ハニーどうぞ次は君から | ナノ








まあ、バレンタインだ。
恋人同士のイベントだ。



しかし、俺は賢明な男だから(あくまで浜田や田島に比べれば、だとしても)、はっきり言って期待はこれっぽちもしていなかった。


だからいくら付き合っているとはいえ、三橋が、
『はい、泉くん』
と頬をピンクに染めて、拙くラッピングされた箱(手作りだからな)を差し出してくるなんていうシチュエーションは、夢みるだけにしておいた。

(実際夢にみてしまったなんていうのは口が裂けても言えないが)。



そんな現象は起こらない。これは断言できる。



三橋のなかで『バレンタイン』の定義は、文字通り『女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日』。

それ以上でも以下でもない、もっともな見識だ。

事前にそれとなく訊いてみたから、これも断言できる。



いやしかし、これはない。これはないだろう。



目の前で起こっている現状に頭を抱え、大きくひとつ溜息を吐いた。


『運動部』に属する男子というものは、ただそれだけで、女子の目にとっては酷く魅力的にうつるものらしい。

例えそれが、十人しか部員のいない野球部だったとしても。
そこで活躍しているのなら、尚更のこと。


かくいう俺も他の男子に比べれば、ちょっと誇れる程の数を貰っているのだ。

だから、四番バッターでなおかつ男女分け隔てなく接する性格の田島は、三時間目が終わるころにはそれこそ両手に余るほどの包みを手にしていた。

とはいえ、呼び出されてこっそりと、ではなく、クラスのど真ん中で堂々と渡されるものばかりだから、その殆どがいわゆる『義理チョコ』なのだろう。



そんなのは知ったことじゃない。田島が幾つ貰おうが、そんなんで張り合う程に俺は子供じゃない。

問題は他にある。



「三橋くん、これ!」



短い休憩時間の度に、どこからかわらわらと現れる女子に引っ張られていくのは、田島だけじゃなかった。


そうだよ、そうなんだよ。
俺は深く机に顔を埋める。


野球部のエースピッチャー。四番にも匹敵する魅力的な肩書に加え、夏のマウンドでの活躍。

俺や田島や浜田が傍にいることで接しやすくなった三橋が、女子の餌食になることぐらい予想しておくべきだった。



頬にぴたりとくっついた机の表面が、俺の体温で温くなっていく。

『黄色い声』のお手本のような、甲高くも可愛らしい、しかし今の俺にとっては雑音にしか聞こえない女子の声を必死の思いで聞き流しつつ、俺はさらにべたりと机に張り付いて目を閉じた。



好きなやつが顔を真っ赤にしてチョコを受け取る様子を見たい男なんて、百万人に一人もいるわけがない。



本当に、こんなとき、俺がもっと精神的に大人だったらなあ、と思う。

例えば、誰からのものかもわからないチョコを頬張って嬉しそうに笑う三橋に、『いっぱい貰えてよかったなあ』なんて言ってやって頭を撫でて、にっこりと笑って。


想像のなかで、三橋が誰かからの可愛らしい赤い包みのリボンをしゅるりと解き、小さなまるい粒を手に取った瞬間、


「だあああああああ!!!」


無理だ。絶対無理。

想像のなかの俺は奇声をあげて、三橋の腕を勢いよく掴んだ。
三橋の口に入るはずだったチョコレートは、哀れにも床に特攻して玉砕。ご愁傷様。



「いふみ、ねるか奇声あげるかどっひかにひろよ」



どうやら声に出ていたらしく、ぱちりと開いた目の先では、口いっぱいにチョコレートを詰め込んだ田島が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。

むぐむぐと動く田島の口元から漏れる、甘ったるい匂いにももう慣れた。

なにしろ、今日は一日中そんな匂いを嗅がされ続けているのだから。


うんざりした俺が再度目を閉じようとした、その時、



「泉、」



ごくん、と口の中のものを飲み込んだ田島が再び口を開く。



「昼休み、部室行け」


「なんでだよ」


「呼び出し。泉くんに用があるんですけどー、ってさ」


「女子からの?俺はそーゆーの、」


「いいから、とにかく行けって」



にやりと口元だけで笑う田島の目が、なんだか気味が悪い程に鋭かったので、気押されるように思わず頷いてしまう。

四時間目開始のチャイムがのんびりと響き、緊迫した空気が緩むのを感じて、正直なところ少しほっとした。





*********





「え」


「ふぁ、いふみふん」



どさり。

心持ちいつもより重くさえ感じられる部室のドアを開けると、思いがけない人物がそこには居て、俺は思わず昼食の入った鞄を取り落とした。

部室の床にぺたんと座ってサンドイッチをくわえた三橋も、明らかに驚いた様子で落ち着きなく視線を動かす。



「なんで、三橋が」


「たひまふんに、よびだひだ、って、ひわれて」


「やっぱり田島か……」



してやられた、と思いつつ、俺も三橋の向かいに腰をおろした。

まあここはひとつ、田島に感謝しておこう。
様子のおかしい俺に対する、あいつなりの優しさだ。きっと。


三橋の動揺が納まるのを待ち、同じ高さになった目をじっと見つめる。

綺麗な薄茶の瞳は少し不安げに揺れたけれど、それでも俺の目をきちんと捉えて離さなかった。



「なあ、三橋」



膝の上に行儀よく置かれた片手をそっと握って、柔らかくほぐすように手のひらに指を這わせる。


ぴくりと、ほんの僅かにその肩が揺れたので、そのまま掬いあげるように抱き寄せた。


三橋がかじっていたサンドイッチがぱさりと乾いた音をたてて、重力に従い床に落ちる。



「今日お前、幾つチョコもらった?」



抱きしめたのは正解だった、と思う。

多分、俺は今、酷く醜い顔をしているだろうから。

どろどろと濁った感情は、とても心のなかだけに収まるものではなかったらしい。



どうしてだろう。
さっき見つめた薄茶の瞳は、本当に、澄んでいて綺麗だったのに。

俺は、どうして。



「泉くん、こそ」



耳元で小さくこぼされた声が、思考を遮って脳まで届く。

全神経が耳へと集中するような、そんな錯覚を覚えた。



「泉くんこそ、女の子にたくさん、たくさん呼び出されて、た」



その声が微かに、しかし確かに震えていたから、

三橋を抱きしめた腕は離さずにそっと身体をずらして、正面から顔を見つめる。


髪と同じく色素の薄い睫毛に縁取られた瞼はふせられていて、一瞬、

泣いているのかと思ってしまったけれど。



「オレ、ちょっと怒ってたんだ、よ!」



ぱっと上げられた目に涙の粒はなくて。

安心すると同時に俺の喉にこみあげてきたのは、



「……ぷ、はははっ」



いきなり笑い出した俺に、三橋は一瞬目をまるくして、それから頬を膨らませて詰め寄ってきた。



「なんで、笑うの!」


「いや、ごめん、なんていうか」



もうキスするんじゃないかってくらいに近い位置にある三橋の顔を、両手で包んで引き寄せて、額と額をそっと合わせる。


途端に、ぽん!と音がしそうに赤くなる三橋に、ますます嬉しさは増して。



「よかった。俺だけじゃなかった」



人の心なんて現金なものだ。本当に。


名残惜しさを感じつつ温かい頬から片手を剥がし、手探りで近くに置いた自分の鞄を引き寄せる。

見ずとも鞄の一番上にあるものに触れれば、指先にざらりとした紙の感触。



「はい、三橋」



額を離して差し出したのは、いたってシンプルなブラウンの包装を施された、四角い箱。


抱きしめていた腕をほどかれた三橋は、不思議そうな表情を浮かべて、丁寧に包装紙を剥いでいく。

その下から現れた、同じく飾り気のない箱の蓋をとると、ふわりと香るのは、今日一日中嗅がされていたカカオの香りで。



「……チョコレート?」


「見ての通り、チョコレート」


「でも、なんで」



相変わらず不思議そうに、けれども、そっと大切そうに箱を両手で包む三橋に向かって、俺は多分嬉しそうに、でも少し意地悪げに笑った。



「今年は、彼氏から渡す逆チョコが流行りなんだって、さ」


「か、かれ」


「そ。三橋、他のやつから貰ったチョコ、もう食った?」


「食べて、ない」


「そっか。それなら、いーや」



よかった。
これで、三橋のいちばんは俺のもの。最高じゃないか。
それだけでもう、満足だ。



卒倒してしまいそうに真っ赤な三橋に、俺はまたにっこりと笑ってみせる。



「他のやつの食べなかったご褒美、やるよ」


「ごほうび?でももう、泉くんからチョコ、貰ったよ?」


「うん。だからそれ、」



特別に俺が、食わせてやるよ。


そう言って、俺は箱の中から二センチくらいのトリュフをひょいと摘んだ。
ほのかな、苺の香りがする。

俺がわざと選んだのは、ピンクのチョコレートにホワイトのラインが引かれた、いかにも可愛らしい一粒。


手元を見つめる三橋の視線をちょっと意識しながら、おもむろに小さなそれを、


「ん」


俺は、自分の上唇と下唇でゆるく挟んだ。


ようやく状況を理解したらしい三橋の頬は、もう湯気をたてそうになっているけれど、せっかく田島がくれたチャンスを無駄にする気は毛頭ない。


わざとなんでもないような顔をして、ん、ともう一度、顎をしゃくって三橋を促す。


助けを求めるように、潤んだ瞳で見つめてくる三橋に少し心が疼いたけれど、ここは我慢だ。
ここで引いては男が廃る。



観念したように大きく深呼吸した三橋を見て、してやったりと思った、その瞬間、



「!?」


「ぅ、んむっ」



三橋の口の端から漏れる、甘い声。甘い、苺とカカオの香り。



チョコレートを、あろうことか俺の唇ごとぱくりと口で包み込んで、


三橋はそのままその粒を、ぺろぺろと舐めて溶かしていく。


必然的に俺の唇まで舐める三橋の舌が、酷く熱い。



誘われるように思わず差し込んでしまった俺の舌まで、三橋はまるで飴でも舐めるみたいに、ちゅう、と音をたてて舐めた。

甘い。



「ふぁ、んっ」



二人分の体温で、すぐにチョコレートはとろとろに溶けてしまう。


ゆっくりと唇を離すと、目の前にある三橋の唇はまるで口紅でも塗ったみたいに、ピンクのチョコレートで可愛らしく彩られていた。

ぺろりと舐めてみた自分の唇も、甘い苺の味がする。



「……オレ、泉くんから貰ったやつしか、食べない、からね」



小さく、本当に小さく囁かれたその言葉は、俺の耳を痺れさせるには十分な効果を持っていた。







ハニー、どうぞ次は君から!



(ホワイトデーの、三倍返しが楽しみだ!なーんて!)


























バレンタイン泉三。
恥ずかしいこのふたり……すみません。
しかし、一番恥ずかしかったのはわたしです。
書いていて何度も頭を抱えた。土下座。







バレンタイン前日に拍手コメント下さった、A井さまへの感謝も込めつつ。
ありがとうございました!

20090219


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