ぽた、ぽた。


人気のなくなった街道には、右足を引きずりながら歩く1人の少年の姿だけがあった。
痛い。つらい。苦しい。
未だに左胸の傷からの出血は止まらず、それは今まで彼が歩いてきた道を作り出していた。

身体中が痛い。息をするのも苦しい。
必死に政府軍の攻撃から逃れ、やっとの思いでここまで歩いてきたが、攻撃で深く傷付いた身体は限界を訴えていた。
僅かに残った体力で路地裏まで進み、そこに座りこんだ。

それでもまだ、出血も、身体の痛みも、息苦しさも止まらない。
荒い息を整えようと、左胸を抑えた。まだ、だらだらと止まらない出血が手を濡らした。生暖かさと独特の臭いに気分が悪くなり、目を閉じた。

どく、どく、と心臓の鳴る音だけが聞こえる。まだ生きている証拠だった。
このままだと死んでしまうのだろうか。分からない。
もうこのまま死んでもいい。助けを求める気もない。
何も知らなかった。この世界も、自分のことさえも。
最後にもう一度だけ、主人である科学者にテレパシーを送った。が、やはり応えはなかった。
ああ、捨てられたと悟った。自分の生きる意味を見失った今、未練も何もなかった。
意識が朦朧としていく。きっともう死ぬのだろう、覚悟はできていた。
壁に背を預け、酸素が欲しいと訴える口を閉じようとしたその時だった。


「キミは…」


どこからか聞こえた声に、目を開いた。
誰もいなかったはずの街道には、同い年くらいの桃色の少年が立っていた。

「ひどい怪我だ…」

かつ、かつ、と近寄ってくる足音だけが路地裏に響いた。
少年は見知らぬ者が近寄ってくる恐怖に思わず手を出した。
しかしその弱々しい抵抗は無に等しく、軽い爆発音だけが2人きりの路地裏に響いた。

「大丈夫、ボクはキミの敵ではないよ」

そう言って桃色の少年は、重傷を負った少年の正面にしゃがみこんだ。
ちらりと少年の顔を覗き込むと、彼は激痛に顔を歪めながらも必死にこちらを威嚇していた。
視線を下げると首輪が目に入った。それを見て桃色の少年は確信した。

(ああ、やっぱり彼が…)

その首輪には“MEWー02”と刻まれていた。今やこの302事件の犯人として、世界中で最も名が知れた悪役だった。
しかし、桃色の少年にとって“MEWー02”はそれだけの存在ではなかった。

反政府軍のある科学者によって造られたとされる“MEWー02”。それはある生命体の遺伝子を組み換えて造り出されたという。
ある生命体とは、その名称の由来となっている“MEW”である。
そしてこの桃色の少年が、その“MEW”だった。
“MEWー02”は“MEW”のたった1本の睫毛から、遺伝子を組み換えて造り出された存在だったのだ。

同じ遺伝子から成る存在は、多少は違えどやはりそっくりだった。
皮肉にも、“全ての祖先”と“世界最恐の破壊兵器”はあまりにも似ていた。
桃色の少年は、自らの遺伝子から成るその存在が起こしたこの事件に罪悪感を感じていた。
しかし、それと同時にその存在に、多少にかかわらず親近感も持ち合わせていた。
彼を救ってやりたい。そう思った。
未だにこちらを威嚇し続ける少年に微笑みかけた。

「キミの名前は?」

少年は依然として威嚇し、口を閉じたままだった。ああそうか、彼は誰かと会話したことさえないのだ。
戦闘のために造られ、そのためだけに生きてきた。
この少年は、生きる者としての扱いを受けたことがなかった。

「…ごめんね、それよりこの傷の治療が先だ。」

桃色の少年が手を差し出すと、少年は弱々しくその手を払いのけた。
こんなやり取りをしている間にも、赤い水溜まりは、ぽたり、ぽたりとその面積を増やしていく。
早くしないとこのままではまずい。桃色の少年の首筋を汗が流れ落ちた。

「ボクのことを信用できないのは分かる。でも今はキミの命が危ないんだ!」


重くて息苦しい、物音一つしない沈黙の時間が流れた。
ただ、聞こえてくるのはお互いの呼吸する音だけだった。



(…私にはもう、生きる理由がない)


「え…?」


何処からか聞こえてきた、沈黙を破ったその言葉。声ではないそれは、しかし桃色の少年にはっきりと伝わってきた。
この場にいるのは2人の少年だけだった。
その心の声は、テレパシーによって伝えられた間違いなく彼のものだった。

(私は捨てられたのだ。私にはもう帰る場所もない)

「………」

(もう生きていく意味などない)


そう伝えると、少年は悲しそうに目を伏せた。
それはあまりにも残酷だった。
たった一人の、ずっと信用してきた人に裏切られたのだ。桃色の少年を信じられないのも当然だった。
また暫く沈黙が続いた。同情にしかならない安易な言葉をかけることは出来ず、桃色の少年はただ彼を救える選択を探した。
そして沈黙を破ったのは桃色の少年だった。


「…じゃあ、これから生きる意味を探せばいいんじゃない?」


少年は目を見開いて顔を上げた。その驚いた顔は、年相応の少年のものだった。

「キミは生きていく理由がなくなったと言った。けれど亡くなってもいい命なんて、一つもないんだよ」

そうでしょ?と桃色の少年は無邪気に笑った。
少年は口を開けたまま、紫色の瞳を大きく瞬かせた。

「キミは一人じゃない、ボクが味方だ」

桃色の少年はそう言うと、再び手を差し出した。
その手の上に、赤に染まった手が弱々しく重なった。
桃色の少年はふわりと微笑み、身に付けていた帽子とスカーフを少年に被せた。
さあ、行こうと小さく呟くと、辺りは光に包まれた。少年は眩しさに目を閉じた。
2人の少年の姿は光の中に消えていった。











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