュウに、重なったままになっていた手を指を動かしてぎゅっと握る。自然と握り返してくれるそれが、幸せでたまらなかった。







悔しかったのはわたしもだったんだよ、





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