臨界点 | ナノ











身を打つ雨に眉をひそめた。
すぐに降り止むだろうという俺の甘い予想を嘲笑い、雨足は激しさを増していく。いまさら走っても無駄なことは明らかで、足を速める気も起きなかった。濡れたシャツが肌に貼りついて煩わしい。

少し先に見える信号の青が、ちかちかと明滅を繰り返す。



スポンジのように水を吸って重くなる自分のカバンよりも、俺は、帰り道で別れたばかりの三橋のことが気に掛かっている。
傘持ってたっけ、あいつ。いつもとろい三橋だけれど、せめてあまり濡れないうちに走って帰っていればいい。

明滅していた歩行者信号が、俺の目の前で赤に変わる。



風邪ひいてごめんなさい。
そう言って、泣きそうな、情けない顔で謝る三橋を夢想した。あいつはきっと謝るだろう。謝る必要なんてないのに。


前髪から滴る雨粒が、眼球のふちをなぞって落ちた。
笑った顔が見たい、そんなシンプルかつ真摯な願いは、なかなかどうして上手くいかない。
ぽたりと落ちる水滴がまるで涙みたいだなんて、ドラマですら見ない陳腐なシチュエーションを笑う。


あいつは、雨の降らない乾いた場所にいてくれますように。風邪なんかひかないように。

胸の内でエゴたっぷりの願いをふたつ。
俺が、謝る姿を見ないで済むように。





不意に、滲む赤信号が視界から消えた。


いちめんの、黒。

差し掛けられた雨傘に、信号と雨を見失う。雨傘の持ち主が、俺の後ろで、乱れた息を整えている。


「なに、してんの」


低く濁った俺の声は、びくりと相手の肩を震わせた。傘を持つ手も小さく揺れる。見慣れた、皮膚の硬い右手。

なんで追い掛けてきてんだ。馬鹿じゃねえのか。傘があるんなら、そのまま真っ直ぐ帰れよ。三橋。


「阿部くん、傘、持ってなかったから」

「……あのなぁ、三橋、」

「風邪ひいたら、困る、よ」


詰まった言葉が、じくりと鼻の奥を刺す。
これくらいの雨、どうってことないのに。放っておいてくれればいいのに。なんて、無責任な優しさだ。
俺のことをきっと大して好きでもないくせに。たまに見せられる淡い好意が、どんなふうに心臓を握り潰していくのかも知らないくせに。


俺が捕手じゃなくても、お前はこうやって追い掛けてきてくれんのかな。
身体を気遣われるたびに、そんな、馬鹿みたいなことを考えている。情けなくて泣きたいけれど、涙の代わりの雨すら傘の下では望めない。


「三橋」


傘を持つ手ごと掴んで、引き寄せた。乾いた三橋の手が俺に掴まれて濡れる。

ああ、やっぱり冷たい。


いつの間にか青に変わっていた信号が、再び視界の端で瞬き始めていた。






臨界点

























このあとは、引き寄せた自分に動揺して走って逃げる青い阿部でもいいし、マッハで自宅に連れ込んで変態になる阿部でもいいです。お好みで!



リクエストありがとうございました。阿部がかっこよくなくてすみません!

090923


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